仙台地方裁判所 平成13年4月26日 判例時報1773号113頁・判例タイムズ1181号307頁
(争点)
Y病院医師らの注意義務違反の有無
(事案)
平成7年5月9日、午前9時30分ころ、X(当時8歳の男子小学生)は小学校の校庭に設置してあったアスレチック施設から転落し、右肘を地面に強く打ったことから、右上腕骨顆上骨折、右橈骨遠位端骨折の傷害(以下、「本件傷害」という)を負った。
Xは、午前10時頃、Y市の経営する市立病院(以下、Y病院という)の整形外科に来院し、O医師の診察を受けた。
その際、右上腕遠位部から肘関節にかけての部分と右前腕遠位部にそれぞれ腫脹があり、これらの部位の圧痛、運動痛や右手指のしびれ感も訴えていたが、右前腕から手指の色調には異常がなかった。
O医師は、Xに対して、レントゲン撮影等の検査を実施し、Xを入院させた。入院時の担当医はK医師及びH医師であった。
入院した同日午後0時45分ころは、右手指の動きが緩慢で完全な掌屈ができず、右手指の腫れやしびれ、骨折部の痛み(自制可能)を訴えていた。
Xは、手術に必要な諸検査を実施し、全身麻酔時における嘔吐による窒息事故等を防ぐために胃の内容物がなくなるのを待って、同日午後3時50分、手術室に入室し、午後4時22分、T医師の執刀、O医師の立会の下で、全身麻酔下で上腕骨顆上骨折整復固定術等の手術(以下、「本件整復手術」という)を受けた。
本件整復手術後から5月10日(2日目)午前9時30分までは、Xには右手の痛み(特に、5月9日午後7時ころから午後8時ころには、他動的屈伸痛があった。)や腫脹があり、右手指の動きが緩慢であったものの、本件整復手術前と比べて痛みや腫脹の程度は軽減しており、しびれ感や冷感、チアノーゼも認められなかった。
しかし、同日午前9時30分ころから午後9時30分ころまでは、本件整復手術後からの上記症状のほか、右示指、中指、環指に軽度のしびれ感を訴え始めており、また、Xの祖母が右手に触ろうとするといやがるようになった。
そして、Xは、同日午後9時30分ころは、突然、右手掌部の強い疼痛を訴えており、その後5月11日明け方まで、上方牽引を実施していたにもかかわらず、ギプスの圧迫感や手指全体のしびれを訴えて、なかなか眠りにつけずにいた。
5月11日(3日目)午前9時30分ころから5月12日(4日目)のY病院退院までの間は、Xには、冷感はなかったものの、依然として、右手指の腫脹、右手指を動かした場合の疼痛に加え、しびれ感や触覚鈍麻などの知覚障害も訴え始めていた。
K医師らは、Xのギプスがきつくなく、患肢に当たる部分も認められないことから、ギプス障害ではなく、かえって、Xの全身状態が良く、動作も活発で独歩も可能であったことから、注意して経過観察を行えば足りると判断し、Xは、5月12日午後2時ころ、右手をギプスで固定したまま、Y病院を退院した。
Xは、退院後から5月30日までの間、3度ほど、O医師またはT医師の診察を受けたところ、肘関節創部の状態は良かったものの、右手指の腫脹があったり、右手指の動きが悪い状態であり、自宅でも、母親らがXの右手に触ろうとしても痛いと言って触らせない状態であった。
5月30日、Y病院において、Xの右手のギプスを外したところ、ギプスで覆われていた部分一面に大きなあざがあり、右手首が招き猫のように約60度屈曲したままで、手首や各指は自動的にも他動的にも全く動かない状態であり、右橈骨の骨折部付近にかなりの痛みを訴えていた。T医師は、右橈骨の骨折部付近をシーネ固定として、1週間後から関節可動域の訓練を始めることとした。
Xは、6月7日、Y病院において診察を受けたところ、右手指の拘縮(右環指、小指の屈曲拘縮)が認められ、6月9日の診察の際には、右手指のクローハンドが認められ、神経麻痺の可能性もうかがわれた。Xは、6月7日から右手の関節可動域訓練等を開始したが、その効果もなく、その後も右手関節及び右手指の拘縮が進行し、7月24日には、右手関節が屈曲拘縮となり、手指の伸展も不能になったことから、再手術を受けることにした。
Xは、8月9日から21日までY病院に再入院し、同月10日、右手関節屈筋腱剥離術を受けるとともに、退院後も拘縮部位に対する理学療法等を継続したところ、10月16日の時点において、右肘関節の可動域が正常となり、右手関節掌屈50度、背屈マイナス20度であり、手指の伸展は可能であるが、屈曲が不能のままであった。
Xは他の大学病院等で右前腕部等の阻血性拘縮(フォルクマン拘縮)と診断された。
Xは、平成8年3月6日から4月10日まで、大学病院に入院し、3月13日、痛めた筋肉と腱を取り除き、腱を移植する手術(腱移植術)を受けたが、右手機能の回復には至らなかった。
Xは、平成8年8月15日、Y市から、障害名「固縮による右上肢機能障害」、身体障害者等級表による級別「4級」との身体障害者手帳の交付を受けた。
そこで、Xは、Y市に対して、診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求した。
*フォルクマン拘縮とは、前腕の血行不全(循環障害)による屈筋群の壊死や麻痺のため発生した手の特有な拘縮であり、肘関節の脱臼や肘関節周辺の骨折などの何らかの外傷に起因して発生するとされ、特に小児の上腕骨顆上骨折では、重要な合併症の一つとされている。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 5373万5831円
