最高裁判所 平成16年9月7日判決 判例タイムズ1169号158頁
(争点)
抗生物質投与後の経過観察をすべき注意義務及び救急処置の準備をすべき注意義務を怠った過失の有無
(事案)
平成2年7月19日、A(当時57歳の男性)は、Y1の開設する病院(以下、Y病院という)において、診察、注腸造影検査を受けたところ、S状結腸がんと診断された。
同年8月2日、Y病院に入院し、Y2医師が主治医となった。
Aは受診の際、「申告事項」と題する書面の「異常体質過敏症、ショック等の有無」欄の「抗生物質剤(ペニシリン、ストマイ等)」の箇所に丸印をつけて提出し、また、入院時には、Y病院の看護師に対し、風邪薬でじんましんが出た経験があり、青魚、生魚でじんましんが出る旨を告げた。
Y2医師は、上記書面の記載内容を見た上で問診を行ったが、その際、Aから、薬物アレルギーがあり、風邪薬でじんましんが出たことがある旨の申告を受けた。
これに対し、Y2医師は、風邪薬とは抗生物質の使用されていない市販の消炎鎮痛剤のことであろうと解釈し、Aに対し、具体的な薬品名、申告に係る薬物アレルギーの具体的内容、その詳細を尋ねることはなかった。
同月8日、Y2医師の執刀により、Bに対し、S状結腸がん除去手術(以下、本件手術という)が行われた。
Y2医師は、手術後の感染予防を目的として、本件手術直後から、第二世代セフェム系抗生剤であるパンスポリン及び第三世代セフェム系抗生剤であるエポセリンを、いずれも皮膚反応による過敏性試験の結果が陰性であることを確認した上で投与した。
同月23日、および24日には、Aに38度くらいの発熱が認められたことから、縫合不全の炎症が持続していると考えられた。また、上記各抗生剤の投与が2週間以上となり、菌交代現象等により縫合不全部の炎症に対する上記各抗生剤の効果が低下している可能性があることから、Y2医師は、抗生剤を変更する必要があり、合成ペニシリン系のペントシリンと第三世代セフェム系のベストコールを併用して投与するのが適当と判断した。そして、Aに対する、上記各抗生剤の過敏性試験が行われ、いずれも陰性と判定された。
同月25日午前10時、Aに対して、ペントシリン2gとベストコール1gが点滴静注により投与され、Aに特に異常はなかった。
同日昼にAの細菌培養検査の結果が判明し、4種類の菌が確認された。この結果によれば、ベストコールは2種の菌に、ペントシリンは3種の菌に感受性が認められたが、テトラサイクリン系抗生剤のミノマイシンは4種の菌すべてに感受性があることから、薬剤変更の緊急の必要性はなかったものの、Y2医師はベストコールをミノマイシンに変更するのが適切であると判断し、これと殺菌力を有するペントシリンとを併用して投与することとし、同日の夜の投与分から開始することとした。
なお、ミノマイシンは、過敏性試験をしても、アレルギーの有無に関わらず反応が現れる薬剤とされていることから、過敏性試験は行われなかった。
同月25日午後10時、Y病院のC看護師は、Aに対し、ペントシリン2g及びミノマイシン100g(以下、これらを併せて「本件各薬剤」という)の点滴静注を開始し、その直後の午後10時2分ころ、点滴静注開始によるAの状態の変化の有無等の経過観察を十分に行わないでAの病室を退室した。なお、Y2医師から、C看護師に対し、投与方法、投与後の経過観察等について格別の指示はなかった。
上記点滴静注を開始して数分後、Aは、うめき声を上げ、妻のX1に対して、点滴の影響で苦しくなったので、看護師を呼ぶように求め、X1はナースコールをした。
Y病院のD看護師は、看護師の詰所で上記ナースコールを聞き、午後10時10分にAの病室に入った。D看護師は、Aから、気分が悪く体がピリピリした感じがするという言葉を聞き、さらに、X1から、本件各薬剤を投与してから異常が現れたと告げられたため、本件各薬剤の投与を中止し、後からAの病室に入って来たC看護師にAの様子を見ておくように伝えた上で、当直医のE医師を呼びに行き、午後10時15分E医師に連絡した。
E医師がAの病室に到着するまでの間、C看護師は、Aから気分が悪いと言われたため、背中をさすって様子を見ていたところ、Aは「オエッ」という声を何回か発した後、白目をむいた。
その後、E医師とD看護師が病室に到着した時点で、Aに意識はなく、顔面にチアノーゼが出ている状態で、ほぼ呼吸停止、心停止の状態であった。E医師は、アンビューバッグを用いるなどして人工呼吸を行い、看護師が心臓マッサージを行った。E医師は、当直医のF医師の応援を求め、F医師は、約1分後にAの病室に到着した。この時、Aは1分間に10回深呼吸をする状態であった。
午後10時30分、E医師が気管内挿管を試みたが、喉頭浮腫が強かったため挿管することが出来ず、F医師が喉頭穿刺を行い、午後10時40分に気管内挿管がされたが、そのころ、呼吸停止、心停止が確認され、午後10時45分から強心剤であるアドレナリン(ボスミン)等が投与され、人工呼吸及び心臓マッサージが続けられたが、翌26日午前1時28分、Aの死亡が確認された。
