大阪高等裁判所平成27年11月11日判決 判例時報2304号54頁
(争点)
患者退院時における院長の説明義務違反の有無
(事案)
患者A(昭和31年生で、柔道整復師として自宅に併設する接骨院を経営していた男性)は、遅くとも平成18年頃から、高血圧と糖尿病の治療(血液検査を含む。)を受けるために近隣のC診療所に定期的に通院していたほか、平成20年当時は、口腔が著しく進行した歯槽膿漏の状態にあったが、同年9月中旬までは日常生活に支障を生じる程の身体症状を訴えることはなかった。なお、Aは、平成18年1月21日に脳出血を発症してD病院に救急搬送され、保存療法が行われた後、脳出血梗塞後遺症の左片麻痺について、E病院に転院してリハビリ治療を受けたが、その途中でAの強い希望で退院し、以後、自宅の整骨院でリハビリをしていたのであり、心疾患の治療歴はなかった。
Aは、平成20年9月10日、C診療所で、上記定期検査としての血液検査を受けた。その結果は、白血球数が9100、血小板数が25万7000、CRPが3.2であった(なお、正常基準値は、白血球数が約3300~約9000/μl、血小板数が約14万~約34万/μl、CRPが0.30mg/dl以下である)。
Aは、同年9月中旬頃から下痢の症状が続いていたところ、同月18日の夕方頃、自宅において、激しい息切れと酷い下痢の症状を起こし、その場では動けないほどの状態となったことから、紙おむつを履いた上、家族に連れられてC診療所を受診した。C診療所の担当医師は、Aの上記症状を見て、同診療所では対応困難と判断し、総合病院を受診することを勧め、Y医療法人が経営する内科、消化器外科等を診療科目とする総合病院(以下、Y病院という)を紹介した。そこで、Aは家族とともにC診療所における同月10日の上記血液検査結果を持参して、直ちにY病院の夜間外来を訪れ、同日の当直医であったT医師(Y病院の外科医長であり、消化器外科専門)の診察を受けた。
T医師は、Aを聴診するとともに胸部及び腹部についてX線撮影を行ったが、呼吸音は清明であり、心雑音は聴取されず、X線画像上の異常も認められなかった。しかし、T医師は、Aが紙おむつを履かざるを得ないほど酷い下痢の状態にあり、問診時に、全身の倦怠感、胸部不快感を訴えて著しく気分不良な様子を見せていた上、数日前から下痢が続いている、食欲がない、息切れがする等の症状があったと述べたことから、原因は明らかではないものの、何らかの重大な疾患を有している可能性が高いと考え、その原因を探索すべく、Aについて、入院の上、翌日以降に胃検査、注腸造影検査、ホルター24時間心電図検査、頭部CT検査、心エコー検査等を順次実施していくこととした。
もっとも、平成20年9月18日は、Y病院の病室が満床であったことから、Aは、輸液を受けながらY病院の点滴室に滞在することとし、翌日に病院が空き次第、入院することとなった。
Aは、9月19日午後2時頃、点滴室から病室に移動し、Y病院に入院した。Aの主治医はT医師となった。T医師は、上記のとおり、Aが何らかの重大な疾患を有している可能性が高いと考えたことから、消化器系の感染性疾患や腫瘍、悪性腫瘍等の疾患、白血病等の血液疾患、心疾患等のあらゆる疾患を疑いながら、鑑別診断に向けて各種検査を順次実施することとして、入院期間は約2週間を計画するとともに、Y病院の院長であるM医師(以下、M院長という。)に対してもその旨を報告した。
Aは、9月19日、入院初日の検査として、胃・十二指腸検査、頭部CT検査、血液検査を受けたところ、胃・十二指腸に明らかな病変は認められず、頭部にも特段の異常は認められなかった。血液検査の結果は、白血球数が1万6100、血小板数が25万8000、CRP値が3.1であり、体内において何らかの炎症が生じていることが窺われたほか、体温は37度であり、血液中の酸素飽和度(SpO2)は85%であった。なお、翌日以降の検査としては、同月24日に注腸造影検査が予定された。
