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No.329 「全身麻酔の下、腰椎椎弓切除術を受けた患者が麻酔薬の作用遷延から低換気状態になり、低酸素脳症を発症。病院医師らに術後管理の過失を認めた地裁判決」

宮崎地方裁判所平成26年7月2日判決 判例時報2238号79頁

(争点)

  1. X1が低酸素脳症を発生した機序
  2. 午後4時30分時点におけるY2医師の過失の有無
  3. 午後5時5分時点におけるY3医師の過失の有無

(事案)

X1(手術当時80歳で体重46kgの女性)は、医療法人Y1の経営する病院(以下、Y病院という。)において腰部脊椎管狭窄症と診断され、平成23年4月11日、Y病院との間で腰椎椎弓切除術(以下、本件手術という。)を受けること等を内容とする診療契約を締結し、Y病院に入院した。

Y2医師は、Y1医療法人の代表者理事長で、Y病院の院長を務める麻科医であり、Y3医師は、Y1医療法人に雇用され、Y病院で勤務する整形外科医である。

X1は、4月12日午後1時30分に手術室に入室し、Y2医師を主治医兼麻酔医、Y3医師を執刀医とする、全身麻酔下における本件手術を受けた。本件手術における全身麻酔では、鎮静薬であるプロポフォール、麻薬性鎮痛薬であるフェンタニル及びレミフェンタニル(商品名はアルチバ)とともに、気管内挿管のために筋弛緩薬であるベクロニウム(商品名はマスキュラックス。以下、これらを併せて本件麻酔薬という)が使用された。

なお、Y病院では手術日を設けており、本件手術がなされた4月12日も3件の手術が予定されており、Y2医師は、本件手術の後に予定されていた手術でも麻酔を担当することになっていた。

X1は、午後4時18分に抜管され、午後4時30分に手術室を退室したが、午後4時45分には腋窩温34.8℃で低換気に起因する酸素飽和度の低下を原因とする手指チアノーゼが現れ、午後5時02分にSPO2(経皮的酸素飽和度。パルスオキシメーターにより測定された酸素飽和度で、安静時の正常値は95~100%)が測定不可となり、午後5時05分にも同じくSPO2が測定不可で、かつ、呼びかけにも反応しなくなり、午後5時10分には声かけをしたり体をたたくなどの刺激を加えても反応せず、四肢チアノーゼも現れ、午後5時12分には心肺停止状態となり心臓マッサージやアンビューバッグ及び気管内挿管による酸素投与が行われた。午後5時30分に心拍再開が認められ、午後5時46分に自発呼吸が回復し、午後6時03分にT病院に向けて緊急搬送された。

X1は、T病院において、「低酸素脳症にて現在、全介助が必要な状況である。」「遷延性植物状態であり、高次機能の回復する見込みはないものと思われる。」と診断され、同年10月27日、低酸素性脳症による両上肢及び両下肢の機能全廃(身体障害者等級表による級別1級)とする身体障害者手帳が交付された。

そこで、X1(成年後見人が選任された)およびその子らは、主治医兼麻酔医であるY2医師および執刀医であるY3医師らには術後管理を誤った過失があり、これにより、X1は低酸素性脳症を発症して植物状態に陥ったと主張して、Y1に対しては、民法415条または715条1項に基づき、Y2医師およびY3医師に対しては民法719条1項、709条、710条に基づき、損害賠償請求訴訟を提起した。

(損害賠償請求)

請求額:患者と2人の子合計8346万1892円
(内訳:患者本人の後遺障害慰謝料4000万円+逸失利益1411万2540円+入院雑費448万5456円+治療費等878万7846円+診断書料2万0700円+成年後見申立費用5万5350円+子2人の慰謝料計1000万円+弁護士費用600万円)

(裁判所の認容額)

認容額:合計5605万1208円
(内訳:患者本人の後遺障害慰謝料3000万円+逸失利益260万1856円+入院雑費及び介護雑費448万5456円+治療費等878万7846円+診断書料2万0700円+成年後見申立費用5万5350円+子2人の慰謝料計500万円+弁護士費用510万円)

(裁判所の判断)

1. X1が低酸素脳症を発生した機序

裁判所は、医学的知見によれば、高齢者に対して鎮静薬、麻薬性鎮痛薬および筋弛緩薬を併用した全身麻酔を行った場合には、その作用遷延により覚醒遅延や気道閉塞が起こる危険性が通常に比して高いこと、低体温は筋弛緩薬の作用遷延を引き起こす原因となること、術後の低酸素血症は、麻酔薬による中枢神経抑制、筋弛緩薬の作用遷延等によって起こり得る低換気等を原因として発症すること、低酸素性脳症は脳へ供給される酸素が不足する脳症であること等が認められると判示しました。

そして、K大学大学院医歯学総合研究科先進治療科学専攻生体機能制御学講座侵襲制御学分野、K大学医学部麻酔・蘇生学講座教授であるU医師がY病院のカルテ・諸検査結果・麻酔記録など医証一式及びT病院作成の診断書等に基づいて作成した意見書並びに証人尋問で供述した内容(以下、U意見という)が、X1について、本件麻酔薬のうちフェンタニル(麻酔性鎮痛薬)及びマスキュラックス(筋弛緩薬)の作用遷延が起こり、午後5時05分頃に気道閉塞、呼吸抑制又はその両者によって低換気状態になり、その結果、低酸素血症を起こし、午後5時12分に心肺停止状態になり、低酸素性脳症を発症したと考えられるとしており、その内容は、医学的知見、診療経過及び臨床所見に照らして合理的であると認定しました。

