大阪地方裁判所平成19年11月7日判決 判例時報2025号96頁
(争点)
- グループホーム入居者の転落事故におけるホーム運営者の義務違反の有無
(事案)
X(女性、事故当時86歳)は小学校教員を退職後、1人暮らしをしていたが、平成15年9月にXの長女A(幼少のころから別離していたが、平成5年ころ再会した)に引き取られ、Aの自宅で暮らすようになった。
その後しばらくして、Aの体調が悪化し、介護疲れも影響して、Xの面倒を見ることのできない状態になり、施設を探して、Y有限会社(以下、Yという)が開設運営する、認知症対応型共同生活介護施設であるYグループホーム(以下、本件施設という)を知った。そして、平成15年11月7日、Xの孫であるBとその夫B2が、YのC(Yの代表者)及びD(Yの管理責任者)と面接をした。
また、Xについて、E診療所が、平成15年11月7日付けで入居者対象者診断書を出した。それによると、現疾患名は、老人性認知症などとされ、ADLについて、程度は「保持」、日常の寝たきり度につき「屋内はほぼ自立だが外出には介助必要」、認知症の程度につき「日常生活に支障のある症状や行動や意思疎通の困難があり介護を必要とする」、日常生活の状況につき、食事自立(自力で可能)、排泄自立、入浴要観察(一部介助)、更衣要観察(一部介助)、整容要観察(一部介助)、移動自立、歩行自立、寝返自立、炊事・洗濯・掃除一部介助と記載されていた。なお、間接可動域制限については「なし」、「意思表示及び話の了解」については「大体できるが不完全」とされていた。
Xは、平成15年11月18日に、Yとの間で、認知症対応型共同生活介護サービス利用契約(本件契約)を締結し、同日付で本件施設に入居した。入居に際して、Dが、居宅介護サービス計画書を作成した。契約書には、敷金を80万円とし、退去時に50%を差し引いて返還するものと定められている。
Yの入居説明書等には、部屋は全室個室で洋室だが、畳を持ち込み、和室にすることも出来ること、ベッドはすべて持ち込みとなることが記載されている。本件施設の居室の床はフローリングであって畳を上に置き、その上に布団も引くこともできる状態であったが、Yとの話し合いにより、そのままの床の状態でベッドを持ち込むこととなった。
そして、入居にあたり、X側は電動リクライニングベッドを購入して持ち込み、B2が設置した。このベッドは、床からマット上までの高さが36cmのものであり、使用時にはその上に更にマットと布団を敷いていたため、床から上面までの高さは44cm程度であった。なお、設置にあたり、電動によるリクライニングは使用しないとのことから、稼働しないような状態にされていた。
そして、上記ベッドには、ベッド柵など転落防止用のものは設置されていなかった。
Xは、同年11月20日に、隣室のFの居室でFと2人で就寝していたが、ベッドより転倒し、唇、あご及び脇腹を打撲した。氷で冷やして湿布で対処するも、あごには内出血の腫れ、唇の出血があった。
Dは、翌日にAに対してこの転落について連絡した。
同月27日午前0時15分、ドスンという音がしたため、職員がXの居室に行くと、Xがベッド横でうつぶせになっていて、ベッドから転落した様子であった。Xの意識レベルは正常であったが、「動けない」「気分が悪い」などの訴えがあり、血圧173/86、脈拍77、体温35.6度であった。
Xは同日午前2時、居室より出てトイレに行ったが、前かがみがひどく、何とか手ひきで歩ける状態であり、トイレで排尿したが、失禁しており、ベッド上にて全介助で更衣された。これを契機として、Xにはポータブルトイレの使用が開始されるようになった。なお、外傷がなかったことから、この日のことはA側に連絡されなかった。
同年12月4日午前1時、Xがベッドから落ちそうになっていたため、職員がベッドサイドに椅子を置いて対応した。なお、これを契機として、以後、具体的な対策がとられた形跡はうかがえない。
Xの要介護状態について、12月8日に、市長から区分変更通知書が出され、区分が本件契約当時の「要介護2」から「要介護3」へと変更された。
同年12月23日夜間の巡回時に、Xがベッドすれすれに寝ていたのが発見され、職員が移動させた。
なお、これを契機として、以後、具体的な対策がとられた形跡はうかがえない。
A及び孫のB夫婦は、平成16年1月12日、本件施設を訪問してXと面会した後、Dと面談した。もっとも、A及びB夫婦とDとの話合いにおいて、11月27日にXがベッドから転落したことや、12月4日及び23日にベッドから転倒しそうになっていたことについての説明はされなかった。
平成16年1月30日午前1時20分、ドンという音で職員がXの居室に駆けつけたところ、Xがベッドから転落して(本件事故)、ベッドの床横側に長い座位の状態でいるのが発見された。その時点で、Xの血圧186/86、脈拍80、体温35.6度、意識は良好であった。Yの職員は、午前1時50分に、Xに湿布3枚を貼り、午前9時30分に、Xの家族へ電話をして事実報告をした。
その後、近隣の病院で受診したところ、Xは左大腿骨転子部骨折のため手術の必要があるとされ、手術のためG病院に入院した。
