東京地方裁判所平成23年10月6日判決 判例タイムズ1409号391頁
(争点)
Yの注意義務違反の有無
(事案)
X(手術当時35歳の男性・会社役員)は、両眼とも近視性乱視(両眼の裸眼視力がそれぞれ0.3)であったことから、イントラレーシックによる屈折矯正手術に関心を持ち、平成17年7月4日、医師Yが院長をつとめていたY病院に行き、手術のための診察を受けたところ、同月6日にイントラレーシック手術(以下、本件手術)を受けることとなった。
なお、レーシック手術とは、角膜(何層かの膜に分かれている)にエキシマレーザーを照射し、光の屈折率を調節する屈折矯正手術である。フラップ(角膜上皮から角膜実質層にかけて作成される薄い膜であり、蓋のような役割を果たす)を角膜に作成し、フラップをスパーテル(金属製の器具)でめくって露出させた実質層にエキシマレーザーを照射して、角膜の屈折率を調節することで視力を回復させる。
レーシック手術のうち、フェムトセカンドレーザー(以下、FSレーザー)と呼ばれるコンピュータ制御されたレーザーを用いてフラップを作成する方法を、イントラレーシック手術という。
同月6日、Xは、Y病院において本件手術を受けた。
本件手術後、Xの左眼の視力については1.5に回復し、その後2.0にまで回復したが、右眼の視力は回復せず、角膜混濁、角膜皺形成などの障害が生じた。
XとYは、損害賠償についての交渉を行い、平成17年9月17日、Xの営業にかかわる交通費(タクシー代)及び他院での診察治療費について、XがYにそれらの領収書を提出しYが相当額を支払う旨の約定などが記載された本件合意書を取り交わした。
Yは、本件合意書に基づく金員の支払を平成19年12月27日まで続けたが、同日を最後に中断した。その後、XはYを相手方として調停を申し立てたが不調に終わり、その後Xは訴訟を提起した。
訴訟において、Xは、Yには角膜の適切な部位にフラップを作成すべき注意義務があったにもかかわらず、Xの右眼に作成されたフラップは、およそ400μmの深さに作成されたものであり、角膜実質深層にフラップの作成を試みた注意義務違反があると主張し、これに対して、Yは、フラップは適切な部位(正規の位置である110μm前後の深さ)に作成されており、Xの右眼に障害が生じた原因は、フラップをめくる際にスパーテルがフラップ作成部よりも深い層に侵入したことによると主張した。
(損害賠償請求)
患者の請求額 : 合計4670万3960円
(内訳:未払治療費17万9190円+未払交通費38万6280円+通院慰謝料230万円+将来治療費及び交通費651万0673円+現在発生している後遺障害慰謝料400万円+逸失利益2187万5716円+訴訟関連費用12万9930円+弁護士費用353万8178円+確定遅延損害金778万3993円)
(裁判所の認容額)
裁判所の認容額 : 合計704万7886円(及びこれに対する平成17年7月6日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金)
(内訳: 治療費10万2750円+タクシー代38万3280円+通院慰謝料125万円+後遺症慰謝料110万円+逸失利益344万1926円+訴訟関連費用12万9930円+弁護士費用64万円)
(裁判所の判断)
Yの注意義務違反の有無
この点につき、裁判所は、Yの供述や本件手術を行った際、FSレーザーの装置に各種数値、設定を入力したY病院の臨床工学技士Kの供述が、客観的な根拠や合理的な根拠に基づくものであると判断しました。
他方で、深さ360μmないし400μmの角膜実質深層部に広範囲の混濁が認められることが記載された、原告側証拠である、W1医師作成の照会回答書やW2医師作成のセカンドオピニオン報告書や、角膜実質深層部に広範な混濁があることを示すものとみられる画像があることからすると、Xが主張する深さにフラップが作成された可能性を完全に否定することはできないとも判示しました。
しかし、裁判所は、本件手術で用いられたFSレーザーの装置については、その設定上フラップを作成する深さを設定する項目である「DEPTH」に180μmよりも大きい数値を入力しようとすると警告文が表示されることが認められるから、同装置を用いて360μmないし400μmの深さにフラップが作成されたものとは考え難いと判断しました。
また、本件手術後に作成されたオートプリントレコードの記載中、「DEPTH」の項目に110との数値が記載されていることにも反すると判示しました。さらに、W2医師報告書も、スパーテルの侵入のみによってXの角膜実質深層部に混濁を生じた可能性を完全に否定するものではないと解されるし、W1医師回答書は400μmの深さにフラップが作成されたことを前提にしたものであるが、Xの角膜実質深層部に混濁や皺が形成された原因としては、「術者がスパーテルなどの器具を用いてフラップをLiftingしようと試みた際に前房内に穿孔した為と考えられる」などと述べており、スパーテルが本来よりも深い位置に侵入してしまったとするYの主張とも矛盾するものではないと考えられると判示しました。
そして、裁判所は、本件手術においてXの右眼に障害が生じたのは、Yが主張するとおり、スパーテルが角膜の深い部分に侵入したことによると認定しました。
その上で、スパーテルが誤った位置に侵入してしまったとの事実を前提とした場合であっても、医師がイントラレーシック手術を行うに当たっては、フラップをめくる際、スパーテルをフラップが作成された位置以外の誤った位置に侵入させ、角膜に傷を生じさせないようにするべき注意義務を当然に負うものと考えられるから、本件手術においてスパーテルを実際に操作していたものと認められるH医師は、上記注意義務に違反したものと判断しました。
そして、Yは、本件手術当時、Y医院の院長としてH医師を使用しており、使用者責任を負うと認定しました。
以上により、裁判所は、Yには、本件手術の際にスパーテルを誤った位置へ侵入させ、Xの右眼角膜を損傷させた注意義務違反が認められるところ、当該注意義務違反によって、Xの右眼には角膜混濁及び角膜皺形成並びにこれらに基づく不正乱視が生じ、これによって、Xの右眼視力は0.4ないし0.5の状態から矯正することが不能になったものと認定しました。
その上で、裁判所は、上記「裁判所の認容額」の限度でXの請求を認め、その後、判決は確定しました。