(内訳:診療費および入通院関係費用172万4493円+逸失利益3654万9498円+慰謝料1100万円-損害の填補53万8160円+弁護士費用500万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 3995万9188円
(内訳:診療費および入通院関係費用161万2873円+逸失利益3654万9498円+慰謝料1100万円-損害の填補1280万3183円+弁護士費用360万円)
(裁判所の判断)
Y病院医師らの注意義務違反の有無
裁判所は、まず、小児の上腕骨顆上骨折の治療を担当する医師としては、フォルクマン拘縮の発症予防措置として、常にフォルクマン拘縮の発症を念頭に置いて、骨折整復後の経過観察を行うに当たり、自ら又は看護師をして、頻回の看視・巡回を実施し、阻血徴候(疼痛、蒼白、麻痺、脈拍欠如、知覚異常、手指の腫脹や運動障害)の有無を厳重に監視して、阻血発生の早期発見に努めるべきであり、少しでも阻血徴候の疑いがあるときは、ギプスを除去して直接、右前腕部を視診、触診したり、サーモグラフィー、ドップラー血流計、血管造影等の検査により末梢の循環動態を把握するなどして、阻血発生の有無を確認すべきであると判示しました。また、さらに、阻血発生をできるだけ早期に発見するために阻血徴候を常時看視できる患者本人及び付添の家族に対し、阻血徴候の内容を説明し(特に患者が子供のときには、症状の表現力が乏しいことから、付添の家族にその趣旨を十分説明すべきである。)、これらの症状が現れた場合には直ちに医師又は看護師に伝えるように指示して、患者本人及び付添の家族の協力を求めるべきであると指摘しました。
そして、小児の上腕骨顆上骨折の治療を担当する医師は、上記のような阻血徴候を1つでも認めたときは、まず、(1)骨折部の整復を行っていないのであれば、これを実施し、なお阻血徴候が継続するようであれば、(2)ギプス、包帯を切割又は除去して固定を弛めること、(3)患肢を挙上に保つこと、(4)再整復あるいは牽引等を行うべきであり、それでも改善が見られない場合には、(5)臨床所見のみで、又はウィックカテーテル法若しくはホワイトサイデス法等による筋内圧測定を実施して、阻血発生の確定診断を行い、早期に筋膜切開手術を実施すべきであり、以上の措置は、フォルクマン拘縮が発症すると上肢機能の喪失をもたらすため、骨折治療に優先して行われるべきであると判示しました。
次に、Xのフォルクマン拘縮の原因となった循環障害は、本件傷害の発生時から右前腕部の血流が悪化を開始し、5月10日(2日目)午後9時30分ころに、静脈うっ血や細動脈以遠の微小循環障害等により右前腕部の筋内圧が亢進して阻血状態になったことによるものであると推認することができ、その時点から6時間ないし8時間経過した時点で不可逆的な変性になったものと認定しました。
その上で、裁判所は、Xの治療に当たったO医師、K医師、H医師、T医師(以下、あわせてY病院医師らという)は、Xに、5月10日(2日目)午後9時30分ころには、阻血徴候である(1)強い疼痛や(2)手指の腫脹が認められた上、その後明け方までには、上記疼痛が原因と思われる不眠状態となり、さらには(3)右前腕部の腫脹の増大をうかがわせるギプスの圧迫感や(4)麻痺(正中、尺骨神経麻痺)をうかがわせる手指のしびれも新たに出現していたのであるから、直ちに、阻血徴候の1つである手指の他動的伸展痛の有無を確認するとともに、Xから他の阻血徴候の有無を丁寧に聞き出したり、上記当時、右前腕部がギプスで覆われていて直接看視することができなかったことから、ギプスを切割、除去又は有窓化して、直接右前部を視診、触診したり、サーモグラフィー、ドップラー血流計、血管造影等の検査により末梢の循環動態を把握するなどして、阻血発生の有無を確認すべきであったにもかかわらず、Y医師らは、5月10日(2日目)午後9時30分の時点において、自ら必要な視診や検査を行わず、阻血徴候の継続や新たな阻血徴候の出現を看過したものであり、阻血徴候の看視を怠ったものと言わざるを得ないと判断しました。
裁判所は、仮に、上記午後9時30分の時点において、Y医師らのいずれかが、Xを診察したとしても、当該医師は、ギプスをしたままでXの手指の状態を視診し、フラッシュバック(爪を圧迫すると白くなるが、これを離すと赤く戻ること。)の有無を確認するに止め、他動的屈伸痛の有無の確認やギプスの切割、除去又は有窓化その他の検査等を行わなかったものであり、そのため、阻血徴候の継続や新たな阻血徴候の出現を看過したものであり、いずれにしても、Xの阻血徴候の看視を怠ったものといわざるを得ないと判示しました。
そして、Y医師らが、5月10日午後9時30分ころから8時間以内において、Xの阻血徴候を発見し、直ちに、前記のとおり、阻血回避措置として、ギプスを切割又は除去して固定を弛めること、患肢を挙上に保つこと、再整復あるいは牽引等を実施し、それでも改善がみられない場合に、筋膜切開手術を実施していれば、本件フォルクマン拘縮の発症を予防することができたと判断しました。
裁判所は、以上によれば、Y医師らに注意義務違反があることは明らかであると認定し、上記裁判所の認容額記載の損害賠償をY市に命じました。
その後、判決は確定しました。