Xはその後の同年3月24日まで、治療のため、G病院に入院し、さらに同日以降同年5月18日までH病院に入院した。
Xは、平成16年3月10日付け内容証明郵便で本件契約を解約するとの意思表示をして、3月末日に本件施設から退去した。退去にあたり、敷引がされ、Xは交付した敷金80万円のうち、40万円のみの返還を受けた。
Xは、現在、特別養護老人ホームで生活をしており、寝たきりの状態にある。
そこで、Xは、本件事故に関して、Yには不法行為または債務不履行による損害賠償の支払いを求め、また、敷引が不当であるとして、40万円分の返還を求めて訴訟を提起した。
(損害賠償請求)
入居者の請求額 合計 3447万4241円
(内訳:治療費60万2031円+入院雑費14万3000円+交通費5840円+入院慰謝料210万円+後遺障害慰謝料2800万円+文書料1万1070円+成年後見申立費用21万2300円+弁護士費用300万円+入居時に差し入れた敷金80万円と返還された40万円との差額40万円)
(裁判所の認容額)
602万8641円
(内訳:治療費60万2031円+入院雑費14万3000円+交通費5840円+入院慰謝料170万円+後遺障害慰謝料275万円+文書料7770円+弁護士費用52万円+敷金の追加返還30万円)
(裁判所の判断)
グループホーム入居者の転落事故におけるホーム運営者の義務違反の有無
裁判所は、まず、Yは、本件施設の利用者に介護サービスを提供するにあたり、介護事業者として、利用者の生命、身体に危害が及ばないように事故防止のために必要な措置を尽くすべく、本件契約に基づいて安全に配慮すべき義務を負っていることは明らかであると判示しました。
さらに、裁判所は、Yは、自ら策定、計画した介護サービスの実施にあたり、利用者及びその家族に必要な情報を随時提供し、利用者側の希望等をふまえて適宜計画を変更し、良質なサービスを提供すべきこともいわば当然のことと解されるから、上記安全配慮義務を尽くす前提として、本件契約から派生するものとして、Yは、介護に当たって利用者の介護上の情報を提供し、利用者や家族らと協議し、場合に応じて、事故防止のために十分に協議を尽くすべき義務をも負うと判示しました。
その上で、裁判所は、
- Xは、本件施設に入居した日からわずか2日後の平成15年11月20日に、ベッドから転落し、唇、あご及び脇腹を打撲し、あごの内出血の腫れ、唇の出血などの傷害を負ったこと
- それを契機として転落事故再発防止のための具体的な有効策が施された形跡がうかがえないこと
(なお、ベッドからの転落による受傷事故への対応策としては、ベッド柵の取り付け、ベッドの交換、ベッドから布団への変更、転落時の受傷を最小限に抑えるため、ベッド下に緩衝材を敷いたり、ヘッドギアを付けることなどが有効であるといわれるが、Yがそのような措置を講じた形跡は一切うかがえない。) - 1の転落の7日後(27日)には再度ベッドから転倒していること
- そのことについては、A側に連絡はされていないこと
- これを受けて転落事故再発防止のための抜本的な有効策が講じられていないこと
- その後も、平成15年12月4日及び同月23日の夜間、Xがベッドから落ちそうになっていることが発見されたが、それにもかかわらず、転落防止策について、有効な策は何ら講じられていないこと
- 平成16年1月12日、A、B夫婦が本件施設を来訪し、Dと話合いを持った際も、平成15年11月27日にXがベッドから転落したことや同年12月4日及び23日にベッドから転落しそうになっていたことについて一切説明はされず、転落に係る事情についての十分な情報提供と、それを踏まえての事故防止に向けた家族との協議がされず、その結果、事故防止対策なども全く講じられていないこと
- 以上の経緯を経て、平成16年1月30日、本件事故が発生したこと
- 本件事故の報告書には、Y側の課題及び対処・改善点として、臥床時のベッド臥床位置の改善(中央より壁側で寝てもらう)、ベッドの見直し(ベッド柵、マットの使用)、臥床時の居室巡回などが報告されていたところ、そのような報告がその時点でされていることに照らすと、それまでに、これらの事項について十分な対策が講じられていなかったものと推測し得ること
などの事実を指摘しました。
そして、裁判所は、これらの事実によれば、本件では、Yの管理運営する本件施設において、平成15年11月20日の事故が発生してからも転落防止に向けた十全の措置がとられた形跡がうかがえないばかりか、それ以降にXが11月27日に転落し、12月4日及び23日に転落しそうになっていた事態についての情報提供とそれを踏まえた転落防止対策もおよそとられていなかったといわざるをえないと評価し、Yが介護事業者として、本件契約上負っている安全配慮義務や情報提供義務等を履行していなかったと評価せざるを得ないため、Yには債務不履行責任が生ずると判断しました。
以上のことから、裁判所は、Yに対して、上記裁判所認定額の賠償を命じました。その後、判決は確定しました。