横浜地方裁判所小田原支部 平成14年4月9日判決 判例タイムズ1175号258頁
(争点)
Aの死亡について、Y2医師およびO医師に過失があるか
(事案)
医療法人であるY1は、は、診療科目として内科、小児科、外科、小児外科、整形外科、脳神経外科、産婦人科、皮膚泌尿器科、麻酔科、放射線科、歯科、理学診療科を有する病床数185床Y病院を経営している。Y2医師は、Y1医療法人の理事長かつY病院の院長であり、麻酔標榜医の資格を有する外科医である。
患者A(昭和6年12月16日生・男性)は、昭和58年4月に心筋梗塞のため、平成2年6月に心筋炎・心不全のため、平成3年1月に心不全のため、平成5年9月に右外鼠径ヘルニア整復手術のため、それぞれY病院に入院した。
平成5年10月、Y病院での検査の結果、Aは、早期の胃がんであると判断され、同月25日から胃切除手術準備のためにY病院に入院した。
同月27日午後、Aは、Y病院において、Y2医師および産婦人科医であるO医師を麻酔担当医、K医師を執刀医とする全身麻酔による胃切除手術(以下、本件手術という)を受けた。
同日午後0時30分ころ、看護師により、Aに基礎麻酔注射がなされ、同日午後1時30分ころ、Aは、手術室に入室し、自動血圧計(5分おきに計測)及び心電図モニターを装着し、モニターが開始された。
午後1時35分ころ、Aに毎分6リットルの酸素吸入が開始されたが、この時点で、Aの血圧は最大126ミリ水銀柱、最小78ミリ水銀柱、脈拍は毎分90回であった。
午後1時40分ころ、Y2医師は、Aに対し、麻酔薬であるラボナール及び筋弛緩剤であるレラキシンを静脈注射し、麻酔のため気管内にチューブを挿管しようと試みたが、Aは当時、身長167センチメートル、体重77キログラムと肥満気味であった上、首が短く気管の入り口が見えにくいという挿管の困難な体型であり、気管内には挿管できなかった。この時点でのAの血圧は、最大158ミリ水銀柱、最小106ミリ水銀柱、脈拍は毎分127回であった。聴診の結果、挿管が失敗したことに気付いたY2医師は、Aをいったん純酸素で酸素化した上、喉頭を十分に展開させるために、さらにレラキシンを静脈注射して、チューブなどは変更しないまま、再び挿管を行った。そして、Y2医師およびO医師の両名で、胸部のふくらみの確認や呼吸音の聴診などの確認作業を行った結果、気管内に挿管できたものと判断した。
挿管終了後、Y2医師は麻酔管理をO医師と交代し、O医師が送気用のバッグを手で加圧して、麻酔ガスでの呼吸調整を行うようになった。
Y2医師が執刀に向けて手の消毒をするため隣室へ出ようとしたところ、Aに、一脈おきの(重症ではない)心室性期外収縮が発生した。そこで、Y2医師は、看護師に指示して、心室性期外収縮適応薬剤であるキシロカインをAに静脈注射させ、これを消失させた。午後1時45分時点において、Aの血圧は最大156ミリ水銀柱、最小104ミリ水銀柱、脈拍は毎分135回であった。
その後、執刀医であるK医師から、麻酔が浅いとの指摘がされたため、Aに筋弛緩剤であるミオブロックが注射された。
午後1時47分ころ、K医師が、Aの腹部の皮膚を切開したところ、血液の色が黒く、Aが酸素欠乏状態にあることが判明した。
本件手術は直ちに中止され、麻酔ガスが純酸素に切り替えられ、Y2医師およびO医師により、麻酔器具・回路の点検が行われたが異常は発見されなかった。また、Aの聴診も行われたが、挿管も気管内にされているものと判断された。
午後1時50分時点において、Aの血圧は最大100ミリ水銀柱、最小74ミリ水銀柱、脈拍は毎分125回であり、血圧は急激な低下を示した。
午後1時55分ころより、Aに対して、心臓マッサージが開始された。また内科医であるZ医師が緊急に呼び出され、午後2時4分ころには手術室に入室し、心臓マッサージに加わるなどした。また、同じころ、急性循環不全の適応薬剤であるソル・メドロールが投与された。
しかし、Aは、同時刻ころには著しい徐脈となり、午後2時20分ころには心停止に近い状態となり、同30分ころには蘇生は絶望的であろうと判断され、待機していた親族が手術室に招き入れられた。そして、午後4時には、蘇生活動が中止され、Aは死亡したものと判断された。
