東京地方裁判所 平成15年1月27日判決 判例タイムズ1166号190頁
(争点)
- 本件手術後のY病院の経過観察に過失があるか
- Y病院の過失とAの死亡との間に相当因果関係があるか
- 仮に、Y病院の過失とAの死亡との間に相当因果関係が認められなかったとして、Y病院は、Aに与えた精神的苦痛を慰謝する義務を負うか(いわゆる期待権侵害の有無)
(事案)
A(死亡時15歳の男子)は、平成8年2月13日、Y(地方公共団体)の開設するY病院の神経科外来診療を受け、同月21日、CT検査を受けた結果、脳腫瘍(後頭蓋窩腫瘍)と診断され、同日、Y病院に緊急入院し、同病院脳神経外科の入院治療を受けることになった。
その後、Aは平成8年2月27日、第1回目の脳腫瘍摘出手術を受け、同年5月27日、退院した。ところが、Aは、同年7月下旬ころ、外来診療で脳腫瘍の再発が発見され、同年9月3日、再入院の上、同月12日、2度目の脳腫瘍摘出手術を受け、同年10月1日、退院した。
しかし、平成9年3月下旬ころ、Aに脳腫瘍の再々発が発見され、同年4月10日、再々入院の上、同月15日、3度目の脳腫瘍摘出手術(以下、本件手術という)が行われた。
本件手術においては、腫瘍が脳幹に浸潤しており、剥出が困難であった。Aは平成9年4月18日、準集中治療室から一般病棟に移り、同月22日ころ、点滴が終了した。
その後、Aは同月24日から頭痛が断続的に出現し、時々微熱を生じ、同年5月3日からは右眼窩痛と寒気、同月11日には、左耳の疼痛を訴えた。
Aの主訴に対し、Y病院脳神経外科のO医師は、同日、耳鼻科の診察を受けることを指示した。また、同日、O医師は、「退院してもよいでしょう。早く学校に行かせよう。リハビリの先生と相談して退院日を決めよう。」と述べた。
なお、Aは看護師を通じて医師に頭痛、右眼窩痛、寒気及び左耳の疼痛を訴えており、これに対し、Y病院のH医師は、「姿勢が悪い」旨述べた。
ところが、Aは、平成9年5月12日、午前5時30分及び午前6時30分の2度にわたり嘔吐し、同日午前10時30分には呼名反応がなくなった。
Aは同月21日午後9時38分、髄液貯留による脳幹圧迫、連鎖球菌による敗血症及び髄膜炎を併発して脳死状態のまま死亡した。なお、この間皮下貯留液及び血液培養検査の結果、グラム陽性球菌であるA群溶血性連鎖状球菌が検出された。
Aの遺族である両親が、Aの容体急変の原因は、グラム陽性菌により惹起された敗血症を見逃したY病院の過失にあるとして、Yに対し、延命利益の侵害ないし期待権の侵害に基づき慰謝料の支払いを求めて提訴した。
(損害賠償請求)
患者遺族(父母)らの請求額:2000万円
(内訳:慰謝料2000万円(患者及び遺族らの慰謝料計2000万円))
(判決による認容額)
裁判所の認容額:合計200万円
(内訳:患者の慰謝料100万円+遺族ら固有の慰謝料計100万円)
(裁判所の判断)
1.本件手術後のY病院の経過観察に過失があるか
この点について、裁判所は、Y病院の医師としては、敗血症を回避するために、Aに発熱が生じた平成9年4月24日の時点で、Aの病状につき警戒して、念のため、血液培養や髄液検査等を行い、Aが髄膜炎に罹患していることを発見して抗生剤の投与や髄液ドレナージを行うべきであったところ、Y病院の医師は、これを感冒と勘違いして放置したものであり、Y病院の医師には、このような敗血症を防止するための措置を怠った過失があるものと認められるとし、Y病院の経過観察には過失があったと判断しました。
2.Y病院の過失とAの死亡との間に相当因果関係があるか
この点について、まず、裁判所は、医師の不作為と患者の死亡との間の因果関係が肯定されるためには、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されることを要するとしました。
その上で因果関係の検討の前提として、裁判所は、まずAの死因について判断しました。
