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No.260「末期の乳癌患者に実施された血管造影検査の必要性及び説明義務につき、大学病院側の過失が否定された地裁判決」

横浜地方裁判所 平成11年3月30日判決 判例タイムズ1050号228頁

(争点)

  1. 患者に対する血管造影検査の実施は当初の治療目的から逸脱する不要なものであったか
  2. 血管造影検査の実施にあたり、病院医師らに、患者及び家族に対する説明義務違反があったか

 

(事案)

1.患者A(夫と子2人のいる女性)は、平成5年10月23日、B病院で右乳癌と診断され、同年11月4日、同病院で右乳癌切除手術を受け、術後、入退院を繰り返しながら化学療法を合計8クール受けた。その後、平成7年12月末から右胸部発赤疼痛、右胸壁腫脹疼痛増強したため、Aは同病院を受診し、平成8年1月6日に行われた生検の結果、右鎖骨下胸壁に癌が再発したと診断された。AやXら(Aの夫、Aの子)は、同病院の医師から、癌が再発し治癒する見込みがなく、同病院ではAに対する治療方法がないことなどを告げられた。

2.その後、Aは、B病院の紹介で平成8年1月23日からY学校法人が開設するY大学病院放射線科に通院し、放射線治療を受けていたが、疼痛増強のため通院が困難となり、疼痛管理、放射線治療、再発検索の目的で同年2月7日にY大学病院外科に入院し、D医師がAの主治医となった。

Y大学病院では、放射線治療、薬による疼痛緩和等を通信に治療がなされたが、放射線治療は同年3月5日に終了し、その後は疼痛緩和と抗癌剤の治療等が実施された。

3.同年5月31日、D医師は、Aの夫に対し、抗癌剤の治療効果と創出血の可能性について説明を行った。抗癌剤の治療効果と創出血の可能性については、現在、癌は広がる様子がみられ、右胸部の穴が周囲や奥にひろがってきている。この部分は動静脈の通路であり、現在、穴から癌で溶けた鎖骨が見えてきているが、血管の露出はない。しかし、奥にひろがれば出血が考えられ、出血した場合には、誰にも止めることはできず死に至る旨説明された。これに対し、Aの夫は何か方法がないかを尋ねたが、現代の医学では手の施しようがない旨の説明がされた。

4.平成8年6月30日ころ、Y大学病院の血管外科の医師から、鎖骨下大動静脈が破裂する危険性が大きいのであれば、破裂する前にステント等を入れてみてはどうか、そのためにはまず、血管の走行を見るために血管造影検査(経静脈性ディジタルサブトラクションアンギオグラフィーという方法であり、末梢静脈より造影剤を注入して鎖骨下動脈を造影する検査、以下「本件検査」という)を実施しなければならない旨の意見が出され、血管の位置関係を確認するために本件検査を実施することとされた。

Y大学病院の医師がAの出血を予防する手段として想定したのは、血管バイパス手術と血管内ステント挿入である。血管バイパス手術とは、出血部を結紮して、これを人工血管に置き換えるという治療方法であり、また、血管内ステント挿入とは、主として動脈瘤の破裂の予防に使用される新しい治療方法で、カテーテルを用いて血管内に人工血管を入れて、その部分を人工血管に置き換えるという治療方法である。いずれの治療方法もかなり難しい手術である。

5.Y病院のT医師は、同年7月4日ころ、Aに対して、「右腕がむくんで痛いのは、癌の腫瘍が大きくなってきて、血管などを圧迫しているためです。腫瘍と血管の位置関係がどうなっているか調べてみて、何か方法はないか考えてみたいと思います。そのために、血管造影検査をしてみようと思います。」などと話し、さらに本件検査の概要について説明したところ、Aは本件検査を受けることを承諾した。なお、本件検査の実施方法について留置針を前腕静脈に挿入することができない場合には、鼠径部の大腿静脈に挿入することになるとの説明はなく、本件検査前にAの夫らに説明はなかった。

Aの日記には、「腕の所が炎症を起こしているので来週にでも血管造影をしてみる。でないと血管に血が通わなくなってしまう。」「今日は今までにないぐらい腕の圧迫感があり本当につらい。」と記載されている。

6.平成8年7月9日に以下の通り本件検査が実施された。

本件検査は仰向けに寝ているAの前腕肘窩の静脈に留置針を挿入して造影剤を注入して行われ、15分程度で終了する予定であった。しかし、Aの左手静脈は長期の化学療法、点滴のために細くもろくなっていたので、左前腕に留置針を4回刺したが静脈に挿入することができず、そのため、通常、ルート確保に使用される鼠径部に留置針を挿入することとし、局所麻酔を行った上で右鼠径部の大腿静脈に静脈留置針を刺してルートを確保し、注入量・注入速度を調節できる造影剤自動注入器で約30ミリリットルの造影剤を静脈内に一気に注射して、静脈から心臓を経て鎖骨下動脈に流れてきた造影剤をX線で連続的に撮影し、撮影後、留置針を抜針した。Aは本件検査後、穿刺部の内出血防止のため、1時間は右下肢を屈曲しないように指示された。鼠径部に血腫はなく、出血も見られなかったので、下肢動脈循環に問題なしと判断された。

