最高裁判所 平成18年10月27日判決 判例タイムズ1225号220頁
(争点)
未破裂動脈瘤手術における担当医師の説明義務の内容
(事案)
大学教授であった患者Aは、平成7年11月10日、講義中に意識障害を起こし、B病院において一過性脳動脈虚血発作の可能性を指摘された。Aは、同月下旬頃、同病院において頭部の造影CT検査を受けたところ、左内頸動脈分岐部付近に動脈瘤が存在することが疑われ、Y(国)の設置するY大学病院(以下、Y病院という)の脳神経外科を紹介された。
Aは、12月7日以降Y病院の脳神経外科を受診し、同月18日、造影3次元CT検査を受けた。
同科のC医師は、同月22日、A及びAの妻に対して、検査の画像の所見から、左内頸動脈分岐部付近に動脈瘤が存在することがほぼ確実になったと告げて、
①動脈瘤の治療をするためには脳血管撮影を行う必要があること
②現時点で治療を全く希望しないのであれば、脳血管撮影を行う必要がないこと
③脳血管撮影ではカテーテルを動脈内にはわせるので、低い確率ではあるが、脳血栓等の合併症があり得ること
などを説明した。
Aが脳血管撮影を受けることを希望したことから、平成8年1月19日、脳血管撮影が行われたところ、Aの左内頸動脈分岐部に上向きに未破裂脳動脈瘤(2月28日の測定によると最大径が約7.9mm)が存在することが確認された。
Aに確認された未破裂脳動脈瘤は無症状性のものであったところ、このような動脈瘤に対しては保存的に経過を見るという選択肢と治療をするという選択肢があり、また、治療をするという場合には、開頭手術(開頭して動脈瘤のけい部を永久的にクリップして閉じ、瘤に血液が流入しないようにする術式)という選択肢とコイル塞栓術という選択肢があった。これらの選択肢はいずれも当時の医療水準にかなうものであった。
C医師は、平成8年1月26日、A及びAの妻に脳血管撮影の所見を説明した上で、
①脳動脈瘤は、放置しておいても6割は破裂しないので、治療しなくても生活を続けることはできるが、4割は今後20年の間に破裂するおそれがあること
②治療するとすれば、開頭手術とコイル塞栓術の2通りの方法があること
③開頭手術では95%が完治するが、5%は後遺症が残る可能性があること
④コイル塞栓術では、後になってコイルが患部から出てきて脳梗塞を起こす可能性があること
を説明した。
また、C医師は、同日、Aらに、治療を受けずに保存的に経過を見ること、開頭手術による治療を受けること、コイル塞栓術による治療を受けることのいずれを選ぶかは患者本人次第であり、治療を受けるとしても今すぐでなくて何年か後でもよい旨を告げたところ、Aが、同年2月23日C医師に対して開頭手術を希望する旨を伝えたことから、同月29日にY病院でAの動脈瘤について開頭手術が実施されることとなった。
Y病院に勤務していたD教授は、Aの動脈瘤については開頭手術が相当であると考え、C医師に開頭手術の実施を指示していたが、同年2月27日の手術前のカンファレンスにおいて、脳血管撮影の所見をよく検討した結果、内頸動脈そのものが立ち上がっており、動脈瘤体部が脳の中に埋没するように存在しているため、恐らく動脈瘤体部の背部は確認できないので、貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉塞してしまう可能性があり、開頭手術はかなり困難であるとして、破裂例であれば開頭手術が第1選択でもよいかもしれないが、未破裂例なのでまずコイル塞栓術を試してみてもよいのではないか、コイル塞栓術がうまくいかないときは再度本人及び家族と話をして、術後の神経学的機能障害について十分納得を得られるのであれば開頭術を行ってもよいかもしれないと提案した。
これを受けて、Y病院の放射線科のE医師が、Aの動脈瘤の口径はかなり広いが、動脈瘤体部にある程度丸い形があるので、挿入するコイルが落ち込むことはないと思われる、同月28日に動脈瘤造影を行い、コイルの挿入が可能であると判断できればコイル塞栓術を実施するという旨を発言したことから、手術前のカンファレンスの結論として、Aの動脈瘤については、まずコイル塞栓術を試し、うまくいかないときは開頭手術を実施するという方針が決まった。
なお、開頭手術が困難である場合に、まずコイル塞栓術を試すことは当時の医療水準にかなうものであった。
C医師とE医師は、上記カンファレンス終了後、A及びAの妻に、Aの動脈瘤が開頭手術をするのが困難な場所に位置しており開頭手術は危険なので、コイル塞栓術を試してみようとの話がカンファレンスであったことを告げ、開頭しないで済むという大きな利点があるとして、コイル塞栓術を勧めた。E医師は、これまでコイル塞栓術を十数例実施しているが、全て成功していると説明した。
Aが「以前、後になってコイルが出てきて脳梗塞を起こすおそれがあると話しておられたが、いかがなのでしょうか。」と質問したところ、E医師は、うまくいかないときは無理をせず、直ちにコイルを回収して、また新たに方法を考える旨を答えた。同日のC医師らの説明は30~40分程度であった。
C医師らは、この時までに、AとAの妻に対して、コイル塞栓術には術中を含め脳梗塞等の合併症の危険があり、合併症により死に至る頻度は2~3%とされていることについての説明も行った上で、同日夕方には、Aらから同月28日にコイル塞栓術を実施することの承諾を得た。
2月28日、動脈瘤造影が行われ、Aにはコイル塞栓術の実施が可能であると判断されたことから、E医師は、午前11時50分ころ、カテーテルによりコイルの動脈瘤内への挿入を開始した。
しかし、正午ころには、動脈瘤内に挿入したコイルの一部が瘤外に逸脱して、瘤を塞栓することができず、内頸動脈内に移動して中大脳動脈及び前大脳動脈を塞栓する危険が生じたことから、E医師は、コイル塞栓術を中止し、コイルの回収作業をすることとし、レトリーバー(コイルを回収するための器具)を用いるなどして、午後3時10分ころまでコイルの回収を試みたものの、動脈瘤内のコイルに結び目が形成されたために、コイルの回収はできなかった。
そこで、脳神経外科のC医師らは、午後4時5分ころから、全身麻酔を行った上で開頭手術を実施し、動脈瘤内に在ったコイルについては午後9時25分ころ除去することができたものの、内頸動脈内に移動したコイルの一部については、内頸動脈を切り裂くおそれがあったために除去することができなかった。