Aの妻X1は、Aの入院後、自宅と病室を何度か行き来したが、そのたびにAの紙おむつ内に便が残された状態になっていた上、9月20日午後7時15分頃、Aの見舞いに訪れた際にも紙おむつ内に便が残され、シーツにも便が付着した状態であったことから、Aに対して適切な看護が行われていないと感じ、M院長に苦情を述べた。これに対し、M院長は、Y病院は24時間体制の完全看護ではないため、Y病院における看護に不満があるのであれば退院するよう求めた。そこで、X1が、M院長に対し、Aが退院可能な状態であるか尋ねたところ、M院長は、Aに対する血液検査結果において炎症反応を示す数値が認められたことや酸素飽和度も低いことからすると、Aの全身状態を悪化させている何らかの病態が窺われるにもかかわらず、前日までに実施された腹部・胸部のX線検査、胃・十二指腸検査や頭部CT検査において特段異常が認められなかった一方で、カルテや入院計画書においてAには精神不安定な症状が認められる旨の記載があったことをとらえて、X1に対して、Aの症状は内科的な疾患によるものではなく精神的な原因によるものであるから退院して差し支えない旨を述べた。
X1は、Aの症状が精神疾患によるものであるかのようなM院長の説明に納得することはできなかったが、上記のようなM院長の発言内容や応対態度からY病院に対する不信感が強くなったこともあり、同日、Aを退院させることとし、同日午後8時30分頃、AはY病院を退院した。
なお、Aが退院するにあたり、M院長が、X1に対して、主治医であるT医師が、具体的病名は不明であるものの、Aの症状からは何らかの重大な疾患を有している可能性が高いと判断していたことや、鑑別診断に向けて各種検査の実施を予定ないし計画していたことについて説明することはなく、退院するのであれば他の病院を受診して検査を受けるよう勧めることもなかった。
Aは、Y病院を退院した後、他の病院を受診することもなく自宅で療養していたが、Aの全身状態は改善しなかった。
X1は、9月22日、医療費の精算の為にY病院を訪れた際に、T医師からAの症状が心配なので、注腸造影検査だけでも受けるように求められた。X1は、そこで、T医師の勧めに従い、Aの検査として9月25日に注腸造影検査を予約し、その後、ホルター24時間心電図、心エコー検査を受けていくことを了解した。
Aは、同月25日、注腸造影検査を受けるためにYを訪れた。しかし、Aを診察した外来担当のH医師及びM院長は、Aに脱水症状が強く見られた上、著しい倦怠感や気分不良を訴えるなど全身状態も悪かったことから、注腸造影検査の適応にないと判断して、同検査の実施を中止し、1000ccの点滴を行うほか、同日の検査としては、血液検査、尿検査、胸部X線検査を行った上、翌日までの検査として、ホルター24時間心電図検査を実施することとした。そのため、Aは、同日の各検査終了後、ホルター24時間心電図検査の機器の貸し出しを受け、これを装着した状態で帰宅し、翌日に再度Y病院を受診することになった。
Aは同月26日、Y病院を訪れ、T医師の診察を受けた。T医師は、前日に行った血液検査の結果、血小板数が初診日(同月19日)と比較して著しく減少していた(25万8000→9万2000)ことから、同26日、血液凝固検査を実施したところ、フィブリン等の分解産物量(FDP値)は22.6μg/ml(正常基準値:約10以下)、フィブリノゲン値は91mg/dl(正常基準値:約50~400)、プロトロンビン活性値(PT%)は35%(正常基準値:70%以上)であり、明らかな血液凝固反応が認められた。
そのようなことから、T医師は、AがDIC(播種性血管内凝固症候群)を発症していると判断し、X1に対しては、原因は不明である(感染症、悪性腫瘍等が疑われるものの、病名を断定できる段階ではない)が、AはDICの状態にあって生命の危険があること、入院して継続的に点滴治療を実施し、上記状態を改善する必要があることを説明した上、Aに対しては、抗凝固療法としてFOY(1200mg/day)の投与と、感染症を考慮した抗生剤としてフルマリン(4g/day)の投与を開始した。
