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No.274「妊婦の母体内で38週に達した胎児が死亡。産婦人科医師に、帝王切開によって胎児を娩出させる注意義務を怠った過失があったとして、妊婦に対する損害賠償責任を認めた地裁判決」

広島地方裁判所平成2年3月22日判決 判例タイムズ 730号218頁

(争点)

  1. 産婦人科医師の過失の有無
  2. 因果関係
  3. 損害

 

(事案)

患者X1は昭和57年3月ころまでの間に二子を正常分娩したほか、自然流産1回、人工妊娠中絶1回の経験がある女性で、X2はその夫である。

X1は、本件胎児(X1の第三子となるべき胎児)を妊娠したため、昭和57年10月8日からY医院(Y医師が営む産婦人科医院)において定期的に診察を受けていた。X1は、同年10月27日(妊娠3ヶ月、10週)と昭和58年2月25日(妊娠7ヶ月、26週)にそれぞれ軽い風邪に罹患したほかは、4月25日までの定期検診で異常は認められなかった。分娩予定日は5月21日であった。

4月30日、妊娠10ヶ月(37週)の定期検診の際、X1は3日前に少量の性器出血があった旨を訴えた。Y医師が内診したところ、外子宮口は一横指半開大し、先進部は児頭であったが、内子宮口の右側に胎盤様の抵抗を認めたので、Y医師は辺縁前置胎盤の疑いがあると判断し、X1に対し、少量の出血又は陣痛発作が来れば直ぐに入院するよう指示した。

5月3日午後4時前ころ、X1は無色のぬるま湯状の分泌物が牛乳瓶2本位出たので、従前の経験から、破水したと思い、直ちにY医院に赴き、その旨を訴えて入院した。その際、診察した看護師も羊水の流出を認めてその旨を看護記録に記録した。さらに、同日午前6時及び午前8時5分にも羊水が流出し、その旨が看護記録に記録された。

同日午前11時40分にY医師がX1を診察した際、外子宮口が一横指半開大し、先進部は児頭で内子宮口の右側やや上に胎盤様の抵抗を認めたが、本件胎児の心音は良好であった。午後零時ころ、X1は便所で血のかたまりを出し、そのころから陣痛誘発剤(プロスタルモンE錠)を1時間置きに1錠ずつ経口投与し始めた。午後1時30分、X1は発熱(38度6分)し、布団を二枚掛け、アンカを入れても寒気が抜けず、震えが止まらなかった。X2は、看護師の1人から早く手術してもらわないとX1の身も危険である旨告げられたため、Y医師に対し、帝王切開するよう申し入れたが、Y医師は「切るのはいつでも切れる」と言って応じなかった。

午後2時20分より、抗生物質(アンチバリン)、止血剤(アドナ、リカバリン)の点滴を開始し、また解熱剤のインダシン坐薬1ケ挿入し、経過を観察した。午後5時30分、X1は陣痛発作60秒で3分間隔に発来するようになったが、午後11時30分ころには悪寒、発熱があり陣痛はほとんど消失した。

翌4日午前7時のX1の体温は37度4分であった。午前10時10分、陣痛が腹部緊満程度のため、Y医師はX1に陣痛促進剤(アトニンO)の点滴静注を開始した。午後1時、X1は再び発熱(39度5分)したため、解熱のためインダシン坐薬を挿入した。

X1は午後の診察後便所で血塊を出した。午後2時15分、X1の外子宮口が二横指半開大し、胎児の先進部は足又は腕であり、膣内には少量の血塊を認めた。この時点で本件胎児の心音は良好であった。午後2時30分、抗生物質(アンチバリン)の点滴静注を開始した。

なお、Y医師は、発熱が腎孟膀胱炎症によるものであると判断し、その治療のために、4日の朝から抗生物質(サワシリン)と消炎剤(ターゼン)を朝から施用した。

翌5日、午前7時、X1に再び高熱(38度8分)が生じ、悪寒、頭痛があり、インダシン坐薬1ケを挿入した。午前8時15分、抗生物質(アンチバリン)の点滴静注を開始した。午後1時、X1の体温は37度2分となり、子宮口の開大、軟化及び胎盤圧迫の目的でメトロイリンテルを挿入した。この時点での本件胎児の心音は良好であった。午後5時、陣痛誘発剤(プロスタルモンE)の服用を開始したが、陣痛発来には至らなかった。X1には時々少量の出血があった。午後9時のX1の体温は36度3分であった。午後10時、プロスタルモンEの服用を終了した。

