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No.331 「大学病院で右側前大脳動脈遠位部動脈瘤のクリッピング手術を受けた患者に重篤な後遺症。具体的な手術適応を欠いた手術を実施した担当医師の過失を認めた地裁判決」

東京地方裁判所平成12年5月31日判決 判例タイムズ1109号214頁

(争点)

手術適応に関する担当医師の判断の誤りの有無

(事案)

平成4年7月4日、X1(当時48歳の女性・主婦)は、他界した母親を追いかけるような感じで「帰らないでくれ」と言いながら家の中を走り回ったり、玄関の鍵を掛けたりして、10分ないし15分程度かなりの勢いで騒ぐという異常な言動を取ったことからA医師の診察を受けた。A医師は、X1に対して、Y学校法人の経営する病院(以下、Y病院という。)で精密検査を受けるように勧めた。

同月10日、X1は、Y病院脳神経外科を外来受診し、同日に頭部CT、同月21日に頭部MRIの各検査を受けた。その結果、脳腫瘍は発見されず、前記突発症状については特段の診断がされなかったが、脳底付近に未破裂脳動脈瘤の存在が疑われた。

同年8月19日、X1は精密検査のためY病院に入院した。入院時、X1の意識は清明であり、特記すべき神経症状はなかった。同月21日、脳血管撮影検査を受けた結果、4個の未破裂脳動脈瘤の存在が確認された。その位置及び大きさは次のとおりであった。

(1)
脳底(後大脳動脈分岐部)動脈瘤 最大径6mm
(2)
左側内頸動脈瘤 最大径3mm
(3)
右側中大脳動脈瘤 最大径6mm
(4)
右側前大脳動脈遠位部動脈瘤 最大径2mm

X1の治療方針についてのカンファレンスが、教授以下、当時医局に在籍し臨床に携わっていた医局員が出席して開かれ、O医師は、その結果を踏まえ、X1およびX2(X1の夫)に対し、次のとおり、未破裂脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血の危険があるとして、そのクリッピングによる予防的手術を受けるよう勧め、X1はこれを承諾した。

  1. X1の脳血管撮影で4箇所の未破裂脳動脈瘤が発見され、その位置は、脳底動脈、左側内頸動脈、右側中大脳動脈、右側前大脳動脈遠位部である。
  2. 未破裂脳動脈瘤が破裂すればクモ膜下出血となること、および、クモ膜下出血は脳内出血の原因の80%を占め、突然の激しい頭痛、嘔吐、意識低下、麻痺などの局所神経症状等があらわれ、2人のうち1人が死亡すること。
  3. 未破裂脳動脈瘤1個あたりの年間破裂率は1ないし6%、平均すると3%であり、X1の場合は4個あるので、年間破裂率は12%となること。現在48歳のX1が80歳まで生きるとして、あと32年あるので処置した方が良いということ。
  4. まず、右側の中大脳動脈瘤、脳底動脈瘤及び前大脳動脈瘤を手術することとする。
  5. 一般的に、未破裂脳動脈瘤の手術は破裂動脈瘤の手術よりも安全だといわれている。ただ、脳底動脈瘤はかなり深い位置にあるので、脳動脈瘤の中でも手術が難しい。

O医師らは、平成4年8月28日午前10時20分から午後5時22分にかけて、X1に対し、次の手順で手術(以下、本件手術という)を施行した。

  1. 全身麻酔を導入し、頭皮を切開した後、右前側頭をオルビトクラニアル・アプローチにより開頭して硬膜を円弧状に切開し、右側中大脳動脈瘤と脳底動脈瘤に接近すべく顕微鏡を導入した。
  2. プテリオナル・アプローチ(シルビウス裂に沿って手術対象部位に接近していく手法)を採用して、シルビウス裂を遠位部から解放し、まず右側中大脳動脈瘤をクリッピングし、次に脳底動脈瘤をクリッピングした。
  3. さらに、インターへミスフェリック・アプローチ(大脳半球裂に沿って手術対象部位に接近していく手法)を採用して、右側前大脳動脈遠位部動脈瘤をクリッピングした。
  4. なお、右側前大脳動脈遠位部動脈瘤のクリッピングを行う際、術野を確保するため、X1の架橋静脈2本を切断した。そのクリッピング終了後、術野を止血して閉頭した。

本件手術後のX1の麻酔からの覚醒は良好であり、頭部CT検査でも特記すべき変化はなかった。

しかし、翌29日午後、X1に意識障害が発生し、同日午後3時20分には、X1のGCS(意識障害の国際スケール。正常は15点)が8点となったため、気管内挿管が施行され、呼吸と頭蓋内圧の管理が開始された。

X1の頭部CT検査の結果、右前頭葉の脳腫脹及び正中構造の左方への偏位が認められた。この脳腫脹の原因は、本件手術において右側前頭極の架橋静脈を切断したことによる静脈性脳梗塞であると推定された。

X1に対して、グリセオール、マンニトールを用いた頭蓋内圧降下と脳循環改善を目的とした薬物療法が施行されたが、脳腫脹の進行を阻止することはできなかった。さらに、左右の瞳孔不同も出現するに至った。