本件検査当日の夜、Aは面会に来た夫に対し、太い注射を何度も刺されて痛かった、長い間寝ている体勢がつらかったといって泣いていた。Aの日記にも、本件検査につき「太い注射四回もしたが、全然だめ。足の所麻酔して行う。」「今日の検査が今までより一番つらかった。頑張らなければ。」と記載されている。

Y大学病院の看護記録には、同年7月9日午後3時30分の欄に、「たくさん刺されたわ」とのAの発言と「数回穿刺されたことがショックだと、少々涙流している。」との看護師が観察したAの様子とが記載され、同日午後9時の欄に、「今日は疲れました」とのAの発言と「検査後ぐったりしており、いつもの笑顔みられず。」との看護師が観察したAの様子が記載されている。

7.本件検査の結果、腫瘍が鎖骨下動脈を圧迫していたが、近い将来大きな血管から出血する可能性は少ないとの所見が得られ、血管バイパス手術や血管内ステント挿入を行う適応にはないと判断された。

Y大学病院のT医師は、7月11日にAの夫及び長男に対して病状の説明と本件検査の実施とその結果について、「血管には動脈と静脈があり、動脈は壁が厚いが、静脈はもろく直ぐにはじけてしまう。血管が破れて出血したら手の施しようがなくなるので、それを予防する手段が取れるかどうかを調べるために本件検査を実施したが、今のところ大丈夫である。」との説明を行った。

8.本件検査の前後で、Aの尿量、BUN(尿素窒素)、クレアチニン値には特に変化がなく、造影剤の副作用と考えられる腎機能障害は認められなかった。

痛み止めの塩酸モルヒネを増量した副作用のため7月11日ころから傾眠傾向が強くなった。7月14日には、左鎖骨下に中心静脈カテーテルを挿入し、抗生剤を投与するようになった。7月16日に、Aは個室に移動し、T医師は同日、Aの夫らに対し、Aの全身状態が悪化してきた現状について説明した。その後、37度台の熱発、便秘、全身浮腫、低蛋白血症がみられ、Aは平成8年7月30日に死亡した。

9.以上の事実について、Aの夫及びAの子ら(長男、次男)は、Y病院に対して、Aが不要な本件検査の実施により耐え難い精神的苦痛を被ったとして500万円の慰謝料と弁護士費用50万円を請求した。

 

(損害賠償請求)

患者遺族(夫と子2人)の請求額合計:550万円
(内訳:患者の慰謝料500万円+弁護士費用50万円)

 

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:0円

 

(裁判所の判断)

1.患者に対する血管造影検査の実施は当初の治療目的から逸脱する不要なものであったか

Aの夫らは、本件検査直前まで癌完治の見込みはなく、手の打ちようがないとの説明を受けていた状況下では、本件検査は必要がなかった、本件検査における鼠径部からのルート確保は患者の苦痛が激しく麻酔を要するものであり、乳癌末期の心身共に消耗したAにとっては大きな苦痛を伴い、侵襲性の低い検査であったとはいえない、としてY大学病院の医師は、治療方針を変更して、必要性なく、負担の大きな本件検査を実施したのであるから患者に必要以上の苦痛を与えないよう注意する義務に違反した過失があると主張しました。

このAの夫らの主張に対して、裁判所は以下のように判示して本件検査の必要性を認めました。

(1)本件検査の必要性について

裁判所は、まず、本件検査当時のAの状態について、腫瘍の鎖骨下静脈への浸潤、圧迫によると思われる右上肢の浮腫がみられるようになり、腫瘍が鎖骨下動脈に浸潤した場合には手の施しようのない大出血により死亡に至る可能性があると判断されていたこと、Y大学病院の医師らは、これを防止する手段として血管バイパス手術や血管内ステント挿入の処置を考え右処置の適応の有無について調べることを目的として本件検査が実施されたこと、本件検査の結果、右処置の適応が認められなかったことを指摘しました。その上で、裁判所は、本件検査当時には、右処置の適応にあるか否かが不明の状況にあり、それを調べるために本件検査を実施したのであるから、本件検査当時において、本件検査の必要がなかったとはいえないと判示しました。

(2)本件検査の侵襲性について

裁判所は、本件検査において、Aは左前腕に留置針を4回刺されたが、挿入することができず、局所麻酔をして鼠径部への穿刺によって実施されたのであるから、当初予定されていたよりもAによっては苦痛が大きかったといえるが、長期入院していたAの状態からすると留置針の挿入がうまくいかず前腕に4回穿刺することとなったのもやむをえないと判示しました。

また、鼠径部に穿刺することについても、鼠径部は通常ルート確保に使用される部位であり、鼠径部への穿刺にあたっては局所麻酔が使用されたこと、本件検査及びその後の安静は長時間にわたるものではないこと、更に、麻酔を使用して実施されたと認められることから、本件検査がAにとって侵襲性の大きな検査であったとまではいえないと判示しました。

