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No.339 「仙棘靱帯子宮頸部固定手術を受けた患者が、術後、肺血栓塞栓症を発症し、後遺症が残ったことにつき、医師に静脈血栓塞栓症の予防に関する注意義務違反があったとして、病院の損害賠償責任を認めた地裁判決」

東京地方裁判所平成23年12月9日判決 判例タイムズ1412号241頁

(争点)

  1. 病院医師らの静脈血栓塞栓症発症の予防に関する注意義務違反の有無
  2. 注意義務違反と後遺障害との因果関係の有無

(事案)

平成6年6月、X1(昭和8年生まれの女性)は、Z病院を受診して、子宮脱との診断を受け、膣内にペッサリー(リング状の医療用具)を装着する治療を受けたが、ペッサリーを膣内に長期間装着したままにすると膀胱や直腸に穴が開いてしまうことさえある、一生ペッサリーの使用に頼って手術を回避するのは少し無理があるなどと記載されたA医師の著書を読み、平成18年7月4日、Y社会福祉法人が開設、運営する病院(以下、Y病院という。)を受診して、A医師(Y病院産婦人科の医師)の診察を受けた。

X1がY病院に提出した「御依頼」と題する書面には、約10年間、子宮脱の治療のためペッサリーを装着していること、約2ヶ月前から若干の尿排泄症状が出現し、違和感を強く感じるようになったこと、高齢であることからできる限り手術を実施せず、侵襲のより少ない治療方法を希望することなどが記載されていた。

A医師は、ペッサリーが装着された状態では確定的な診断が出来ないことから、X1を性器脱(子宮脱)の疑いとの診断をした上、X1に対し、外科的治療に伴うリスクはあるものの、ペッサリーの装着を継続しても、疼痛、悪臭、出血、瘻孔形成等のリスクはあるとして、手術を受けるかどうかZ病院の担当医に相談して考えるように指導するとともに、手術を受ける場合には、Z病院においてペッサリーを抜去しておく必要がある旨を告げた。

X1は、Y病院において手術を受けることを決め、同月6日、Z病院においてペッサリーを抜去した。

歯科医師であるX1の夫X2は、7月11日、Y病院に診察の申し込みをするとともに、同月21日、Y病院の看護師に対し、電話で、ペッサリー抜去後、X1の両下肢に浮腫が生じ、歩行も困難であるとして、予定日(8月1日)より前に診察するように求め、A医師に対しても、両下肢が重くて疼痛があり、ふらつきが続くので、急患として診察して欲しい旨記載した書面をファクシミリで送信した。

しかし、Y病院の看護師は、子宮脱により下肢が重くなることはないとして、内科、整形外科等を受診するように返答し、A医師もX2に対し、ファクシミリではX1の身体の状態はよく分からないので、一般再来を受診した方が確実であるなどと記載した書面をファクシミリで送信するにとどめた。

同年8月1日、X1は、Y病院を受診して、A医師の診察を受け、同医師は、X1を子宮脱と診断し、仙棘靱帯子宮頸部固定手術、TOTスリング術等の手術(以下、「本件手術」という。)の実施を決定した。

その際、A医師は、X1の下肢を観察したが、浮腫等の異状は認められなかった。なお、A医師は、腎機能の確認を目的として血液検査を行ったが、D-ダイマー値の測定、静脈エコー検査等は実施しなかった。

8月3日、X1はY病院を受診し、心電図検査を受け、9月9日にもY病院を臨時に受診し、具合が悪いなどと訴えたが、A医師は、抗炎症作用を有するアズノール軟膏を処方し、具体的な手術日が決定するまで待機するように指示した。

9月30日、A医師は、他の患者の手術の予定が取り消されたことから、本件手術を11月9日に実施することとして、X1に対し電話でその旨を告げた。

なお、A医師は、10月17日、X1の申し出により血糖等に関する血液検査を実施しているが(その結果、軽症の糖尿病に罹患していることが判明した。)、その際も、D-ダイマー値の測定、静脈エコー検査等は実施しなかった。