そこで、Xら(Aの妻および子ら)は、Aが死亡したのは、同手術において麻酔を担当していたY2医師および訴外O医師の過失によるものであるとして、Yらに対し、不法行為あるいは診療契約の債務不履行に基づき損害賠償を請求した。
(損害賠償請求)
患者遺族(妻子)の請求額: 合計5313万3881円
(内訳:逸失利益1710万3882円+慰謝料3000万円(患者固有の慰謝料1000万円+妻の慰謝料1000万円+子2人の慰謝料合計1000万円)+葬儀費用120万円+弁護士費用483万円(患者の損害につき、複数の相続人が法定相続分に応じて相続したため端数不一致。予備的主張もあるが割愛))
(判決による認容額)
裁判所の認容額:合計3973万0246円
(内訳:逸失利益1093万0246円(患者の逸失利益2186万円0494円のうち妻の相続分1093万0247円については、妻の受給が確定している遺族年金1961万0433円を充当した結果、子2人の相続分合計額のみ認容)+慰謝料2400万円(患者固有の慰謝料1000万円+妻の慰謝料700万円+子2人の慰謝料合計700万円)+葬儀費用120万円+弁護士費用360万円)
(裁判所の判断)
Aの死亡について、Y2医師およびO医師に過失があるか
この点について、裁判所は、鑑定人の鑑定結果によれば、Aの死因は、低酸素血症による心不全であり、それが発生した理由は、食道内誤挿管に気付かなかったために、肺での酸素化が行われなかったことであると判示しました。
その上で、裁判所は、Aは、本件手術において、麻酔のための挿管後にいったん上昇した血圧及び脈拍が、それ以後もさらに上昇を続け、高血圧及び頻脈となっている状態で執刀が開始されたところ、血の色が黒く、低酸素症の状態にあることが判明したものであり、その後、血圧は急降下し、心臓マッサージ等の救命措置が行われたものの、最終的には死亡するに至ったものであると認定しました。
そして、裁判所は、挿管の刺激によりいったんは上昇しても麻酔が効いてくれば低下するはずの血圧及び脈拍が引き続き上昇していることからして、Aは執刀前から酸素不足の状態にあったと考えられること、挿管後にAに心室性期外収縮が発生しているところ、心室性期外収縮の原因として一般に低酸素症も挙げられていること(なお、Yらは、低酸素症が進行していれば心室性期外収縮が再発するはずと主張するが、原因たり得るからといって、必ずしも発生するとは限らないものである。)、事前に酸素化されている患者は酸素の供給が途絶えてから血が黒くなるまでに5ないし10分くらいを要するところ、執刀時に既に血が黒かったことからすれば、挿管のころから酸素供給が途絶えていたと考えられること(鑑定の結果)、浅麻酔は通常執刀による刺激で判明することが多いが、本件手術においては執刀前に判明していることからして、麻酔ガスを送り込んでいるのにもかかわらずこれがほとんど効いていなかったと考えられること、麻酔器具及び回路には異常がなかったことなどを併せ考えれば、Aに対して行われた麻酔のための挿管は、実際は気管内ではなく食道内にされていたものであり、このためAは低酸素症に陥って死亡したものと認定しました。
さらに、裁判所は、挿管時の確認により食道挿管を発見できなかったとしても、Y2医師及びO医師は、Aの頻脈及び高血圧、心室性期外収縮の発生を認識しているところ、これらはいずれも低酸素症の兆候といえるものであり、しかも、麻酔開始後に頻脈及び高血圧が持続していることは麻酔が効いていないことを示すもので、実際、K医師からも麻酔が浅いとの指摘を受けていると判示しました。
その上で、裁判所は、これらのことからすれば、Y2医師及びO医師は、執刀開始前に食道内への誤挿管がされていることを疑うべきであったといえ、これに気付かなかったY2医師及びO医師には過失があると認定しました。
裁判所は、Aの死亡について、Y2医師は民法709条に基づく不法行為責任を、Y病院は民法715条に基づく不法行為責任を、それぞれ負うものであるとしました。
以上より、裁判所は、上記裁判所認容額の限度でXらの請求を認容しました。その後、判決は確定しました。