東京高等裁判所 平成18年10月12日判決 判例時報1978号17頁
(争点)
- 取り違えの事実の有無
- 分娩助産契約の債務不履行の有無
- 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効が完成しているか否か
(事案)
X1(妻)は、昭和31年5月15日にX2(夫)と婚姻した。X1は昭和32年に妊娠し、同年12月27日以降、月1回ないし2回、都立Y産院(東京都が開設した産院、以下Y産院)において診察を受けた。
昭和33年4月9日、X1は破水してY産院に入院した。遅くともこのころまでに、X1およびX2と東京都との間で、東京都においてX1が胎児を安全に分娩することを助け、生まれた新生児を看護することを内容とする分娩助産契約が締結された。
同年4月10日午後3時28分ころ、X1は、Y産院内の分娩室において、当時Y産院の院長であったA医師を介助者として新生児を分娩し、その直後に、看護師に分娩した新生児を示されて、男児であることを確認した。
X1が分娩した新生児は、分娩後直ちに新生児室に移され、4月13日ころまでは新生児室で看護師等の看護を受けていた。一方、X1は分娩室から第1病室に戻り、しばらくの間は、新生児と離れて過ごすこととなった。
X1は、分娩直後ころは母乳の分泌が授乳するには少なかったため、新生児と離れて過ごす間、他の産婦のように新生児室に母乳を飲ませに行くことはなかった。新生児は、沐浴後に看護師に連れられて、1日2回程度の割合でX1のいる病室を訪れてX1と対面したが、X1もその時を除いては新生児と顔を合わせることはなかった。
4月14日ころ、ある新生児(男児)のへその緒が取れたとして、その新生児が第1病室に移され、同日以降は、X1は第1病室でその新生児と隣り合って過ごすこととなった。X1はその新生児が自己の分娩した新生児であると考え、疑うことはなかった。
4月14日以降、X1と過ごすこととなった新生児はX3であり、以降、X1とX2の子として扱われたのはX3である。
4月17日ころ、X1とX3はY産院を退院し、4月21日、X2は新生児の名をX3として子の出生届をし、以後、X3は、X1とX2の長男として育てられた。その後、X1とX2との間には、二男としてBが出生した。
昭和63年3月31日、Y産院は閉院した。
X3は、幼少のころから。親戚らが集まると家族の誰とも似ていないなどと言われることがあった。
平成9年、X1は体調を崩してC病院に入院した際、それまで不明であった血液型がB型であることが判明した。それまでにX2はO型、X3はA型であることが分かっていたことから、X1らは親子関係の存在について疑いを深め、病院を移して同年10月7日ころ再検査したが、血液型の判定結果は同一であった。
しかし、その前後ころ、真実の親子間であっても遺伝子の組み換えによってこのような血液型の不整合が生じ得るとの新聞報道があったこともあり、X1らはそれ以上親子関係の調査をすることはなかった。
平成16年、X1らはD大学大学院医学研究院E教授に依頼して、親子関係の存否を判断するためにDNA鑑定を行うこととした。同年4月4日にX1とX2から、同月6日にX3から採血が行われ、それらの血液および同月6日にX3が持参した、X1らが保存していた木箱に入った、糸で結紮した臍帯、輪切りの臍帯および新生児のものと推認される頭髪についてDNA鑑定を行った。
同年5月7日付け検査報告書によれば、実施したDNA鑑定では、X1とX3との母子親子関係は存在せず、また、X2とX3との父子関係も存在しないとの結果が出された。検査結果によれば、赤血球型のうち、ABO式、RH-hr式において、X3がX1とX2の子であることが否定された。また、DNA型において、X3が数個の型において、X1ないしX2由来の対立遺伝子を有しておらず、すべての型において父由来と考えられる対立遺伝子と母由来と考えられる対立遺伝子を1つずつ有していなかったとの理由でX3とX1の母子関係、X3とX2の父子関係はいずれも否定された。臍帯は少量で陳旧なため、臍帯による完全な型判定は不可能であったが、検出されたDNA型はいずれの資料においてもX3のDNA型と一致し、X3のものであると考えて矛盾しないと判断された。
同日ころ、DNA鑑定の結果がX1らに知らされた。
平成16年10月19日、X1らは東京都に対して、不法行為による損害賠償請求件に基づき訴訟を提起し、その後平成17年3月28日受付の準備書面で債務不履行による損害賠償請求を追加した。
第1審(東京地裁平成17年5月27日判決)は、債務不履行による損害賠償請求については、新生児をその両親に引き渡すという本来の履行請求件は、X1がY産院を退院した昭和33年4月17日ころまでが問題とされ、X1らの主張する債務不履行も遅くとも同日ころに行われたと解され、その損害賠償請求権の消滅時効は遅くともその時点に開始していたから、本件提訴日までに10年の消滅時効が完成しているとし、不法行為による損害賠償請求についても、加害行為すなわち取り違えがあったとされる時点である昭和33年4月10日以降同月14日ころまでの時期から起算して20年の除斥期間が満了しているとして、X1らの請求をいずれも棄却した。これに対してX1らが控訴した。