2.血管造影検査の実施にあたり、病院医師らに、患者及び家族に対する説明義務違反があったか

(1)裁判所は、まず、医師は診療契約に基づき患者に対して診療債務の内容の一つとして説明義務を負うと判示しました。そして、本件の場合には、本件検査について事前に検査内容、検査に伴う危険等について十分な説明がなされていたか否かを検討するとし、説明義務違反の存否は医的侵襲に対する承諾の有効要件に関連して問題となるとしました。

患者の同意を得るために説明すべき内容や説明義務の範囲については、医学的知識を十分有しない患者に対して、患者の現在の病状、医的侵襲の程度、部位、範囲、方法及びその結果、予想される危険、それを実施しないときの予後等を理解させ、理性的な判断をさせるに必要な事柄がその対象となると一般的にはいえるが、その具体的内容については、個別の状況に応じて、専門家として医師の裁量的判断と患者の自己決定権の尊重との調和の観点化から判断すべきものと判示しました。

また、説明の相手方については、患者の自己決定権保護の観点から、原則として患者本人に対してなされるべきであると判示しました。そして、患者本人が、承諾の能力を欠く場合には、これに代わって承諾をなし得るものに対して説明義務を負うことになるとしました。

(2)裁判所は、Y大学病院の医師らが、Aに対して、本件検査の目的が人工血管手術や血管内ステント挿入の適応にあるか否かを調べるという目的であることについて正確に説明せず、「右腕がむくんで痛いのは、がんの腫瘍が大きくなってきて、血管などを圧迫しているためです。腫瘍と血管の位置関係がどうなっているか調べてみて、何か方法はないか考えてみたいと思います。そのために、血管造影検査をしてみようと思います。」などと説明したこと、Aの日記には「腕の所が炎症をおこしているので来週にでも血管造影をしてみる。でないと血管に血が通わなくなってしまう。」と記載されていることを指摘したうえで、AはY大学病院の医師の説明によって、現状の腕のむくみの原因は炎症であり、このまま放置すると、血管に血が通わなくなるものと理解し、それを予防するために本件検査を受けることに同意したものと認定しました。

裁判所は、本件検査はカテーテルを挿入して行われる血管造形検査と比べるとその侵襲は軽微であるということができ、Aにとっても本件検査の侵襲性が大きいものとはいえず、この程度の本件検査を実施するために、末期癌で入院中のAに対し、血管が破れた場合には大出血を起こし手の施しようがなく急死するということまで説明することが適当とは言えないと判示しました。また、Y大学病院の医師らの説明内容は、血行障害があることを指摘するものであり、本件の場合、現実に大出血の危険性が存在していたのであるから全く虚偽の内容ともいえないとしました。更に、血管内ステント挿入等の処置の適応の有無について判断するには、本件検査が必要であったことが認められるとしました。

裁判所は、以上の事情を総合的に考慮すると、Y大学病院の医師らは、Aに対して「癌が血管まで進み出血した場合には急死する」との説明をしなかったことは事実であるが、これは本件検査による侵襲が軽微であり、Aにとっても侵襲性が大きいとはいえないこと、末期癌の右のようなことまで説明することはむしろ不適切であること、本件検査の目的として血行障害を予防するためのものであると説明したこと、本件検査の必要性があったこと等の理由によるものであって、医師の裁量判断と患者の自己決定権との調和の観点から総合的に判断すれば、本件の場合においては、Y大学病院の医師がAに対して行った程度の説明で足りるものというべきであると判断しました。

裁判所は、したがって、Y大学病院の医師らは、Aに対し、医的侵襲を伴う本件検査を実施するにあたり、その前提としての承諾を得るために必要とされる説明を行ったものと認められるので、Y大学病院の医師にはA本人に対する説明義務違反の過失は認められないと判断しました。

(3)裁判所は、Y大学病院の医師らはAに対し、その同意を得るための説明義務を履行し、本件検査の実施に関するAの承諾を得ていたのであるから、それ以外のAの家族らに対する説明義務を負うとは認められないと判示しました。

その上で、Aの家族らが、Aに「手の施しようがない」との情報を与えることが不適当であったなら、Y大学病院の医師らはAの家族らに対して、本件検査の概要と効果、検査を行わない場合に想定される結果などを説明し、Aの家族らの同意を得たうえで、本件検査を実施すべき注意義務があると主張した点については、裁判所は、A本人に対して本件検査の目的を正確に説明することが適当でないから、本件検査の目的等についてAの家族に説明することが望ましいものということができるが、侵襲性が比較的軽微といいうる本件検査自体を実施するにあたって、患者本人に対する説明とこれに基づく同意が得られた場合に、さらに患者の家族らに対してまで本件検査前に本件検査の目的等について説明すべき義務を負うとは認められないと判示しました。

裁判所は、以上のことを踏まえて、患者の夫らの主張はいずれも理由がないとして、その請求を棄却しました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2014年4月10日
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