裁判所は、Aの死因が敗血症を原因とする多臓器不全によるものであったのかどうかについては、本件全証拠によっても明らかでないと判示しました。さらに鑑定の結果によれば、敗血症がAの死亡に大きく寄与し、敗血症の原因が髄膜炎であった可能性が高いものの、死因を特定するまでには至らないこと、仮に、死因が敗血症を原因とする多臓器不全によるものであるとすれば、敗血症を回避する措置が適切に執られていた場合には、Aを延命できた可能性があるが、他方、敗血症とは無関係の多発性脳梗塞・脳死に続いて心停止が生じたとすれば、敗血症を回避する措置が適切に執られていたとしてもAの延命は期待できなかったと認定しました。
そして、裁判所は、仮に、Y病院の医師が、Aに発熱が生じた平成9年4月24日の時点で、Aの病状につき警戒して、念のため、血液培養や髄液検査等を行い、Aが髄膜炎に罹患していることを発見して抗生剤の投与を行っていたとしても、Aの死が髄膜炎に起因する敗血症とは無関係の多発性脳梗塞・脳死に基づくものであれば、かかる処置はAの延命にはなんらの意味のない処置であったことになり、そうであるとすれば、Y病院の過失とAの死亡との間の因果関係に関しては、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性があったと認めることはできないと判示しました。
裁判所は、以上によれば、Y病院の過失とAの死亡との間に相当因果関係を認めることができないと判断しました。
3.仮に、Y病院の過失とAの死亡との間に相当因果関係が認められなかったとして、Y病院は、Aに与えた精神的苦痛を慰謝する義務を負うか(いわゆる期待権侵害の有無)
この点について、まず、裁判所は、疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、この医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当であると判示しました。
そして、裁判所は、確かに、Aの死因は不明であり、同人の死亡とY病院の医師の診療行為との間に相当因果関係を認めることはできないものの、髄膜炎を原因とする敗血症がAの死亡に大きく寄与した可能性が高いこと、仮に、死因が敗血症を原因とする多臓器不全によるものであるとすれば、敗血症を回避する措置が適切に執られていればAを延命できた相当程度の可能性があったことが認められるとしました。
さらに、裁判所は、Aについては、発熱が生じた平成9年4月24日の時点で、Aの病状につき警戒して、念のため、血液培養や髄液検査等を行い、Aが髄膜炎に罹患していることを発見して抗生剤の投与を行ったならば、少なくとも同年5月21日の時点での死亡を回避できた可能性は相当程度存在したものというべきであるとしました。
その上で、裁判所は、Y病院において、医療水準にかなった医療が行われていたならば、患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性はあったものと認めることができるとしました。
裁判所は、以上によれば、O医師らY病院の医師は、平成9年4月24日以降、Aにたびたび発熱がみられたにもかかわらず、Aの病状を楽観視し、同人の症状に対応して髄液検査を行い、抗生剤を投与するなどの感染症に対する処置を怠ったものと認められ、不法行為による損害賠償責任を負うものというべきであると判断しました。
また、以上に加えて、裁判所は、O医師らY病院の医師は、Aに関する診療において、両親に対して、必ずしも病状の十分な説明を行ったとはいえず、また、カルテの記載が不十分であったり、Aの死後、死因の究明のため病理解剖を両親に勧めることをしないなど、医療行為として不十分な点が散見されるのであり、これらの点において、医療水準にかなった適切な医療を受けるというA及び両親の期待権を侵害したものということができるとしました。
以上より、裁判所は、上記裁判所認容額の限度で両親の請求を認容しました。その後、判決は確定しました。