静岡地方裁判所 平成2年6月29日判決 判例タイムズ736号225頁
(争点)
- 減感作療法施行時の過失
- 減感作療法施行後の過失
(事案)
患者X(主婦、受傷当時32歳)は、昭和54年の春先頃からアレルギー鼻炎に悩まされるようになった。昭和56年3月ころ、Xは県立C病院で、皮下テストにより杉花粉アレルギーであると診断された。そこで、Xは、昭和59年3月5日からA耳鼻科医院で週2回の減感作療法(アレルゲンのエキスを極端に薄めたものを身体に注射し、これによって免疫の抗体を作り、その抗体によって入ってくるアレルゲンを無力化する療法)を受けるようになったが、長期の定期的な通院が必要であるところ、Xとしては幼児をともなっての通院が困難であるなどの事情があったため、1か月で治療を断念した。
その後、Xは、Y医院(Y医師の開設する医院)においてY医師が減感作療法を施行していることを知り、昭和59年12月5日、初めてY医師の治療を受けた。その際、Xは、Y医師に対し、Xが杉花粉アレルギーであること、1年近く前に約1か月ほどA耳鼻科医院で減感作療法を受けていたことを伝えた。Y医師は来週に来院するように指示したが、A耳鼻科医院での投与濃度や投与量については全く質問をしなかった。
Xは昭和59年12月12日午後2時ころにY病院に行き、午後3時30分ころ、Y医師の診察を受けてY医師から100万倍杉花粉エキス溶液0.05mlの注射を受けた。
注射後、Y医師はXに何の指示も与えず、次の患者の診察の準備を始めたことから、XがY医師に対して帰宅してよいかどうか尋ねると、Y医師がよいと答えたため、Xは診療費を支払いすぐに帰宅の途についた。
Xは、帰宅途中に、Y医院から歩いて3分ほどのところにある義母方に立ち寄った後、Y医院から歩いて5分ほどのところにある自宅へ向かったが、義母方にいく途中から、くしゃみ及び鼻水が出始めた上に、鼻がむず痒く感じられ、自宅へ向かってからは、血管がふくれあがって来る感じを受け、目の辺りも腫れてきた。Xは、家に到着して鏡を見ると、顔全体が腫れ上がっており、動悸が激しく、速く、心臓が破裂するかと思う程になり、冷汗が出て、寒気もした。
Xは、すぐに、Y医院に電話で連絡し、対応に出た看護師ないし事務員に異常を訴えたが、同人らは横になったら治るというだけで、Y医師は電話にも出なかった。その後、手足の痺れ、全身が腫れ上がる等の症状が出たため、Xが再びY医院に電話を掛けると、今度は応対に出た事務員ないし看護師がY医院に来るように指示をした。しかし、Xは身体が痺れ始めたため、それに対し、満足な返答も出来ずにその場に倒れてしまった。そこへ、義母が尋ねてきたため、義母からY医院に再び電話してもらったところ、事務員ないし看護師の対応は安静にしていたら治るという対応をするのみであった。ところが、Xは吐き気をもよおし、顔面蒼白となり、喉も腫れ上がって息が苦しくなり、意識も朦朧となってきたため、耐えきれず、義母に救急車を呼んで貰い、その救急車に運ばれて、同日午後4時40分頃、S市立総合病院(以下、市立病院という)に運ばれてそのまま入院した。
Xは、市立病院に運ばれた後、直ちに注射及び点滴を受け、血圧測定及び心電図の検査をした。その際、Xに付き添っていた夫は、担当医に、喉が腫れ、気道の確保が出来なければ死亡する可能性もあること及び助かっても、ショックの状態からして、臓器に何らかの後遺症が出るかもしれないことを告げられた。
昭和59年12月13日の夜から、Xは、血尿及び倦怠感が続き、慢性糸球体腎炎が疑われたが、一時血尿が軽減したこと及び慢性腎炎には安静以外に特に有効な治療がないことから、昭和60年1月4日に一旦退院した。しかし、Xは、自宅で少し家事をしたところ、血尿が激しくなったので、同月12日に再び市立病院に入院し、同年2月13日に退院した。そして、Xは、その後自宅から同月23日まで市立病院に通院したが、日常生活を送ると血尿がひどくなるので、その後同年10月まで、やむなく、G県T市の実家に身を寄せ療養に努めた。その間3月2日から9月20日までO病院のO医師の往診を受けた。
Xは、昭和60年10月にS市の自宅へ帰り、一応、日常生活に戻ったが、その後1年ほどは寝たり起きたりの状況であり、月1度から3ヶ月に1度位、I医院に通院している。
