鹿児島地方裁判所 平成25年6月18日判決 判例時報2207号65頁
(争点)
- 人工血管置換手術適応の有無
- プルスルー法を用いる人工血管置換手術適応の有無
(事案)
患者X(本件手術当時満71歳の男性)は、平成14年9月、K市立病院(以下K病院)において、急性大動脈解離(スタンフォードB型(上行大動脈に解離のない型))と診断され、それ以後、K病院において大動脈解離及び大動脈瘤についての経過観察等を受けていた。
Xには、大動脈弓が左鎖骨下動脈を分枝した付近から末梢側にかけての部分に瘤(遠位弓部瘤。以下瘤A)が生じていた。さらに、Xには、下行大動脈の第七胸椎レベルから第九胸椎レベルにかけて瘤(下行大動脈瘤。以下瘤B)が生じていた。
K病院の医師は、平成18年2月9日に行ったCT検査の結果(以下術前CT)から、大動脈瘤の瘤径が拡大傾向にあると判断し、人工血管置換術の手術適応を検討するため、XをY国立大学法人が設置・運営・管理するY大学医学部・歯学部附属病院(以下Y病院)に紹介した。
Xは、平成18年3月7日、Y病院心臓血管内科を受診した。同科の医師は心エコー等の検査を行い、Xに対し、手術による治療を勧め、Y病院心臓血管外科を紹介した。
Xは、同日、同科を受診し、同科の医師は、手術(人工血管置換術)による治療に向けて準備をする方針とした。
Y病院心臓血管外科の医師は、アダムキービッツ動脈の同定のためのMDCT(マルチスライスCT)検査の目的で、平成18年4月、XをT病院に紹介した。XはT病院に入院し、同月6日、MDCT検査を受けた(以下、T病院MDCT)。
Xは、平成18年5月10日、本件手術(人工血管置換術)のために、Y病院心臓血管外科に入院し、心エコー検査を受けた。
Y病院のH医師は、本件手術当時、Y大学大学院医歯学総合研究科の教授であり、本件手術の執刀医であった。Y病院のT医師は、Y大学大学院医歯学総合研究科の助手であり、本件手術の助手であった。
H医師及びT医師を含む、本件手術に関与する予定のY病院心臓血管外科の医師らは、平成18年5月12日、本件手術の術式についてカンファレンスを行った。
当初、一般的な方法とされる左開胸による人工血管置換術が検討された。しかし、大動脈弁逆流があること、大動脈弓にも病変があることから、下行大動脈よりも中枢側について手術を行う必要が生じる可能性があったため、手術侵襲は大きくなるものの、胸骨正中切開と左開胸を併用し、大動脈弓及び下行大動脈の人工血管への置換をともに行うとされた。
なお、年齢に比して手術侵襲が大きくなるため、侵襲軽減目的で下行大動脈の置換についてはプルスルー法で行うことも検討された(瘤部血管壁の切開は行わず、人工血管に置換する大動脈の瘤より中枢部側及び末梢部側の各前壁だけを切離し、切離した中枢側または末梢側部位から人工血管を大動脈に挿入してこれを末梢側または中枢側に引っ張って通し、中枢部、末梢部とも切離していない後壁側正常血管に人工血管を吻合する方法。正中切開のみで下行大動脈置換術が可能になり、左開胸を必要としないため、手術侵襲が小さく、左開胸が術後呼吸機能等に及ぼす悪影響や吻合部の止血に伴うリスク等を回避できる反面、人工血管に置換した範囲の肋間動脈を視認することができないため、その再建はできなくなる)。また大動脈弁逆流等の大動脈の基部の異常について基部置換術を行う可能性も考慮され、この部分の人工血管への置換の要否及び具体的な術式は術中に最終決定することとなった。
T医師は、平成18年5月14日、X、Xの妻、Xの子(2人いるうちの1人)に対し、本件手術についての説明を行った。その内容は以下のとおりである。
(ア)Xには大動脈弓が左鎖骨下動脈を分枝した付近から腹部大動脈に移行する手前までの範囲に血栓化した解離腔を伴う大動脈瘤があり、その瘤径は56mmである。また大動脈弁逆流がある。
(イ)大動脈瘤の瘤径が60mmを超えると破裂のリスクが高まり、55mmを超える程度でも破裂のリスクはある。
(ウ)本件手術のリスクとして、脊髄への血流が滞ることによる対麻痺の発生があり、それへの対策として、脊髄への血流確保に重要なアダムキービッツ動脈の血流を維持するため、第八肋間動脈等を再建する予定である。