そこで、O医師は、X2の承諾のもと、29日午後11時45分から翌日午前3時20分にかけて、X1に対し、頭蓋内圧亢進を軽減するため右前頭葉切除術を施行した。

その後、X1は9月3日まで頭蓋内圧の管理、脳循環代謝障害の管理等を目的としたバルビタール昏睡療法を受けるなどした結果、同月9日から緩徐ながらも意識障害に回復の傾向が現れ、同月下旬から同年10月初旬には意識が清明となり、同月下旬には介助歩行も可能となり、同年12月2日にY病院を退院した。

しかし、その後、X1に両眼の視野欠損(左同名半盲)および嗅覚脱失の後遺症が生じた。

そこで、X1、X2(夫)、X3(子)は、Y学校法人に対し、担当医師が本件手術の実施に当たって、手術適応に関する判断を誤った等の過失により、X1が重篤な後遺障害を受けたとして、診療契約上の債務不履行に基づき損害賠償を求めた。

(損害賠償請求)

請求額:患者と夫・子の3名合計5500万円
(内訳:逸失利益+慰謝料+弁護士費用と推測されるが、詳細は不明)

(裁判所の認容額)

認容額:2590万670円
(内訳:逸失利益1660万670円+患者の慰謝料700万円+弁護士費用230万円)

(裁判所の判断)

手術適応に関する担当医師の判断の誤りの有無

この点について、裁判所は、まず、未破裂脳動脈瘤についてクリッピング手術を実施するか否かを判断するに当たっては、当該未破裂脳動脈瘤の大きさ、増大速度、部位、形及び自然経過、当該患者の年齢、状態及び合併症の有無、手術を行う施設、術者の技術水準等の具体的事情を基礎として、当該未破裂脳動脈瘤が破裂する危険性及び当該患者に対するクリッピング手術の危険性を総合的に勘案する必要があると判示しました。

そして、X1の後遺症はインターへミスフェリック・アプローチによる右側前大脳動脈遠位部動脈瘤のクリッピング手術の際に架橋静脈を切断したことが原因となっているものであり、その他の手術とはアプローチ方法が異なることから、裁判所は、右側前大脳動脈遠位部動脈瘤のクリッピング手術について、破裂の危険性と手術の危険性それぞれにつき、以下のとおり検討しました。

破裂の危険性につき、X1の右側前大脳動脈遠位部動脈瘤は最大径2mmであったことから、大きさから見た破裂の危険性はそれほど高くなかったことがうかがわれるが、X1の余命は30年以上あったこと、動脈瘤の壁が薄くなっていることを総合考慮すると、将来的に破裂する危険性が相当程度あったと判断しました。

手術の危険性につき、裁判所は、鑑定人の鑑定書によれば、本件手術で切断されたX1の右前頭葉から上矢状洞への架橋静脈は非常に太くほとんどこの静脈一本で環流しているように見え、この架橋静脈とシルビウス静脈を同時に切断していることは、静脈環流を考えると少し気になるとの指摘を示し、こうした指摘に、X1のシルビウス静脈が未発達であったことをも併せ考慮すると、本件手術に際して架橋静脈を切断すれば、静脈環流障害を引き起こす危険性があったものと判断しました。そして、X1の右側前大脳動脈遠位部動脈瘤に対するクリッピング手術については、通常の場合よりもその危険性が高かったと認定しました。

以上を踏まえて、裁判所は、X1の右側前大脳動脈遠位部動脈瘤が将来的に破裂する危険性は相当程度あったものの、他面、架橋静脈の切断を前提とした本件クリッピング手術の危険性もまた高かったことに加えて、もともと本件手術は無症候性の未破裂脳動脈瘤に対する予防的手術であり、また、X1の脳動脈瘤は、多発性であったものの、全て無症候性のものであったことを併せ考慮すれば、X1の右前大脳動脈遠位部動脈瘤については、静脈性環流障害を引き起こす危険性を冒してまで架橋静脈の切断を伴うクリッピング手術を緊急に実施すべき必要性はなかったと言わざるを得ないとし、本件手術においては、X1の右側前大脳動脈遠位部動脈瘤のほか、脳底動脈瘤及び右側中大脳動脈瘤についてもクリッピング手術が行われているが、後者については別のアプローチ方法が使われているのであるから、それらについてのみ手術を行い、右側前大脳動脈遠位部動脈瘤については経過観察を行うにとどめるということも十分可能であったと判示しました。

裁判所は、以上に加えて、本件手術当時、Y病院及びその医師には、架橋静脈の切断がその周辺の静脈環流系に影響を及ぼす危険性があるとの医学的知見をも踏まえて本件手術に当たるべきことが求められていたことや、O医師において、X1の架橋静脈を切断すれば静脈環流に支障をきたす危険性があることを予見し得たことをも併せ考慮すると、Yの担当医師には、X1の右側前大脳動脈遠位部動脈瘤に対するクリッピング手術が具体的な手術適応を欠いていたにもかかわらず、これを実施した点において過失があるものといわざるを得ないと判断しました。

その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2017年3月15日
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