新潟地方裁判所長岡支部 平成22年10月27日判決 判例タイムズ1341号173頁
(争点)
- Aの直接死因である敗血症の原因は、本件手術の吻合部の縫合不全による急性汎発性腹膜炎であったか否か
- 6月18日には、Aに縫合不全による急性限局性腹膜炎を疑うべき所見が現れたのに、同日の段階で再手術などの適切な処置を取らなかった過失の有無
- 6月19日及び同月20日には、Aの容態がさらに深刻なものになったのに再手術などの適切な処置を取らなかった過失の有無
(事案)
平成16年4月、A(死亡時74歳・男性)は、B医院で大腸カメラによる検査を受けたところ、S状結腸粘膜下層にIp型早期がんがあると診断され、Y県の開設するY1病院(以下、Y病院という)を紹介された。
Y病院に勤務する外科医師であるY2医師は、Aを診察したところ、手術可能であると判断し、Aは平成16年6月7日、腹腔鏡補助下S状結腸切除術(以下、本件手術という。)を受けるため、Y病院に入院し、同年6月9日午後1時49分、Y2医師を執刀医として、本件手術が行われた。
なお、Y2は、平成7年に医師免許を取得後、麻酔科及び外科での勤務を経て、平成10年7月、Y病院外科に勤務し、平成13年1月にI大学消化機能再建学に勤務後、平成15年4月以降、再びY病院外科で勤務する医師であり、消化器外科及び一般外科を専門とし、日本外科学会認定医・専門医の資格を有している。
本件手術中、Aに特段の異常は見られなかった。本件手術は同日午後4時31分に終了した。手術終了後、手術部位にドレーンは留置されなかった。Aの術後管理は、Y2医師が担当医として引き続き行った。
事件当時、Y病院外科病棟では、医師らは自らの担当患者以外にも、病棟当番ないし病棟回診医の当番に当たった場合には入院患者の回診を行い、同当番の医師がカルテの記載を行うこととされていた。
術後のAの容態は以下のとおりであった(年は平成16年とする)。
6月10日、全身状態は概ね良好で腸蠕動音は弱く、白血球数は10400、体温は37度台を推移。
腹部については小腸ガスによる拡張が認められた。
翌11日も、腸蠕動音は弱く、しゃっくりおよび茶褐色の粘液ないし水様性の便が多量に見られ、体温は37.3℃から38.8℃の間を推移した。
6月12日、腸蠕動音は弱く、しゃっくりおよび緑茶色の水様便が多量に見られた。午前7時の体温は38.4℃であったが、午前10時には35.7℃になった。Y2医師は小腸ガスの確認のため、腹部レントゲン撮影を行ったところ、小腸ガスは大腸まで流れており、術後状態としては改善傾向にあるが、腸管蠕動がいまだ弱い状態であることが確認されたため、Y2医師は、Aが術後の小腸麻痺性のイレウスの状態にあると判断し、水分摂取の開始を遅らせ、腸管運動の回復を待つことにした。
6月13日、腹部の鼓音が見られ、しゃっくり、黄茶色粘液水様便がみられ、体温は36度台であった。下痢が頻回に見られたことから、Y2医師は、病原性大腸菌の有無の確認のため、Aの便の培養検査を依頼し(結果は陰性)、水分摂取の開始時間を遅らせた。
6月14日、Aは離床の傾向も見せたが、概ね前日と同様の症状であった。Y2医師は小腸ガスの消失を確認する目的で、再びAの腹部レントゲン撮影を行った。その結果大腸に達していたガスが左側結腸・吻合部を通過し、直腸まで達していると判断した。
6月15日、Aの下痢の症状の回復が見られたので、Y2医師は水分摂取を許可した。
6月16日、腸鳴が弱く、腹部は柔らかく、しゃっくりが見られたほか、下痢も続いていた。Y2医師は、前日からの水分摂取により誤嚥等の問題も起きておらず、朝の検温時の体温が平熱であったことから、この日の昼食から流動食を開始した。同日、手術創の全抜鈎が行われたが、手術創の感染は認められず、午後3時ころには入浴が実施された。
同日の白血球数は13300と増加しており、同日午後7時にはAの体温は38℃に上昇した。
6月17日、依然としてしゃっくりがあり、粘血混じりの茶色水様便、赤茶色便が見られた。腹部触診において、圧痛等の腹痛が見られなかったので、Y2医師は、流動食を続けて経過観察し、さらに粘血水様便が続くようであれば、流動食を中止することとした。
6月18日Aの体温は午前7時に38.4℃にまで上昇し、赤茶色の粘血便が見られた。
Y2医師は午前7時すぎに深夜勤の看護師から電話でAの粘血性水様便及び発熱の報告を受け、感染性腸炎による下痢を疑い、流動食の中止を指示し、抗生剤を投与することとした。この日のAの白血球数は16200と16日より増加したが、BUN、クレアチンと、腎機能を評価する項目の数値は基準範囲内であり、また、血中真菌検査結果にも異常はなかった。同日午後、Aの胸部レントゲン・腹部CT撮影が行われた。
