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No.336 「精索捻転症により8歳男児が左睾丸摘出。外科、内科及び消化器内科等を診療科目とする診療所を経営する医師が、初診時に泌尿器科専門医への転医を勧告すべき義務を怠ったとして、医師に損害賠償を命じた地裁判決」

名古屋地方裁判所 平成12年9月18日判決 判例時報1750号121頁

(争点)

  1. 初診時における診断上の注意義務の懈怠の有無
  2. 初診時における転医勧告義務の懈怠の有無

(事案)

平成5年3月17日午前6時頃、就眠していたX(当時満8歳の小学2年生の男児)が両親に下腹部痛等を訴えた。このときは病院がまだ開いておらず、Xもある程度我慢出来る様子であった。

Xの父は、同日午前9時ころ、Xを連れて、車で、Y医師が経営する外科、内科及び消化器内科等を診療科目とするクリニック(以下、Y診療所という)を訪れた。Xは、歩き方がゆっくりだったものの自分で歩くことが出来た。

午前9時30分ころ、Xと父は、Y診療所において看護師又は事務員から簡単な問診を受けた後、診察室において、Y医師による診察を受けた(以下、本件初診という)。本件初診の当初、Xは主に左下腹部痛を訴えているようであった。Y医師は、触診を行い、Xが痛いとして押さえている左下腹部に圧痛があるか否かを確認したところ、最初は圧痛が認められたものの、後に再度同じ場所を触診すると圧痛が認められなかった。また、触診を行った腹部については、いわゆる筋性防御(その部分が痛いために力が入って硬くなる状態)は認められなかった。

続いて、腹部レントゲン撮影後、現像までの間に廊下に置かれた長椅子で横になり、Xは、父に対し、「お父ちゃん、おれ、金玉が痛い。」などと訴え、初めて父はXの痛みの部分が睾丸付近であることを知った。

そこで、Y医師が、レントゲン検査の結果、特に異常がみられないことを説明するため、Xと父を診察室に入れた際、父はY医師に対し、「子供が『睾丸が痛い。』と言っていますが。」などと説明し、Xが睾丸部の痛みを訴えている旨を告げた。

そこで、Y医師は、Xの痛みの部位を確認したところ、痛みの主訴が陰嚢部の辺り、左睾丸部及び鼠径部であったため、Y医師はXをベッドに寝かせ、当該部分を診察した。

Y医師が当該部分について触診を行ったところ、Xは、「痛い。」と訴えるとともに、触診から逃げるようにベッドの上方にズレ上がろうとしたため、Xの父とY診療所の看護師が、Xの左右の腕を押さえた。

触診の結果、左睾丸自体の大きさや位置は正常であり、左睾丸をしっかり触ることができ、いわゆる肥厚や硬結といったものはみられなかった。また、左睾丸の挙上による右睾丸との位置の左右差、当該部位の腫脹、皮膚の発赤といったものも認められなかった。

この触診を受け、Y医師は、診療録に「Lt・testis(左睾丸部)及びgroine(鼠径部)を触るとsevere pain (激痛)を訴えるがsoft」と記入し、「 groine(鼠径部)」の文言の下、「sever pain」の文言の上に「(?)」と記入した。この「(?)」の意味は、触診において、痛みの訴え方に強弱があり、Xの痛みが、いわゆる「sever pain」である否かが不明確であったため、記入したものであった。

Y医師は、鎮痙剤等の服用を指示した上で、Xを帰宅させた。鎮痙剤服用後もXの睾丸部の痛みは続いていたが、しばらくは自制範囲内に止まっていた。

同日午後4時前ころから、Xの睾丸部の痛みが再び増強し、自制出来ない状態となった。

Xは、同日午後4時頃、祖母に連れられ、再度、Y診療所を訪れた。

Y医師は、午後4時55分頃、Xを再診し(以下、「本件再診」という)、精索捻転症と疑診し、M市民病院泌尿器科への転院を指示した。

Xは、同日午後6時30頃、M市民病院泌尿器科を受診し、精索捻転症と診断され、同日午後9時頃、左精巣(睾丸)の捻転(回転)、絞扼を解除する措置が採られたが、同部分の血流は回復せず、左睾丸摘出手術を受けざるを得なくなり、結局、左睾丸を喪失するに至った。