なお、プルスルー法のように人工血管に置換した範囲から分枝する肋間動脈の再建を行わない術式を選択する可能性についての説明はされなかった。
Xは、H医師の執刀の下、平成18年5月15日に本件手術を受けた。
本件手術の主な手順は胸骨正中切開を行い、心膜を縦切開して、心臓に達するというものだったが、この際、術中所見として、弓部三分枝が瘤Aによって若干正中寄りに圧排されていること、大動脈弓は径45mm程度で若干瘤化しており、動脈硬化性変化が強いことが確認された。そのため、H医師らは、大動脈弓の置換も必要であると判断した。
体外循環のための所定の処置を行ったところ、自己心拍のある状態では左室の過伸展はなく、血圧も維持されていた。その後、大動脈弓前面剥離して、弓部三分枝を剥離露出しようとしたところ、腕頭動脈と左総頸動脈との間の大動脈弓後壁から出血が生じた。そこで、用手圧迫で止血しつつ冷却を続け、食道温20℃で循環停止の状態とした。H医師らは、用手圧迫で止血しつつ左肋間開胸を行うと脳合併症の危険があり、循環停止まで左肋間開胸は避けるべきであるが、循環停止の後に左開胸を開始することによって循環停止時間が大幅に延長されることになることから、このような延長を避けるため、循環停止後に、左肋間開胸を必要としないプルスルー法によって下行大動脈を人工血管に置換する方法を検討することとした。
なお、H医師らは、自己心拍がある状態では左心室の過伸展がなく、心停止時に左心室が張るのみで、人工心肺中の血圧も維持されていたことから、大動脈弁置換の必要はないと判断した。
上行大動脈を切開し大動脈弓へ延長したところ、腕頭動脈開口部に10mm大の器質化した血栓が付着していた。同部付近の大動脈弓後壁内膜に古い亀裂・欠損が認められ、動脈硬化症の粥腫が付着しており、この付近の血管壁は外膜のみで形成されていた。上記の出血はこの外膜に小孔ができたため生じたものであった。
そして、左総頸動脈と左鎖骨下動脈との間で大動脈弓を離断した。この間、適宜、脳灌流の処置をとった。
脳灌流の確立後、心臓を頭側に牽引し、心囊後壁を切開して下行大動脈を展開した。
下行大動脈を周囲から剥離していった結果、H医師は、プルスルー法による場合の人工血管と自己血管との吻合可能部位があると判断し、下行大動脈の置換をプルスルー法によって行うことを決定した。下行大動脈の後壁を約10mm残して下行大動脈を切開し、その内腔を観察すると、切開部の内膜に粥腫が多量に付着したが、開存した解離腔はなかった。
内膜の粥腫の存在から、血流再開後の塞栓症の可能性が高いと判断し、上記切開部の末梢側に長さ約50mm、径22mmのエレファントトランク(人工血管の末端を自己大動脈に吻合せず吹き流しのようにしたもの)を置いた。
そして、左総頸動脈と左鎖骨下動脈との間の大動脈の離断口から末梢側へ人工血管(四分枝付きヘマシールド)を挿入し、その直線部分を下行大動脈の切開部まで誘導した。そして、人工血管の末梢側の端を下行大動脈切開部の自己大動脈の動脈壁に固定した。下行大動脈の末梢側の置換部位は第8胸椎レベルから第9胸椎レベルへ移行する部位であり、エレファントトランクの末端は第9胸椎の下縁レベルであった。
その後、人工血管の中枢側も、左総頸動脈と左鎖骨下動脈との間の離断口において、自己大動脈に固定した。肋間動脈は再建しなかった。
四分枝付きヘマシールドの分枝のついている部分を左総頸動脈と左鎖骨下動脈との間の離断部で固定し、弓部三分枝を再建して大動脈弓を人工血管に置換した。
その後、所定の処置を施して、本件手術は終了した。本件手術における下半身循環停止時間(脊髄虚血の時間)は90分であった。
本件手術直後から、Xの下肢の動きが認められず、対麻痺対策を行ったが、平成18年5月18日も下肢の動きが認められず、痛覚刺激による反応もなかった。
結局、Xには胸髄5番以下の対麻痺が生じた。
Xは、Xの大動脈瘤には未だ手術適応がなかったなどと主張して、Y国立大学法人に対し、損害賠償の支払いを求めて提訴した。Xは本件訴訟の係属中に死亡し、相続人である妻と子供2人が本件訴訟を承継した。
(損害賠償請求)
患者(訴訟係属中に死亡)の請求額:遺族合計7289万8539円