X1は、11月7日、Y病院に入院した。

A医師は、11月8日、X1に対し、本件手術の手順、担当看護師、麻酔医等が記載された「手術を受けられる患者様へ」と題する書面を交付した上、本件手術の必要性、合併症等の説明を行い、手術の実施につき同意を得るとともに、本件手術の翌日には座位で食事をし、その翌々日には歩行を開始することを告げ、床ずれ、血栓症等の発症を予防するため、寝返り、下肢及び胴体の曲げ伸ばし等、身体を動かす工夫をするよう指導した。

もっとも、A医師は、Y病院において患者に交付することとされていた「静脈血栓症の予防に関する説明書(以下「本件説明書」という。)をX1に交付しておらず、また、静脈血栓塞栓症発症の予防措置を講ずることについて同意も得ていなかった。

本件説明書には、(1)Y病院では、予防ガイドラインに準拠し、静脈血栓塞栓症の予防を行っていること、(2)予防法には、早期離床、積極的な運動、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法の実施、ヘパリンの投与等があること、(3)これらの方法によっても静脈血栓塞栓症は完全には防止できない可能性があることなどが記載されている。

A医師は、11月9日午後3時25分から午後4時35分まで本件手術を実施したが、その際、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法の実施、ヘパリンの投与等の措置は講じていない。また、本件手術の麻酔はB歯科医師が実施したが、歯科医師が医科麻酔科研修として麻酔を実施することについて、X1に対する説明はなく、その同意も得ていない。

X1は、11月11日午前6時55分頃、トイレに行くため術後初めて歩行した際、低血圧ショック(血圧測定不可能)、意識障害(意識レベルはJCS II-10〔普通の呼びかけで目を開けるなど、刺激をすると覚醒する状態〕)等を発症して転倒した。

Y病院産婦人科の当直医であるC医師や、連絡を受けて駆けつけたA医師、Y病院内科のD医師、E医師は、X1に対し、心臓マッサージ、アンビューバッグ、気管内挿管による人工呼吸等を実施した結果、X1は同日午前7時45分頃、自発呼吸が再開した。同日午前8時20分頃、Y病院の医師らはX1をCCU(心筋梗塞等の心臓血管系の重症患者を対象とする集中治療室)に移して治療を継続した。

Y病院の医師らは、CT検査、心エコー検査によっても、肺血栓塞栓症を示す所見は確認されなかったが、その症状からX1を肺塞栓症と疑い、同日午後4時頃、抗凝固剤であるヘパリンの投与を開始した。その後実施した肺血流シンチグラフィー検査により肺血栓塞栓症との確定診断を得て、同日午後8時、血栓溶解剤であるクリアクターの投与を開始した。

Y病院の医師らは、11月14日及び17日に実施した頭部CT検査の結果に基づき、X1を大脳全体の脳浮腫、虚血と診断した。

X1は、低酸素脳症を原因とする遷延性意識障害を発症した。X1は、その四肢が完全に麻痺し、発声、歩行、排尿、排便、食事等も全く不可能な状態である。なお、X1は、平成20年12月4日、身体障害程度等級1級(疾患による両上肢機能障害、両下肢機能障害1級)の身体障害者手帳の交付を受けている。

そこで、X1ら(患者とその夫及び子ども)は、X1が肺血栓塞栓症を発症し後遺障害が残ったのはY病院の医師らの過失によるものであるなどと主張して、Y社会福祉法人に対し、不法行為又は債務不履行に基づき損害賠償金の支払いを求めた。

(損害賠償請求)

請求額:
患者及び家族合計 2億7013万9205円
(内訳:A医師への心遣い費10万円+医療費1051万2309円+医療具費139万9291円+入院雑費727万1331円+看護費3878万0432円+看護交通費1445万1458円+休業損害及び逸失利益1755万1072円+入院慰謝料1207万3312円+後遺障害慰謝料5600万円+家族4名の慰謝料計1億1200万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
800万円
(内訳:X1に後遺障害が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたことによる精神的苦痛に対する慰謝料800万円)

(裁判所の判断)

1. 病院医師らの静脈血栓塞栓症発症の予防に関する注意義務違反の有無

この点について、裁判所は、まず、本件手術は経膣による良性疾患に対するもので、これに要した時間は約1時間10分であるから、予防ガイドライン等によれば、そのリスクレベルは中リスク以上と評価され、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法の実施が推奨されることとなると判示しました。