その上で、裁判所は、X1が、本件麻酔薬の作用遷延に起因する気道閉塞、呼吸抑制又はその両者によって低換気状態になり、その結果、低酸素血症を起こし、低酸素性脳症を発症したと判断しました。

2. 午後4時30分時点におけるY2医師の過失の有無

この点について、裁判所は、高齢者であるX1に対して本件麻酔薬を使用した全身麻酔下で本件手術を行い、しかも、本件手術の後にも手術が予定され、Y2医師が麻酔を担当することになっていたことを指摘した上で、Y2医師は、X1において、本件手術直後に覚醒遅延や気道閉塞等の様々な要因で予期せぬ変調を来す可能性が高いことを考慮し、午後4時30分にX1を手術室から退室させて病棟看護師であるOおよびHに引き継ぎをするに当たっては、パルスオキシメーターによるSPO2の監視をさせるとともに、自ら又はY2医師に報告するなどして、適切な呼吸確認(胸郭の動きを見て、呼吸音を聴いて、呼気を口元で感じる)を行い、必要に応じて一次救命措置を行うよう申し送りをするとともに、Oらから異常の報告を受けた場合には、直ちに適切な処置を講じることが出来る体制を構築しておくべき注意義務があったと判示しました。

さらに、裁判所は、Y2医師は、X1を手術室から退室させて病棟看護師であるOおよびHに引き継ぎをした際、X1に移動式パルスオキシメーターを装着させたものの、OおよびHに対し、呼吸に注意するよう告げたにとどまり、その具体的な方法について何ら指示しなかったこと、その後は別の手術の全身麻酔を行って手が離せない状態になったこと(Y2医師は、現に午後5時9分にOからX1の異常について報告を受けた際に、直ちに病棟回復室に向かうことができなかった。)、OおよびHは、Y病院で全身麻酔後の患者の呼吸管理について十分な教育を受けておらず、呼吸確認はSPO2の監視や胸郭の上下動の目視で十分であるとの認識を有していたこと(OおよびHは、現に午後4時45分に低換気を原因とする酸素飽和度の低下を意味する手指チアノーゼ等を確認した際、胸郭の上下動を目視するなどしただけで、それ以上に呼吸音を聴き、呼気を肌で感じるなどといった呼吸確認をすることなく、Y2医師に報告もしなかった。)等が認められるとしました。

また、裁判所は、U意見が、概ね上記の医学的知見、診療経過及び臨床所見を踏まえて、Y2医師は、自己の監視下から患者が去った後も、患者に起こり得る事態を予測して、最悪の結果が起こらないような体制を構築する義務を負っているが、午後4時30分にX1を手術室から退室させた際、呼吸管理の知恵が乏しい病棟看護師らに簡単な申し送りをしただけで別の手術の全身麻酔を行って手が離せない状態になり、病棟看護師らから異常の報告を受けた際に適切な処置を講じることができなかったとすれば問題であるなどとしており、既に判示したように、その内容は合理的なものと認められると判示しました。

裁判所は、したがって、Y2医師には、上記注意義務を怠った過失があると認めるのが相当であるとしました。

3. 午後5時5分時点におけるY3医師の過失の有無

この点について、裁判所は、前記で認定した医学的知見に加え、患者の意識がない場合は呼吸もない場合があるため、意識状態や呼吸状態を注意深く観察する必要があること、SPO2は指先の脈の拍動をみるため、これが測定不可であることは血圧低下により末梢循環が悪化し、指先まで血液が流れていないことを一般的に意味することが認められると判示しました。

その上で裁判所は、Y3医師が、午後5時05分に病棟回復室を訪室した際、X1が呼びかけに反応せず、SPO2が測定不可になっていたこと等を確認したから、この時点で、X1に意識障害及び換気障害が発生している可能性を疑い、直ちに自ら又はY2医師に報告するなどして、適切な呼吸確認(胸郭の動きを見て、呼吸音を聴いて、呼気を口元で感じる)を行い、必要に応じて一次救命処置を行うべき注意義務を負っていたと判断しました。

裁判所は、しかるに、Y3医師が、X1の上記状態を確認して、Oに対しX1を覚醒させるため刺激して起こすよう指示し、胸郭の上下動を目視するなどしただけで病棟回復室を退室し、Y2医師にも報告していないから、上記注意義務を怠った過失があると認定しました。

そして裁判所は、Y2医師、Y3医師にはそれぞれ独立した過失が認められるが、これらはいずれも本件手術の術後管理に関するもので、時間的場所的接着性もあること等からすると、客観的な関連共同性があると認められるとして、共同不法行為(民法719条)が成立し、また、Y1医療法人は使用者責任(民法715条)を負うと判断して、Y1医療法人、Y2医師、Y3医師に連帯して損害賠償を命ずる判決を言渡しました。

その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2017年2月10日
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