(損害賠償請求)
妻と夫、取り違えられた子の請求額:3名合計3億円(内訳:慰謝料一人当たり1億円)
(判決による認容額)
裁判所の認容額:3名合計2000万円
(内訳:妻と夫の慰謝料各500万円+取り違えられた子の慰謝料1000万円)
(裁判所の判断)
1.取り違えの事実の有無
この点について、裁判所は、X2とX3、X1とX3との間には、いずれも親子関係が存在しないから、X1が本件産院で分娩した新生児はX3ではないと認められるとし、従って、昭和33年4月10日から同月14日ころまでの間に、Y産院において、X1が分娩した新生児と同時期にY産院で出生したX3とが入れ替わった蓋然性は相当高いと判示しました。
そして、一般に新生児の取り違え事故が発生する可能性があること、本件においてはX3が養子としてX2およびX1に引き取られた事実をうかがわせる資料もなく、他に上記認定を覆すに足りる証拠もないとして、X1ら主張の本件取り違えの事実を推認することができると判断しました。
2.分娩助産契約の債務不履行の有無
この点について、裁判所は、分娩助産契約は、その性質上、出産した新生児を他の新生児と取り違えることなくその両親に引き渡すという債務を含むものと解され、これは両親および新生児にとっての産院に対する債権ということができると判示しました。その上で、裁判所は、結果的にX2およびX1には真実の子が引き渡されず、また、X3は真実の両親に引き渡されることがなかったものと推認できるのであるから、東京都には、分娩助産契約に基づく債務の不履行があると判断しました。
3.債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効が完成しているか否か
この点について、裁判所は、まず、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、「権利を行使することができる時から進行する」(民法166条1項)ものとされ、10年間これを行使しない場合に時効消滅する(民法167条1項)ことを指摘しました。
そして、「権利を行使することができる時」とは、原則として、権利行使についての法律上の障害のない状態をいうとされていること、一般に、債務不履行の消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時から進行を開始するものと解されていることを指摘しました。
その上で、X1らは、誤った引き渡しが行われた時(昭和33年4月17日ころの退院のころ)以降、債務不履行による損害賠償請求権を取得したものと解されると判示しました。
裁判所は、しかし、X1らがこれらの権利を取得した時から当然にこれらの権利を行使することができたとはいえないと判断し、債務不履行による損害賠償請求権とは異なる請求権についての事案ではあるが、最高裁判所昭和45年7月15日大法廷判決が、「『権利ヲ行使スルコトヲ得ル』とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることをも必要と解する」と判示していることを挙げました。
そして、裁判所は、本件の場合、新生児の取り違えという事実は外観上は非常に分かりにくく、これによる損害の発生が潜在化しているといえるものであって、真実の両親に真実の子を引き渡すというその権利の性質上、分娩助産契約の当事者である両親および子が取り違えの事実を知ることのできる客観的な事情が生ずることにより、その損害が顕在化して初めて権利行使を期待することが可能となるものと解することは上記判例の考え方に沿うものということができると判示しました。
そして、X1らが、親子関係が存在しないことを明確に知ったのはDNA鑑定の結果を知らされた平成16年5月7日ころであるといえるが、他方、権利行使の可能性という観点からすると、血液型の不整合が明確になった時点(平成9年10月7日)ないしその後間もない時点において権利行使が可能となったものと解するのが相当であると判断しました。
その上で、裁判所は、X1らが債務不履行に基づく損害賠償請求をしたのは、平成17年3月28日受付の準備書面であるところ、平成9年10月ころから起算して10年を経過していないため、本件の場合は、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は完成していないと判断しました。
以上から、裁判所は、上記「裁判所の認容額」記載の損害賠償を東京都に命じました。その後、判決は確定しました。