Aは、上記手術終了後も意識が回復することはなく、動脈瘤内から逸脱したコイルによって生じた左中大脳動脈の血流障害に起因する脳梗塞により、平成8年3月1日には脳死状態となり、同月13日に死亡した。
そこで、Aの妻及び2名の子は、担当医師らコイル塞栓術の手技等についての過失があり、また、説明義務違反もあったと主張して、Y病院を設置運営するY(国)に対して、不法行為に基づく損害賠償を請求した。
第一審判決は、医師らの説明義務違反及びこれと患者の死亡との間の相当因果関係を認めたが、控訴審判決は、医師らの説明義務違反を否定し、第一審判決を取り消した。
(損害賠償請求)
患者の請求額 合計 : 9573万5675円
(内訳:患者の逸失利益6053万5675円+妻の慰謝料1000万円+子2人の慰謝料各750万円+葬儀費150万円+弁護士費用870万円)
(判決による認容額)
第一審(東京地裁平成14年7月18日判決)の認容額 : 6636万6688円
{内訳:(患者の逸失利益6003万8129円+妻の慰謝料1250万円+子2人の慰謝料各625万円+葬儀費用120万円)×(1-0.3)+弁護士費用600万円。相続人が複数いるので端数不一致}*損害の公平な分担を図るため、弁護士費用以外の損害の3割を減じている。
控訴審(東京高裁平成17年5月25日判決)の認容額 : 0円(請求棄却)
最高裁判所 : 原審(控訴審)判決のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分を破棄差戻し
差戻審(東京高裁平成19年10月18日判決)の認容額 : 880万円
{内訳:患者の人格権(自己決定権)侵害に対する慰謝料(妻400万+子2人の各200万円)+弁護士費用80万円(妻40万+子2人の各20万円)}*参考(以下の裁判所の判断は最高裁の判断)
(裁判所の判断)
(未破裂動脈瘤手術における担当医師の説明義務の内容)に対する裁判所の判断
この点について、最高裁判所は、まず、医師は患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があり、また、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、患者がそのいずれを選択するかについて熟慮の上判断することができるような仕方で、それぞれの療法の違いや利害得失を分かりやすく説明することが求められると解される最高裁判所の判例(平成13年11月27日第三小法廷判決)を紹介しました。
そして、最高裁判所は、医師が患者に予防的な療法(術式)を実施するに当たって、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、その中のある療法(術式)を受けるという選択肢と共に、いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し、そのいずれを選択するかは患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものであり、また、上記選択をするための時間的な余裕もあることから、患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように、医師は各療法(術式)の違いや利害得失について分かりやすく説明することが求められると判示しました。
その上で、裁判所は、C医師らは、Aに対し、開頭手術では、治療中に神経等を損傷する可能性があるが、治療中に動脈瘤が破裂した場合にはコイル塞栓術の場合よりも対処がしやすいのに対して、コイル塞栓術では、身体に加わる侵襲が少なく、開頭手術のように治療中に神経等を損傷する可能性も少ないが、動脈の塞栓が生じて脳梗塞を発生させる場合があるほか、動脈瘤が破裂した場合には救命が困難であるという問題もあり、このような場合にはいずれにせよ開頭手術が必要になるという知見について分かりやすく説明する義務があったと判示しました(1)。
更に、最高裁判所は、Aが開頭手術を選択した平成8年2月23日の後の同月27日の手術前カンファレンスにおいて、内頸動脈そのものが立ち上がっており、動脈瘤体部が脳の中に埋没するように存在しているため、おそらく動脈瘤体部の背部は確認出来ないので、貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉塞してしまう可能性があり、開頭手術はかなり困難であることが新たに判明したというのであるから、担当医師らは、Aがこの点をも踏まえて開頭手術の危険性とコイル塞栓術の危険性を比較検討できるように、Aに対して、上記のとおりカンファレンスで判明した開頭手術に伴う問題点について具体的に説明する義務があったと判示しました(2)。
また、最高裁判所は、以上のことから、担当医師らは、Aに対し、上記説明をした上で、開頭手術とコイル塞栓術のいずれを選択するのか、いずれの手術も受けずに保存的に経過を見ることとするのかを熟慮する機会を改めて与える必要があったと判断しました(3)。
その上で、最高裁判所は、担当医師らの説明義務違反の有無は、上記(1)及び(2)の説明をしたか否か、上記(3)の機会を与えたか否か、仮に機会を与えなかったとすれば、それを正当化する特段の事情が有るか否かによって判断されることになるとしました。
しかるに、原審(控訴審)は、上記の各点について確定することなく、担当医師らに説明義務違反がないと判断したものであり、この判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるとして、原判決のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分は破棄を免れないとし、上記部分について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻しました。
その後、差戻審は、担当医師らの説明義務違反を認めましたが、説明義務違反と死亡との間の因果関係は否定し、Aの人格権(自己決定権)が侵害されたものとしての慰謝料請求と弁護士費用を認めました。