そこで、Xは、Y医師が減感作療法を実施するにあたり、Xの初回投与量決定のための検査を一切せずに漫然と濃度及び投与量を定めた杉花粉エキスを注入した過失及び適切な経過観察をしなかった過失により、アナフィラキシー(逆行的な防御)ショックを起こし、そのため、腎臓を犯され、治療を余儀なくされたとして、Y医師に対して、損害賠償を求めて提訴した。
訴訟において、Xのショック症状の原因は、Y医師が杉花粉アレルギーの治療としての減感作療法において投薬した杉花粉エキスであることについては、Y医師が明らかに争っていないので、自白したとみなされ、また、ショック症状によって、腎臓などの内臓障害が発生し、時には腎機能が低下して慢性腎炎を引き起こすことがあることなどから、Xは、上記ショック症状によって慢性腎炎に罹患したことが推認された。
(損害賠償請求)
患者の請求額 : 合計439万7077円
(内訳:治療費・交通費29万1540円+入院雑費5万7000円+休業損害225万4107円+入通院慰謝料140万円+弁護士費用39万4430円)
(裁判所の認容額)
裁判所の認容額 : 合計435万2647円
(内訳:治療費・交通費29万1540円+入院雑費5万7000円+休業損害225万4107円+入通院慰謝料140万円+弁護士費用35万円)
(裁判所の判断)
1.減感作療法施行時の過失
この点について、裁判所は、まず、減感作療法につき、注入されるエキスの量が多すぎるとアナフィラキシーショックを起こすものであることについては当事者間に争いがないと判示しました。そして、減感作療法においては、初回は極端に薄いエキス溶液を身体に注射し、定期的に週に2回ほど施行して、数回ごとに患者の容態を見ながらだんだんその濃度を上げていき、数か月、場合によっては数年かかって、患者に免疫の抗体を作っていくものであると認定しました。
その上で裁判所は、減感作療法は、用法を間違うとアナフィラキシーショックを引き起こすおそれがあるので、アレルゲンの注射の際には、以下の二点が留意されるべきとされており、それらのことはすべてY医師の使用した減感作療法の薬剤の使用説明書に記載されていることは当事者間に争いがないと判示しました。
(1)患者には個人差があるので、エキスの投与量、投与間隔、維持量などは標準量にこだわらず、症例ごとに判断して決するべきである。特に初回量の決定に当たっては皮内注射により陽性反応を示す最低の濃度(閾値)を定めて、それを10倍希釈した液の濃度を初回濃度とするべきである。
(2)治療エキスの使用法を誤った場合、ショックなどの全身反応が誘発されることがあるので、患者を医師の監督下において経過観察し、ショック症状を呈したときは、その症状によって、注射部位の頭側の緊縛、薬剤の注射、点滴、気道確保、血管確保、保温等直ちに救急措置が採れるように用意しておかなければならない。
その上で、裁判所は、ショック症状は、それが重症であれば死に至るほど重大なものであることも合わせ考えると、初回の投与量を定める際に、仮に患者がかつて減感作療法を受けたことがあったとしても、それが3か月以上経過しているときには、閾値検査によって適切なエキスの溶液の量ないし濃度を定めるべき注意義務があると判示し、Y医師が初回投与量を決定するための検査をしないで漫然と濃度及び投与量を定めて投与したことには明らかに過失があると判断しました。
2.減感作療法施行後の過失
この点について、裁判所は、減感作療法の施行によりショック症状を呈した際には直ちに適切な治療を施すことができるよう医師としては、少なくとも30分の経過観察をすべきであることを指摘しました。そして、裁判所は、このことと減感作療法によるショック症状が重篤なものであることとを合わせ考えると、減感作療法を実施する医師としては、注射後少なくとも30分間は医師の監督下に留めて患者を経過観察し、異常があれば直ちに対応が出来る状態にしておく注意義務があると判示しました。
裁判所は、その上で、Y医師は、かつてXが減感作療法を受けており、その際にショックが出なかったことからXにショックが起こることはありえないと軽信し、減感作療法施行後、全くXの経過を観察せずに直ちに帰宅を許したと認定し、Y医師が減感差療法施行後に経過観察をしなかったことについても過失があると判断しました。
以上のことから、裁判所は、Y医師に対して、上記裁判所の認容額記載の賠償を命じました。その後、判決は確定しました。