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No 324 「インプラント手術後、患者に知覚障害が生じ、下歯槽神経麻痺との診断。大学歯科病院の歯科医師に、下顎枝からの骨採取を行う際、切削器具を下顎管に到達しないよう慎重に操作すべき注意義務違反を認めた地裁判決」

東京地方裁判所平成26年8月21日判決判例タイムズ1415号260頁

(争点)

右下顎枝から骨採取を行った際の注意義務違反の有無

(事案)

X(昭和24年11月生まれの女性)は、当時受診していた歯科医師から、Y学校法人が設置・運営するY大学歯科病院(以下、Y病院とする。)を紹介された。

平成12年11月16日、Xは、Y病院の保存科を受診し、義歯治療を受けていたが、インプラント治療を希望するようになり、同病院のインプラント科に紹介された。

平成18年5月18日以降、Xは、Y病院のインプラント科を受診し、同科のH歯科医師の診察を受けた。H歯科医師は、上顎堤の吸収が著明であったため、CT撮影を行った後に方針を決定することにした。H医師は、同年6月5日、Xに対し、同月1日に撮影したCT写真に基づき、インプラント治療計画として、保存不可能な歯を抜歯し、抜歯部位に骨が再生するまでの間は義歯を作成して待機すること、インプラント手術を行うに当たっては、サイナスリフト及びGBR法(再生したい部分を専用の膜(メンブレン)で覆うことによって、骨組織の再生を図る方法)を用いる必要があることなどを説明した。サイナスリフトとは、上顎臼歯部にインプラントを適用する際、歯槽骨頂から上顎洞底の間にフィクスチャー(骨に埋め込む金属の土台。インプラント体)を埋入するために必要な距離が確保できない場合に行われる方法で、まず、上顎骨外側面を剥離、露出させ、上顎洞外側骨壁に骨切りを行い、骨窓を形成。次に、骨窓の骨片を内側に押し込み、上顎洞底粘膜(シュナイダー膜)を骨片と共に上顎洞窟底から剥離、挙上し、上顎洞底粘膜と上顎洞底骨面との間に空隙(移植床)を形成した上で、骨移植を行う術式である。

遅くとも平成19年4月頃までに、Xは、Yとの間で、YがXに対しインプラント治療(インプラント手術及び上部構造の作製、装着等)を行うことを内容とする契約(本件契約)を締結した。なお、本件契約に基づくXのインプラント治療においては、2回の手術が予定されていた。

同年4月25日、XはY病院に入院し、同月27日、H歯科医師を術者、S歯科医師ほか3名の歯科医師が助手を務めて1次手術が行われた。

1次手術では、最初に右上顎のサイナスリフトが行われた。次に、両側下顎枝からの採骨が、右下顎枝、左下顎枝の順に行われた。右下顎枝は頬舌的な骨の幅が狭かったため、トレフィンバー(骨移植に必要なブロック骨を採取するために使用する円形の切削器具)を用いて採骨した。続いてフィクスチャーの埋入が行われた。

Xは、同年5月5日、退院した。

Xは、本件1次手術を受けた後、右側オトガイ部のしびれ等の知覚異常を訴えるようになった。

Xは、平成20年1月18日、Y病院において2次手術を受けた。当該手術は、骨の治癒が終了し、フィクスチャーが骨に定着した後、歯肉を切開して粘膜を貫通させ、フィクスチャーを露出させて、フィクスチャーと上部構造との連結部であるアバットメントを装着するものである。

その後、上部構造の装着に向けた型取りや仮歯装着、咬合採得、上部構造の作製などを経て、平成21年6月23日、上部構造が装着された。Xは、本件2次手術を受けた後も、右側オトガイ部のしびれ等の知覚異常を訴え続けた。

本件1次手術及び本件2次手術に関する費用の合計は199万6050円、上部構造に関する費用の合計は252万円である(以上を併せて「本件手術費用等」という)。

Yは、Xに対し、平成21年6月6日、本件1次手術及び本件2次手術に関する費用199万6050円を、同月24日、上部構造に関する費用252万円を、それぞれ支払うよう請求した。

Xは、平成23年2月21日から同年5月2日までの間、A大学歯学部附属歯科病院(A大病院)を受診し、同病院の担当医により「右側三叉神経痛(第Ⅲ枝)」、及び「右側下歯槽神経麻痺」と診断された。

Xは、同年6月2日、B大学歯学部附属病院(B大病院)を受診し、各種知覚検査を受けたところ、右側口角の触覚過敏、右側オトガイ部の触覚鈍麻並びに右側口角及び右側オトガイ部の痛覚過敏が見られるとの診断を受け、同年7月11日、同病院の歯科医師により、「右側オトガイ部ニューロパシックペイン」及び「右側下歯槽神経マヒ」の病名で「症状の発現から長期間経過しており、完全な症状の消失は難しいと考えられる」と診断された。

