札幌高等裁判所 平成6年1月27日判決 判例時報1522号78頁
(争点)
蘇生措置につき注意義務違反が認められるか否か
(事案)
X(当時3歳の男児)は、Y市の経営する病院(以下、Y病院という。)において、昭和55年4月10日から昭和56年1月9日までの間に7回、同年9月9日から同月29日までの間に6回、同年10月6日から27日までの間に4回、それぞれ咳嗽・発熱等の症状で治療を受けていた。
事件当時、Y病院は、未だ救急医療部は設置されていなかったものの、20の診療科に分化し、小児科に医師7名、看護師約23名を擁し、当該地方では、Y大学医学部付属病院に次ぐ医療水準の期待されるべき、教育関連病院であった。
同年9月9日から29日の受診の際には、Xに咳嗽のほか喘鳴の症状が見られ、気管支拡張剤の一種である交感神経刺激薬ホクナリンの投与、ステロイド剤の一種であるレダコードシロップの併用、気管支拡張作用を有し気管支喘息発作の治療に繁用されるイノリンとビソルボンの吸入、更にネオフィリンの投与がされているところ、それらの診療に当たったN医師らはXの症状が呼吸困難を伴うとは判断できなかったため、これを喘息性気管支炎と考え、対症的に治療を行っていた。
本件事故当日(おそらく昭和56年11月27日)のS医師の診察時には、Xに呼吸困難の存在が認められたので、S医師はXの症状を気管支喘息の発作状態にあり、その程度は中程度であると診断した。
なお、Xは、S医師による診察を受ける前にU看護師よりイノリンの吸入措置を受けた。
その後、Xは、処置を嫌がってベッドから降りようとしたが、点滴路を確保するためベッドに抑制され、看護師らが点滴用翼状針を右手甲に刺し込んだ極短時間のうちに呼吸停止・心停止した。
そこで、Xに対して、ボスミンが投与され、D医師(本件事故までに30年をこえる小児科医師としての経験を有しているが、この間小児の蘇生法として用いてきたのはもっぱら用手人工呼吸法であった)およびU看護師により用手人工呼吸法が実施され、酸素マスクによる酸素供給も行われた。
Xの心・呼吸停止から7分後、Xに対して、呼気吹き込み人工呼吸法(以下、マウスツーマウス)がT医師により施行されたところ、3分前後で、Xの自力呼吸が回復した。
しかし、Xには中枢神経系の後遺症が残り、本件訴訟の時点で中学校3学年に在籍し、養護学校の最重度障害児の学級に通学し、教育・訓練を受けているが、上肢・下肢とも全く動かず、おむつを使用し、食事は嚥下できるのみであり、家族の介護なしには生活できない。
そこで、Xおよびその両親は、Y市に対して、損害賠償請求訴訟を提起し、一審判決後、控訴した。
(損害賠償請求)
患者と両親の請求額 : 3名合計1億5849万7030円
(内訳:患者の請求額1億2649万7030円+両親の請求額各1600万円(請求項目不明))
(裁判所の認容額)
一審裁判所の認容額 : 不明
控訴裁判所の認容額 : 3名合計4755万6290円
(内訳: 逸失利益1714万3840円+慰謝料(患者750万円+両親各250万円)+介護費1501万2450円+弁護士費用290万円)
(裁判所の判断)
蘇生措置につき注意義務違反が認められるか否か
この点について、裁判所は、Xは、気管支喘息の発作が重症化することなく中程度のまま、複数の原因が複雑に関与して呼吸停止・心停止したと推定されるところ、その場合においては、救急蘇生法にいう一次救命措置、すなわち気道確保、マウスツーマウス、胸骨圧迫心マッサージが、速やかに有効な方法で施行されたとすれば、T医師がマウスツーマウスに着手してから3分前後でXの自力呼吸が回復したことからも明らかなように(なお、Xに投与されたボスミンは、Xが心停止していた時期においては有効に作用したとは考えられず、また、D医師の蘇生措置中酸素マスクにより供給された酸素も、当時Xの気道が閉塞していたため、用手人工呼吸法の換気効率を考えると有効に作用したとは考えられない。)、Xについて、少なくとも、本件のような最重度の中枢神経系の障害が発生することを防止できた可能性が高いと認定しました。
裁判所は、更に、D医師及びU看護師がXに実施した用手人工呼吸法は、マウスツーマウスに比較して格段に換気効率が悪く、マウスツーマウスを行いえない状況下でのみ選択されるべきで、本件事故時における通説的な医学的知見では、通常は用いるべき方法ではないとされているものであって、心マッサージとしての効果はあったとしてもほとんど換気の効果がなかったため、Xの心・呼吸停止からT医師によるマウスツーマウスが実施されるまでに7分程度を経過したことにより、本件のような最重度の中枢神経系の障害を発生させるに至ったことが認められると判示しました。
その上で、裁判所は、Y病院のような医療機関の小児科外来で医療行為に当たる医師・看護師は、緊急事態の発生に備えて平素から救急蘇生法にいう一次救命措置の知識及び技術を身につけておき、本件のような緊急事態が発生したときは、速やかに有効な方法で一次救命措置を実施すべき義務があったにもかかわらず、本件事故当日Xの診療に当たったD医師らは、Xに呼吸停止・心停止が発生した際、速やかに有効な方法で一次救命措置を施さず、そのため、Xに障害を発生させたのであるから、当該医療機関を設置するY市には債務不履行の責任があると判断しました。
以上より、裁判所は、原判決を変更して、控訴審裁判所認容額記載の損害賠償をY市に命じました。その後、判決は確定しました。