T医師は、同月27日、Aに対する診察において、聴診を行った際、逆流性心雑音が聴取されたことから内科医のR医師にも聴診を求めたところ、心臓部の血流が逆行していることが確認され、感染性心内膜炎の可能性が指摘された。そして、感染性心内膜炎は、抜歯等の外科的処置後の細菌感染がその原因の1つとされていることから、T医師とR医師は、Aの口腔内を見たところ、相当悪化した歯槽膿漏が認められた。上記のような所見に加え、Aに微熱が続いていることを併せ考えた結果、T医師は、Aは敗血症を伴う感染性心内膜炎を発症している可能性が高いものと判断した。
そこで、T医師は、原因菌を特定するための血液培養検査と感染性心内膜炎を確定的に診断するための心エコー検査を9月29日に行うことを予定するとともに、Aが感染性心内膜炎を発症している可能性を考慮し、抗生剤の種類をペントシリン(合成ペニシリン製剤、4g/day)及びゲンタシン(ゲンタマイノシン硫酸塩、1A/day)に変更するとともに、血液凝固因子を補充するため、新鮮凍結血漿(FFP)を、臓器を保護する目的で急性循環不全改善剤(イノバン)をそれぞれ投与した。なお、9月27日のAに対する血液検査及び血液凝固検査の結果から、Aの血小板数が更に減少し、DICの状態も悪化していることが認められた。
Aは、9月29日、心エコー検査を受けたところ、左心部の僧帽弁に疣贅が認められ、僧帽弁閉鎖不全症(Ⅳ度)を伴う感染性心内膜炎を発症していることが確定的に診断された。なお、Aが入院当初から訴えていた著しい倦怠感等に変化はなく、呼吸状態も悪化していた等全身状態は依然として不良であった上、肝機能障害を示す総ビリルリン値からDICが臓器障害を引き起こしている可能性も窺われた。
T医師は、上記心エコー検査の結果、Aの感染性心内膜炎は、重度の僧帽弁閉鎖不全症を伴うものであることからすると外科手術を検討すべき段階にある一方で、敗血症とDICを併発し、全身状態も悪い現状ではおよそ手術適応の状態にないものと考えたが、今後の内科的治療によって上記状態が改善された場合は、早急に外科手術の実施を検討すべきことになると考え、これに対応可能な心臓血管外科を有するO病院に転院を求めることとした。
Aは、同29日、Y病院からO病院に転送され、循環器内科のF医師らによる診察及び心エコー等の検査を受けたところ、左心房が拡大し、僧帽弁からの逆流が高度に認められるとともに、同部位付近に約1cmの疣贅が認められ、重度の僧帽弁閉鎖不全症を伴う感染性心内膜炎を発症していることが再確認された。また、Aは、同日、消化管出血によるものと思われる黒色の便も認められた。
F医師は、上記の検査結果等を踏まえ、Aに対して、血液培養検査のための血液を採取した後、抗生剤であるペニシリン(1800万単位/day)とゲンタシン(120mg/day)を投与することとした。
Aの全身状態は、9月30日以降も依然として不良であり、血液検査からDICの状態に変化はなく、肝機能障害も窺われたほか、消化管出血による症状も続いた。そこで、F医師は、前日に引き続きペニシリンとゲンタシンの投与を行うとともに、Aが発症した感染性心内膜炎の原因として著しい歯槽膿漏による口腔内からの菌の侵入が考えられたことを踏まえ、同日、Aに対して保存不可能な歯を全部抜歯する処置を実施した。
しかし、その後もAの症状は改善せず、同年10月2日には、Aの痰内からMRSAが検出された。そこで、F医師は、抗生剤として幅広い細菌に効果を有するメロペンとMRSAに有効なタゴシットを追加するなどしたが、Aの全身状態に特段の変化はなく、血液検査の結果からは腎機能障害や肝機能障害によるものと思われる異常数値が認められた。