Xは、平成22年5月25日頃、Yに対し、Y病院のH歯科医師が本件1次手術の際にXの神経を損傷したことによる本件契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権を自動債権として、YのXに対する本件手術費用等の請求権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

Yは、Xに対し、本件契約に基づき、本件手術費用等及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた(本訴)。これに対し、Xは、Y病院の歯科医師には、術中にXの右下顎枝から骨採取を行った際に下歯槽神経を損傷した注意義務違反があるなどと主張して、Yに対し、債務不履行(民法415条)又は不法行為(使用者責任。民法715条)に基づき、損害賠償金及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた(反訴)。

(損害賠償請求)

損害賠償請求(患者の反訴)及び医療費請求(病院側の本訴)
 患者の請求額:942万4268円
(内訳:治療費等32万8747円+通院交通費2万7790円+休業損害132万4931円+傷害慰謝料141万7000円+逸失利益686万0599円+後遺障害慰謝料290万円+弁護士費用85万6751円-手術費用等のうち、正常な治療に基づくものの控除429万1550円)

病院側の請求額:451万6050円(手術に関する費用)

(裁判所の認容額)

裁判所の認容額:患者の請求につき0円
病院側の請求につき20万3538円
理由...患者の請求のうち、431万2512円の損害賠償請求権を認め、これと病院側の請求額451万6050円との相殺の結果、差額の20万3538円(及び遅延損害金)の支払いにつき認容。
患者の431万2512円の損害賠償請求権の内訳:治療費7万0300円+通院交通費1万3940円+休業損害61万2602円+傷害慰謝料100万円+逸失利益112万5670円+後遺障害慰謝料110万円+弁護士費用39万円)

(裁判所の判断)

右下顎枝から骨採取を行った際の注意義務違反の有無

裁判所は、B大病院でCT画像(後医CT画像)が撮影された平成23年6月7日当時、Xの右下顎枝前縁部には、内部にある下顎管へ通じる欠損(本件欠損)が存在していたことが認められるところ、本件欠損が本件1次手術においてトレフィンバーによる切削が行われた位置の近くに存在すること、Xが、本件1次手術後、創部の腫脹が引き始めた頃から6年以上にわたって下口唇や右側オトガイ部の知覚障害を訴えており、これらの症状は下顎管内を走行する下歯槽神経が損傷した場合に生ずる知覚障害と整合し、A大病院及びB大病院において下歯槽神経麻痺等の診断を受けていること、本件1次手術時のトレフィンバーによる切削以外に本件欠損の原因となり得る事情を認めるに足りる証拠がないことからすれば、本件欠損は、本件1次手術における骨採取の際、トレフィンバーが下顎管まで到達したことによって生じたものであり、下顎管まで到達したトレフィンバーにより下歯槽神経が損傷したものと認められると判示しました。

その上で、裁判所は、文献において、下顎枝からの骨採取の際には下歯槽神経の損傷に注意し、下顎管から十分な距離を確保する必要があること、トレフィンバーはその切削能力の高さから下顎舌側皮質骨を貫通する危険性があること(なおこれはオトガイ部からの採骨についての記載であるが、皮質骨を貫通する危険性があることは、下顎枝からの採骨においても同様であると考えられる。)が指摘されていること、下歯槽神経を損傷すると、下口唇から下顎にかけての皮膚や口内の粘膜に麻痺が生じ、患者の日常生活に多大な支障が生ずること、H歯科医師は術前に撮影されたCT写真によって下顎枝における下顎管の位置関係を把握していたことからすれば、H歯科医師は、右下顎枝から骨採取を行う際、術前に上記の位置関係を念頭に置き、トレフィンバーを挿入する位置、方向及び深度等を調節して、トレフィンバーが下顎管まで到達しないよう慎重に操作すべき注意義務を負っていたと認定しました。

この点に関して、Yは、H歯科医師は、右下顎枝から採骨するに当たり、CT写真によって把握された下顎管の位置から余裕を持たせ、トレフィンバーを、下顎枝の歯槽頂部から頬側に向けて、深度目盛りが8mmを示す位置まで挿入して切削を行ったと主張し、H歯科医師もその陳述書及び本人尋問においてこれと同旨の陳述を行いました。

しかし、裁判所は、実際にはこれと異なり、後医CT画像に基づきD調停委員およびN歯科医師が述べるように、H歯科医師は、歯槽頂の少し下の部分から舌側に向けて切削するなどして、その結果トレフィンバーを下顎管に到達させたものであるから、H歯科医師は、トレフィンバーの操作について、上記の注意義務に反したものと判断しました。

そして、Xが相殺の意思表示を行ったことにより、自働債権である損害賠償請求権は全部消滅し、他方、受働債権である本件手術費用等請求権は20万3538円を残して消滅すると判示し、Xに相殺後の残額20万3538円及び遅延損害金の支払いを命じました。

その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2016年12月12日
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