そこで、Xの法定代理人親権者である父母らは、Yに対し、Xが精索捻転症によって左睾丸を失うに至った原因は、Xを診療した医師であるYの過失又は不完全履行にあるとして、不法行為又は債務不履行に基づく慰謝料を請求した。

(損害賠償請求)

請求額:
1000万円
(内訳:慰謝料900万円+弁護士費用100万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
440万円
(内訳:慰謝料400万円+弁護士費用40万円)

(裁判所の判断)

1.初診時における診断上の注意義務の懈怠の有無

まず、裁判所は、本件初診時において、Xに激痛(シビアペイン)が認められたかについては、Xが、平成5年3月17日午前6時ころに腹痛を訴えた後、Y診療所に来るまで痛みは少なくとも自制できる範囲内であったこと、Y診療所に来る際に自力で歩くことが可能であったこと、陰嚢部の触診において、ベッドの上方にズレ上がるような状況であったため腕を父と看護師に押さえられていたとはいえ、複数回の触診を許容していること、左睾丸部の触診において痛みの程度につき訴えの強弱があったことからすると、本件初診時において、Xに左陰嚢部の強い痛みが生じていたことは認められるが、精索捻転症の典型的症状とされる激痛といえる程度の痛みが発生していたとまで認めるのは困難であると判断しました。

そして、陰嚢部の痛みの程度が精索捻転症の典型的症状である激痛といえる程度までは至っていないことに加え、精索捻転症の他の症状である睾丸の位置の左右差、該当部分の腫脹・硬結、皮膚の発赤などが認められないこと、他の疾患との鑑別、特に急性精索上体(副睾丸)炎との鑑別が比較的難しい症例であること、精索捻転症が急性虫垂炎などの他の腹痛疾病と比較して医師が診察に当たる機会は相対的にみて少数であり、Y医師が泌尿器科専門医でないことを考慮すると、本件初診時において、Y医師が、Xの疾患につき精索捻転症であることを正確に鑑別し、自ら手術的治療などの精索捻転症に対する適切な治療を行うことは困難といわざるを得ないから、本件初診時におけるY医師の診察上の過失または債務不履行を問うことはできないと判示しました。

2.初診時における転医勧告義務の懈怠の有無

この点について、裁判所は、本件初診時において、激痛(シビアペイン)は認められず、また、その他、精索捻転症における典型的な症状が認められないとしても、上記のとおり、Xは、左下腹部及び左陰嚢部といった局所的な痛みを訴えており、また、痛みの訴えの程度に強弱がみられるとはいえ、ベッドの上方にズリ上がるようなかなり強い痛みを触診において訴えていること、Y医師も、本人尋問において、本件初診時において精索捻転症の可能性があることは認識していたと供述していることに照らすと、本件初診時において、確定的診断に至らなくとも、精索捻転症の可能性が高いと認識することは十分に可能であったといえると判示しました。

裁判所は、加えて、精索捻転症が急激に発症・進行し、非常・緊急的な処置を行わなければ睾丸の壊死を回避できなくなる危険性の高い疾患であり、精索捻転症の疑いがあり、精索捻転症を否定できなければ緊急手術を行って診断を確定する必要があって、経過観察を行うことは危険性が高いことを考慮すると、本件初診時において、Y医師が、Xの疾患につき精索捻転症であることを正確に鑑別し、自ら手術的治療などの精索捻転症に対する適切な治療を行わないことはやむを得ないとしても、X及びXの父に対し、精索捻転症に関する説明、具体的には精索捻転症の特徴、発生機序、対処方法、特に対処は緊急性を要することを説明した上、Xに対して、経過観察上の危険性に対する注意を十分に喚起するとともに、XおよびXの父に対して泌尿器科専門医への転医を勧告し、右疾患に対する泌尿器科専門医の医療水準の下の診断・治療を受けさせるべき注意義務があると判断しました。

そして、Y医師が、精索捻転症に対する具体的な説明も行っておらず、まして泌尿器科専門医への転医を勧告した事実は認められないのであるから、Y医師には転医勧告義務を怠った点で過失または不完全履行が認められると判示しました。

以上から、裁判所は上記裁判所の認容額の賠償をYに命じ、その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2017年6月 9日
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