病院側は、予防ガイドライン等は一つの指針にすぎず、肺血栓塞栓症発症の予防は最終的には担当医の判断と責任の下に実施されるべきであり、A医師が早期離床や積極的運動を指導したことは、医師としての合理的裁量の範囲内であるし、本件において、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法を実施することは却って不適切である旨の主張をしました。

これに対し、裁判所は、確かに、個々の患者に対していかなる医療行為を行うかは、患者と十分に協議した上 、最終的には担当医の責任において決定すべきものであって、医療ガイドラインは、その決定を支援するための指針にすぎず、担当医の医療行為を制限するものでも、当該ガイドラインの推奨する医療行為を実施することを医療従事者に義務づけるものでもないと判示しました。

しかしながら、証拠及び弁論の全趣旨によれば、予防ガイドラインは、日本血栓止血学会等の10学会又は研究会が参加して作成され、また、治療ガイドラインも、日本循環器学会等の7学会が参加した合同研究班により作成されたもので、その公表後、Y病院を含む多数の医療機関等において、現に予防ガイドライン等に準拠した静脈血栓塞栓症発症の予防措置が講じられていることが認められるのであって、このような予防ガイドライン等の作成経緯、その実施状況等に鑑みると、少なくとも本件において、予防ガイドライン等に従った医療行為が実施されなかった場合には、このことにつき特段の合理的理由があると認められない限り、これは医師としての合理的裁量の範囲を逸脱するものというべきであると指摘しました。

更に、予防ガイドラインは、侵襲の範囲が限定的である場合でも、手術に要する時間が30分を超えるときは、そのリスクレベルを中リスクと位置付け、静脈血栓塞栓症の予防措置として、早期離床及び積極的運動の指導ではなく、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法の実施を推奨していること、これらの理学的予防法については合併症を発症する可能性が比較的少ないこと、そして、A医師が、X1に対し、本件説明書を交付することも静脈血栓塞栓症発症の予防措置を講ずることについて同意を得ることもせず、どのような予防措置を講ずるかについて、X1と十分な協議をしたわけではないことからすると、本件において、上記合理的理由があったと認めるのは困難というほかはないと判示しました。

そして、裁判所は、A医師は、X1のリスクレベルは予防ガイドライン等にいう中リスクと評価され、この場合、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法の実施が推奨されるにもかかわらず、早期離床や積極的運動を指導するほかは、静脈血栓塞栓症発症の予防措置を講じず、弾性ストッキング法も間欠的空気圧迫法も実施しなかったのであるから、医療ガイドラインの一般的な性質を考慮しても、A医師には、静脈血栓塞栓症発症の予防に関し注意義務違反があると判断しました。

2. 注意義務違反と後遺障害との因果関係の有無

この点につき、裁判所は、全証拠によるも、X1の肺血栓塞栓症の塞栓子となった血栓の形成時期及び形成部位は不明と言わざるを得ないところであり、血栓が術前に形成されていた可能性やX1がショック状態に陥った後に形成された可能性、あるいは骨盤内に血栓が形成された可能性も否定できないことからすると、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法が実施されていれば、肺血栓塞栓症は発症しなかったという高度の蓋然性があるとまで認めることはできないと判断しました。

もっとも、本件手術は予防ガイドライン等にいう中リスクの手術であり、肺血栓塞栓症発症の危険性が一定程度存在したことは否定できないこと、医学文献上も肺血栓塞栓症の多くは下肢に形成された血栓に起因するものであるとされ、また、術前に形成された小血栓が、術中術後に発育し、深部静脈血栓症を発症することもあるとされていること、予防ガイドライン等において、上記中リスクの患者につき、術後、弾性ストッキング法を実施することにより、肺血栓塞栓症の確率は有意に減少し、また、間欠的空気圧迫法は弾性ストッキング法より効果が高いとされていることなどからすると、弾性ストッキング法又は間欠的空気圧迫法が実施されていれば、肺血栓塞栓症が発症せず、X1に後遺障害が残らなかった相当程度の可能性があると認められ、X1は、A医師の注意義務違反により、上記可能性を侵害されたというべきであると判断しました。

以上により、裁判所は、上記裁判所の認容額記載の損害賠償の支払いをY社会福祉法人に命じ、その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2017年7月 7日
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