朝の回診の際、回診担当のM医師はAの腹部を触診し、圧痛及び軽度の筋性防御を認め、その旨カルテに記載した。同日夕方行われる外科のカンファレンスに先立ちY2医師、M医師らを含む同病院の外科医師全員でAの腹部の触診をしたが、いずれの医師も、明らかな圧痛、反跳痛、筋性防御を認めなかった。同日、午後8時頃には38.6℃の発熱が認められ、この頃Aは看護師に対し、左側腹部が少し痛いと述べた。
6月19日、Y2医師が朝の回診を実施し、腹部触診の結果、圧痛、反跳痛、筋性防御の所見は見られず、腸音が聴取できた。発熱は認められなかったが、食事を止めて様子を見ることにした。
同日午後2時ころ、Aは看護師に対し、それほど苦痛ではないが左下腹部が痛いと訴えた。午後4時ころには体温は38.7℃となり、軽度の悪寒が見られるようになり、午後5時45分ころには38.6℃となり、午後6時45分ころには、40.3℃になり、午後9時ころには38.2℃となった。
Y2医師は、同日夕方にAの腹部触診を行ったが、圧痛、反跳痛、筋性防御の所見は認められなかった。Aの動脈血の培養検査を依頼したところ、検査結果の中間報告は6月21日、最終報告は6月22日にそれぞれ行われ、Aの動脈血内に腸球菌の存在が確認された。また、血液検査の結果Aの白血球数は16600と基準値を大幅に超えていた。
同日午後7時30分ころ、Y2医師は、より広い範囲の病原細菌菌種に効力を有する抗生物質に変更、投与し、午後7時40分ころ、Aの胸部レントゲン撮影を行ったところ、軽度の炎症所見と少量の胸水が認められ、肺炎の所見があった。
Aは、午後11時頃、全身から発汗するようになり、同日夜間から翌20日の未明にかけ、体温が40℃に上昇した。
6月20日午前2時ころのAの体温は35.8℃と大幅に低下し、その後も34.4℃から37.1℃の間を推移した。血圧は60mmHg/40mmHgと低い状態が続き、また午前6時の経皮的酸素飽和度が酸素マスク下であるにもかかわらず、92~93%と低下した。同日午前5時15分ころ、Aは看護師に対し、胸が痛く、以前狭心症をしたときのようだと訴えた。Y2医師は朝の回診で腹部を触診したが、圧痛、反跳痛、筋性防御の所見も認めなかった。同日の朝に2度、Aの血液検査を行った結果、白血球数は42700、43500と非常に高い数値を示し、BUNが27.9及び28.4、クレアチニンが2.51及び2.63と、前日に比べ腎機能が急激に悪化していることも判明した。
Aの腹部・胸部レントゲン撮影を行ったところ、腹部に少量の少腸ガスが認められ、胸部に肺炎の疑いを示す所見が見られた。Y2医師はAにDIC(播種性血管内凝固症候群)ないしその前段階の状態を疑い、急性循環不全の治療薬である強心剤カタボン、DICの治療薬EOY及びミラクリッドの投与を開始した。
同日午後9時2分に、腹部および胸部のCT撮影を行ったところ、腹部に広範囲の腹水、胸部については肺炎、両肺野の胸水および成人型呼吸窮迫症候群の所見が見られた。
Aの全身症状は悪化を続け、呼吸不全に陥りつつあったことから、午後10時16分、Y2医師は、呼吸管理のための気管内挿管を行った。
挿管前にAの腹部を触診したが圧痛、反跳痛、筋性防御の所見は見られなかった。
同月6月21日、Aの容態は改善の傾向を見せず、利尿剤を投与したのにもかかわらず尿量は乏しく急性腎不全の状態と認められた。白血球数は40900であった。Y病院医師らは、Aに人工透析を行うことを決め、人工透析終了の見込まれる午後4時ころ、開腹手術を行うこととした。同日午前9時ころ、Y2医師がAの妻Xらに対して、手術の説明をした際の説明用紙には、吻合部の縫合不全によって、腸管内容物が大量に漏れてしまったと思われること、手術をしなければ100%救命出来ないが手術自体も命がけであること、手術の内容としては腹腔内洗浄ドレナージを予定している旨記載されている。
Aの血圧を維持することが困難であったことから、Y2医師は強心薬カタボンを増量投与した上で別の強心薬ドブトレックスを投与したが、同日午前11時20分ころ、Aの動脈圧が30ないし40台と急激に低下し、同38分には心停止を来たした。Y2医師が心臓マッサージを施したが、午後0時5分、Aは死亡した。後日行われた合同カンファレンスでの検討の結果、Aの死因は術後の縫合不全よりもBT(バクテリアル・トランスロケーション;腸管粘膜の生体バリア機能が障害され、腸内細菌及び毒素が腸粘膜上皮を通過し、体内(腸管外)に侵入する現象)である可能性が高いと結論づけられた。