翌6日午前9時の回診時、本件胎児の心音聴取が不能となり、超音波診断装置にて本件胎児心拍の拍動消失を認めて、体内死亡と診断した。この時点で、外子宮口は三横指開大、先進部は児頭で陣痛はほとんどなかった。午後2時30分、死亡した本件胎児の経膣分娩を行うために陣痛促進剤の点滴を開始した。午後5時5分、陣痛発来したが、X1らが帝王切開による死亡胎児分娩を希望したため、Y医師は陣痛促進剤の点滴を中止した。

翌7日午後1時、腹式帝王切開術により死亡した本件胎児(男児2960グラム)を娩出した。侵軟Ⅰ度で、胎盤が一部剥離していた。

5月20日、X1はY病院を退院した。そのころ、Y医師はX1の症状について診療録に前期破水(陣痛開始以前に、胎児、胎盤、臍帯、羊水を包んでいる膜(卵膜)が破れて羊水が流出する現象)、前置胎盤(妊卵が正常よりも下部の子宮壁に着床し、このため妊娠及び分娩時に内子宮口の全部又は一部を胎盤が覆う状態)、腎孟膀胱炎と記載した。

X1・X2は、Y医師が適切な時期に帝王切開術を行うことを怠り、これにより本件胎児を死亡させたとして、債務不履行及び不法行為による損害賠償請求をした。

 

(損害賠償請求)

妊婦と夫の請求額:合計2269万円
(内訳:慰謝料両名合計2000万円+胎児の逸失利益2149万2732円+弁護士費用269万円の内金)

 

(判決による認容額)

裁判所の認容額:550万円
(内訳:妊婦の慰謝料500万円+妊婦の弁護士費用50万円)

 

(裁判所の判断)

1.産婦人科医師の過失の有無

この点について、裁判所は、まず、前置胎盤の場合においては、母体から重篤な出血が発来した場合で胎児が37週に達していれば、帝王切開術によって娩出させることが適切とされていること、前期破水後に、胎児が細菌感染していることを疑わせる徴候として、破水後24時間以上経過している場合や母体が38度以上の発熱を起こしている場合等が挙げられていることを認定しました。

その上で、裁判所は、X1は、4月30日には少なくとも辺縁前置胎盤(子宮口のほんの辺縁にだけ胎盤がかかっている前置胎盤)の状態にあったうえ、5月3日には、午前4時、6時及び8時ころにそれぞれ前期破水をしたうえ、高熱や血塊を出し、翌4日も同様な状態が続いており、細菌感染症の発生が十分考えられたと判示しました。さらに、裁判所は、胎児はすでに38週に達しており、母体外で生存できる状態となっていたのであるから、Y医師としては、胎児の生命の安全を考え、遅くとも4日の時点では帝王切開によって胎児を娩出させる注意義務があったと判示して、これを怠ったY医師には過失があったと認定しました。

2.因果関係

裁判所は、本件胎児の死亡は、前置胎盤による大量出血ないし胎盤剥離に基づく胎児循環障害によるものか若しくは前期破水に伴う細菌感染症に胎児が罹患し、それによる死亡と推認することが出来ると判断しました。そして、裁判所は、4日の時点では本件胎児の心音は良好であったのであるから、もし、Y医師が前記注意義務を尽くしていれば、特段の事情のない限り、本件胎児は無事出生したものと推認できると判示し、Y医師の過失と本件胎児の死亡との間に相当因果関係を認定しました。

3.損害

この点について、裁判所は、まず、X1は本件胎児の出産を心待ちにしていたことが認定できるため、胎児の生命を失ったことにより精神的苦痛を受けたことは容易に推認でき、入院後の経緯など諸般の事情を考慮すると、X1の精神的苦痛は500万円をもって慰謝するのが相当と判断しました。

裁判所は、次に、本件胎児の母X1・父X2が相続したと主張する本件胎児の逸失利益について、胎児である間に生命を失った場合には、胎児を被相続人とする相続は考える余地がなく、また、不法行為に基づく損害賠償請求権は時効消滅しているため、いずれについてもその他について判断するまでもなく逸失利益を認めることはできないと判断しました。

裁判所は、最後に、X1の弁護士費用は50万円が相当であると判断しました。

以上の各損害及び弁護士費用について、裁判所は、上記「裁判所の認容額」記載の損害賠償をY医師に命じました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2014年11月10日
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