(内訳:逸失利益998万1769円+医療関係費286万7170円+入院雑費184万1600円+付き添い介護費用920万8000円+入院慰謝料1000万円+死亡慰謝料3000万円+弁護士費用900万円)
(判決による認容額)
裁判所の認容額:遺族合計3830万8364円
(内訳:344万4695円+医療関係費285万5670円+入院雑費159万9000円+付添い介護費用692万9000円+慰謝料2000万円+弁護士費用348万円。遺族がこれを法定相続分に従い相続しており、端数不一致)
(裁判所の判断)
1.人工血管置換手術適応の有無
裁判所は、まず、胸部大動脈瘤に対する人工血管置換術の手術適応は、基本的に、大動脈の破裂のリスクと手術に伴うリスクを比較して判断すると判示しました。次に、人工血管置換術の標準的術式について、本件手術当時、弓部大動脈瘤(瘤Aも、その位置からして、これと同様に考える)に対しては胸骨正中切開による手術が一般的で、下行大動脈瘤(瘤B)については、左肋間開胸を行い、肋間動脈を再建する手術法が一般的であったと認定しました。
その上で、裁判所は、手術適応は瘤Aと瘤Bに分割して考えることが相当であると判示しました。
そして、瘤Aの瘤径は水平断で約48㎜であり、矢状断の推定値で約55㎜であったが、この部分にはかつて解離を生じたことがあるから上記瘤が解離性瘤である可能性も否定できなかったことを踏まえて、本件手術当時、瘤径55㎜から60㎜の胸部大動脈瘤の手術適応については議論が別れているものの、相対的に有用性、有効性を支持する見解が多数であったこと、解離性瘤については、基準より5㎜小さいものにも手術適応が認められることに照らすと、瘤Aについて手術適応があると判断したことは、医師の裁量の範囲内というべきであるとして、医師の過失を否定しました。
次に瘤Bについても、瘤の瘤径が約55㎜であり、1年で約5㎜の拡大が認められたことからすれば、瘤Bについて手術適応を認めたことも、医師の裁量の範囲内というべきであるとして、医師の過失を否定しました。
2.プルスルー法を用いる人工血管置換手術適応の有無
裁判所は、瘤Bの末梢側の収束部位は、第8胸椎から第9胸椎にかけてのレベルであること、また、T病院MDCTの結果において、第8肋間動脈がアダムキービッツ動脈を分枝していること、第8肋間動脈の起始部に閉塞の疑いがあり、側副血行路によって血流が維持されている可能性があることはY病院の医師も認識していたことを指摘しました。
そして、従って、Y病院の医師としては、瘤Bに対してプルスルー法を用いた場合には、第8肋間動脈が大動脈から遮断されるおそれがあり、また、第7肋間動脈は大動脈から完全に遮断され、そこからの側副血行路は確実に影響を受けて、対麻痺が発生する危険性が高まると考えるべきであったと判示しました。
裁判所は、以上のようなプルスルー法特有の対麻痺発生に係る危険性、対麻痺の重篤性を考慮すると、本件において肋間動脈を再建するという一般的な術式を採る考え方とプルスルー法という術式を採る考え方との間には、対麻痺の発生原因や治療戦略等について根本的な考え方の違いが存在するといえると判示しました。そして、この違いや、瘤Bに対する手術の必要性、肋間動脈を再建しないという点ではプルスルー法と類似するステントグラフト治療については患者の希望を考慮すべきとされていることに照らすと、本件においてプルスルー法を採用するに当たっては、患者の同意の有無を確認する必要があり、患者の同意の有無を確認することなくプルスルー法を採用することは医師の裁量の範囲を超え、不適切であって許されないと認定しました。
そして、裁判所は、本件では、Xにプルスルー法についての説明はされておらず、その同意の有無が確認されたこともないから、Y病院の医師らがプルスルー法を採用することは不適切であり、瘤Bについても同時に手術するのであればプルスルー法によるのが適切であると判断した時点で、瘤Bの手術を断念し、本件手術は瘤Aのみについての手術にとどめるべきであったにもかかわらず、瘤Bに対してプルスルー法を用いたY病院の医師らにはその裁量の範囲を超えた過失が認められると判断しました。
裁判所はY国立大学法人に対し、上記「裁判所の認容額」記載の損害賠償の支払いを命じ、その後判決は確定しました。