Xら(Aの妻および子ら)は、Y県、Y1医師(昭和59年に医師免許取得、平成7年9月にY病院の外科医長に就任し、以後、平成12年4月にY病院の外科部長、平成13年4月にY病院診療部長、平成15年4月以降病院副院長であった。消化器外科を専門とし、日本外科学会認定医・専門医・指導医、日本消化器外科学会認定医などの資格を有している。)及びY2医師に対して、腹腔鏡補助下S状結腸切除術による手術を受けた後に、同手術による吻合部の縫合不全により腸管内容物が漏出し、急性腹膜炎を発症したにもかかわらず、Y2医師らにおいて適切な措置を採ることを怠ったため、Aが急性腹膜炎に起因する敗血症に陥り、多臓器不全で死亡するに至ったとして、不法行為に基づく損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
原告らの請求額 : 合計3952万9255円
(内訳:逸失利益1207万5766円+慰謝料2500万円+葬儀費用245万3489円)
(裁判所の認容額)
裁判所の認容額 : 0円
(裁判所の判断)
1.Aの直接死因である敗血症の原因は、本件手術の吻合部の縫合不全による急性汎発性腹膜炎であったか否か
この点について、裁判所は、各所見を総合的に検討すると、Aについては、6月18日には、体内で何らかの重篤な感染症を来たしていたことは認められるところ、その原因が急性腹膜炎であることを示す積極的な所見は乏しいが、鑑定人が、Aの経過を踏まえ、回顧的見地に立って行ったと認められる判断(Aに腹膜刺激症状が認められない点も踏まえた判断である。)について、これを排斥するほどの事情はないというべきであると判示しました。
裁判所は、ただし、Aが急性腹膜炎を発症していたとしても、同人に圧痛、反跳痛、及び筋性防御といった腹膜刺激症状が見られなかったこと、白血球数が異常な高値であったことなど、Aの症状は、急性腹膜炎の症状としては、臨床上、非常にまれなものであったと言わざるを得ないと判示しました。
2.6月18日には、Aに縫合不全による急性限局性腹膜炎を疑うべき所見が現れたのに、同日の段階で再手術などの適切な処置を取らなかった過失の有無
この点について、裁判所は、急性限局性腹膜炎においても通常は腹膜刺激症状を呈するところ、6月18日の時点でAに腹膜刺激症状が見られなかったのであるから、同人が高齢者であったことを考慮しても、Y2医師らによる現実の診療時点において、急性限局性腹膜炎との判断(急性限局性腹膜炎の疑いを含む)をすることができなかったことは、やむを得ないというべきであると判示しました。
したがって、少なくとも同日の時点では、Aに対する緊急手術(腹腔内洗浄ドレナージを行うため開腹手術)の適応があると判断する根拠たる事実は認められず、よって、Y2医師らがかかる手術を行うべき注意義務も認められないと判断し、医師らの過失を否定しました。
3.6月19日及び同月20日には、Aの容態がさらに深刻なものになったのに再手術などの適切な処置を取らなかった過失の有無
6月19日について、裁判所は、既に認定したところによれば、6月19日のAの容体は、午後6時45分ころに戦慄を来たして40.3℃の高熱となるまでは、概ね18日と同様であったといえる上、19日夕方にY2医師がAの腹部を触診した際も、腹膜刺激症状は認められなかったのであるから、このときまでにY2医師らにおいて急性腹膜炎が発症した、又はその疑いがあると積極的に疑うべき状況にあったとはいえないと判示しました。その上で裁判所は、同日時点では、急性腹膜炎であるか否かの判断を確定させるためにCT検査を行う必要があると判断する根拠たる事実ないしAに対する緊急手術(全面開腹による腹腔内の洗浄ドレナージ及び人工肛門の造設を目的とする手術)の適応があると判断する根拠たる事実はいずれも認められないと判示し、Y2医師らが、19日の時点において、AにつきCT検査及び上記手術を行うべき注意義務は認められないと判断しました。
次に、6月20日について、裁判所は、Aに対して、Xらの主張するような急性汎発性腹膜炎への対処を目的とした緊急手術(ドレナージ及び人工肛門の造設等の全面開腹を伴わない手術)を行った場合、鑑定の結果によれば、手術による侵襲自体がAの生命に危険を及ぼす可能性もあった(同日は朝から血圧の低下及び呼吸不全が生じてきているため、手術自体の危険性も高かった)のであるから、Y2医師らにおいて、当時、緊急手術の適応であることが明らかな急性汎発性腹膜炎の疑いがあると認められなかったことがやむを得ないといえる本件の場合において、Y2医師らが、Aに上記緊急手術を実施すべき注意義務を負っていたと認めることはできないと判断しました。
以上により、裁判所は、医師らの過失を否定し、遺族の請求を全て棄却しました。その後、判決は確定しました。