平成20年10月8日に明らかになったO病院の入院時に実施したAの血液培養検査の結果によると、Aの血液から検出された細菌は、緑膿菌類縁菌とMRSAであった。なお、これに先立ち、Y病院において同年9月29日に実施した血液培養検査の結果によると、Aの血液からは表皮ブドウ球菌が検出された。そのようなことから、Aに対してDIC及び感染性心内膜炎を引き起こした原因菌については、結局特定することはできなかった。
F医師は、上記血液培養検査の結果を踏まえ、同年10月10日に、抗生剤を一部変更するなどしたが、Aの不良な全身状態や腎機能、肝機能の異常数値を改善するには至らず、消化管出血も収まらないまま、Aは多臓器不全の状態となり、同月15日、敗血症性ショックにより死亡した。
そこで、Aの遺族(妻X1及び4人の子)がY医療法人に対して、診療契約上の債務不履行または使用者責任に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。
一審(大阪地方裁判所平成27年5月11日判決)は、M院長の説明義務違反による不法行為が成立するとして、Y医療法人の使用者責任を認め、遺族に対して合計で330万円の支払いを命じた。
Y医療法人はこれを不服として控訴し、遺族らは附帯控訴(Y医療法人側の控訴に附帯して、遺族側の敗訴部分に対する不服申立を行う手続き)した。
(損害賠償請求)
患者遺族(妻、子4人)の請求額
一審:合計3000万円
(内訳:死亡慰謝料3000万円+逸失利益4001万3862円+葬儀費用150万円+遺族固有の慰謝料500万円+弁護士費用500万円の合計の一部)
控訴審:1830万
(内訳:一審と同じ)
(裁判所の認容額)
一審及び控訴審裁判所の認容額 遺族合計330万円
(内訳:患者の自己決定権を侵害する不法行為による精神的苦痛に対する慰謝料300万円+弁護士費用30万円)
(裁判所の判断)
患者退院時における院長の説明義務違反の有無
この点について、裁判所は、医師ないし医療法人は、患者との間で診療契約を締結した以上、当該患者に対する診療行為を終了させるにあたっては、当該患者あるいはその家族が、当該患者の有する病態の現状や治癒に至ってない場合の将来的な治療の必要性及び治癒の可能性等について既に十分に理解しているとか、それらに関する説明を患者が明確に拒否したとか、患者にそのような説明をしないことについて法令上の根拠その他正当な理由があるなどの特段の事情のない限り、当該患者に対しては、それまでの診療経過をもとに上記説明をする(高次医療機関等に対する転送時には必要な情報提供としての申し送りをする)義務があると判示しました。
その上で、医師が患者に対してその時点において診療行為を終了させることの当否を自ら検討するに足りる程度の情報提供を行うことなく診療を終了させることは、特段の事情の無い限り、診療行為による結果を自らの合理的な判断によるものとして受け止めたいという人格的な利益を確保するための自己決定権を侵害する行為として、不法行為なし診療契約上の債務不履行に該当すると判示しました。
そして、これを本件についてみると、M院長は、Aが退院するにあたり、Aの症状が重大な疾患による可能性があり、それを鑑別するための検査が予定されていることを伝えず、これを放置した場合の危険性について説明をするどころか、上記可能性や危険性がないかのような誤った情報を提供したというのであるから、Aの自己決定権を侵害する不法行為に該当すると判断しました。
Y医療法人は、慰謝料額の算定に当たり、Aの妻X1が自らの意思でAを退院させたという事情を考慮に入れるべきである旨主張しましたが、裁判所は、上記事情をもって直ちにX1の過失が基礎づけられるものではない上、X1がAを退院させたのは、M院長の不適切な対応に原因があったというべきであるから、X1の上記対応をいわゆる被害側の過失として斟酌することはできないと判示し、Y医療法人の主張を採用しませんでした。