Aの死因は、前記点滴静注により投与された本件各薬剤のいずれか又は双方の作用に基づくアナフィラキシーショックによる急性循環不全である。
そこで、Aの妻X1および子らは、Aが死亡したのは、Y2医師が上記抗生剤投与後の経過観察をすべき注意義務及び救急処置の準備をすべき注意義務をそれぞれ怠った過失によるものであるなどと主張し、Y1及びY2医師に対し債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めて提訴した。
一審は、Y2医師の観察義務違反、救急処置義務違反等の過失を認め、これらの各義務違反と死亡との間の因果関係は認められないが、Aは適切な治療を受ける機会を奪われたとしてYらに対し、総額510万円及び遅延損害金の支払いを求める限度で遺族の請求を認容した。
控訴審は、Y2医師の過失を否定して、遺族の請求を全部棄却した。
(損害賠償請求)
患者遺族(妻子)請求額 : 合計約1億1908万円
(内訳:逸失利益、慰謝料、葬儀関係費、弁護士費用(各項目ごとの金額不明))
(裁判所の認容額)
一審裁判所(大阪地方裁判所平成10年1月29日判決)の認容額 : 合計510万円
(内訳:慰謝料450万円+弁護士費用60万円)
控訴審裁判所(大阪高等裁判所平成12年10月26日判決)の認容額 : 0円
最高裁判所 : 破棄差し戻し
(裁判所の判断)
抗生物質投与後の経過観察をすべき注意義務及び救急処置の準備をすべき注意義務を怠った過失の有無
裁判所は、
(1)本件各薬剤は、いずれもアナフィラキシーショック発症の原因物質となり得るものであり、本件各薬剤の各能書きには、使用上の注意事項として、そのことが明記されており、抗生物質に対し過敏症の既往歴のある患者や、気管支喘息、発しん、じんましん等のアレルギー反応を起こしやすい体質を有する患者には、特に慎重に投与すること、投与後の経過観察を十分に行い、一定の症状が現れた場合には投与を中止して、適切な処置を執るべきことが記載されている。
(2)Aは、薬物等にアレルギー反応を起こしやすい体質である旨の申告をしており、Y2医師は、その申告内容を認識していながら、Aに対し、その申告に係る薬物アレルギーの具体的内容、その詳細を尋ねることはしなかった。
(3)本件手術後、Aに対しては、抗生剤が継続的に投与されてはいたが、本件のアナフィラキシーショック発症の原因となった前期点滴静注において投与された本件各薬剤のうち、ミノマイシンは初めて投与されたものであり、ペントシリンは2度目の投与であった。
(4)医学的知見によれば、薬剤が静注により投与された場合に起きるアナフィラキシーショックは、ほとんどの場合、投与後5分以内に発症するものとされており、その病変の進行が急速であることから、アナフィラキシーショック症状を引き起こす可能性のある薬剤を投与する場合には、投与後の経過観察を十分に行い、その初期症状をいち早く察知することが肝要であり、発症した場合には薬剤の投与を直ちに中止するとともに、できるだけ早期に救急治療を行うことが重要であるとされている。特にアレルギー性疾患を有する患者の場合には、薬剤の投与によるアナフィラキシーショックの発症率が高いことから、格別の注意を払うことが必要とされている。
(5)しかるに、Y2医師は、本件各薬剤をAに投与するに当たり、担当の看護師に対し、投与後の経過観察を十分に行うようにとの指示をしておらず、アナフィラキシーショックが発症した場合に迅速かつ的確な救急処置を執り得るような医療態勢に関する指示、連絡もしていなかった。そのため、本件各薬剤の点滴静注を行ったC看護師は、点滴静注開始後、Aの経過観察を行わないで、すぐに病室から退出してしまい、その結果、アナフィラキシーショック発症後、相当の間、本件各薬剤の投与が継続されることとなったほか、当直医による心臓マッサージが開始されたのは、発症後10分以上が経過した後であり、気管内挿管が試みられたのは、発症後20分以上が経過した後、アドレナリンが投与されたのは発症から約40分が経過した後であった、
旨を判示しました。
その上で、裁判所は、以上の諸点に照らすと、Y2医師が、薬物等にアレルギー反応を起こしやすい体質である旨の申告をしているAに対し、アナフィラキシーショック症状を引き起こす可能性のある本件各薬剤を新たに投与するに際しては、Y2医師には、その発症の可能性があることを予見し、その発症に備えて、あらかじめ、担当の看護師に対し、投与後の経過観察を十分に行うこと等の指示をするほか、発症後における迅速かつ的確な救急措置を取り得るような医療態勢に関する指示、連絡をしておくべき注意義務があり、Y2医師が、このような指示を何らしないで、本件各薬剤の投与を担当看護師に指示したことにつき、上記注意義務を怠った過失があるというべきであると判断しました。
そこで、裁判所は、原判決を破棄し、上記過失とAの死亡との間の因果関係の有無等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻しました。