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No.258「市民病院で心臓手術を受け、集中治療室(ICU)に収容された2歳児が、酸素欠乏に基づく全治不明の低酸素性脳症に。患児につきそっていた臨床研修医に業務上過失傷害罪が適用され、罰金20万円の刑が言い渡された地裁判決」

広島地方裁判所 平成15年3月12日判決 判例タイムズ1150号302頁

(争点)

  1. Y医師の刑事責任の有無
  2. 量刑

 

(事案)

X(平成9年4月生まれ・事件当時2歳)は、生後10日目ころ、心臓に雑音があるとしてY市民病院(以下、Y病院という)において診察を受け、心室中隔欠損、肺動脈狭窄、右心室低形成などの先天性の心疾患があることが判明した。

呼吸困難に陥りやすくなったり、発育に影響が生じるといった悪影響が懸念されたため、右心室の成長を待ち、心室の欠損部分を閉鎖するなどの心臓手術が行われることになり、平成12年3月13日にY病院に入院し、同月16日に手術する予定となった。

Y医師は、平成11年3月に医学部を卒業し、同年5月に医師免許を取得し、同年7月1日付けでY病院に採用され、非常勤嘱託の医師として、Y病院において医師法16条の2第1項所定の臨床研修を行っていた。

Y医師は、Y病院の麻酔科、外科、心臓血管外科で研修を行い、麻酔科の研修では心臓手術やICUでの研修はなかったものの、約40例の手術に立ち会い、外科においては介助医として約35例の手術に立ち会い、そのうちの大腸癌患者の例では全身管理の必要から患者が術後にICUに収容されたため、Y医師もICUに足を運んでいた。また心臓血管外科において介助医として立ち会った先天性心疾患のうち2例が乳児及び幼児に対するもので、そのうち1例が本件であり、他の1例は、同年2月下旬ないし3月上旬に、生後約11ヶ月の乳児に対する心室中隔欠損の手術において、介助医を務めたもので、Y医師は、術後も3ないし4時間、指導医とともに患者のベッドサイドに付き添い、その後も翌朝まで、ときどき容態を観察に行くという経験を有していた。

Y病院の心臓血管外科は、同年3月16日現在、主任部長、部長、副部長、医師4名とY医師という構成であったが、同科では、1人の患者につき2、3名の医師を、病棟での担当医と定めてこれを「主治医」あるいは「病棟主治医」と呼び、いわゆる臨床研修医と上級医をこれに指名して、上級医を臨床研修医の指導医としていた。

同年3月13日、Y医師は、Xを診察し、翌14日、H医師がXの両親に手術の説明を行った際、Y医師は「主治医はH先生(心臓血管外科の主任部長)と自分になる。自分が病棟に頻繁に足を運ぶ」という説明をし、また、手術前のカンファレンスにおいて、Xの病状等を説明した。

同月16日午前10時8分ころ、H医師を執刀医、心臓血管外科部長であったT医師を第一助手、心臓血管外科のU医師を第二助手、Y医師を第三助手、麻酔担当を麻酔科副部長のK医師、M医師として、Xに対する肺動脈狭窄の解除、心室中隔及び心房中隔欠損の閉鎖の各手術が実施された。同日午後1時12分ころ手術は成功裡に終了し、その後、Xは、容態の急変に備え、24時間体制の完全看護を行っていたICUにおいて術後管理がなされることとなり、午後1時40分ころ、XはICUに搬送され、5番ベッドに収容された。

Xには人工呼吸用のチューブが気道内に挿管され、動脈圧や心電図、体温、中心静脈圧、酸素飽和度などを測定するための各種測定ラインが装着されたほか、手術後の胸腔内の出血を排出するためのドレーンが胸腔内に挿入されており、ベッドサイドの頭部側には、これら測定ラインの接続された監視モニターが設置されていた。なお、ICU内には8ベッドあり、当日はXを含め7名の患者が収容されていたが、各ベッドサイドの監視モニターはICU内のナースステーションにあるセントラルモニターに接続されていて、セントラルモニターでも各ベッドサイドモニターの表示を確認できるようになっていた。また、ベッドサイドモニターには各種測定数値が異常になると警告音を発するアラーム機能が備わっていた。

同日午後3時10分ころ、Xが麻酔から覚醒したため、同日のICUの日直担当医であり、麻酔科及び集中治療部の部長であるD医師は、自発呼吸に移行するための準備として、アトロピンとワゴスチグミンを点滴薬の中に注入し、またY医師に指示して人工呼吸器の酸素濃度を下げさせた。同日午後3時25分ころから、Xに心室性の不整脈が発生するようになった。

D医師(略式命令により罰金刑に処されている)は、Xのベッドサイドモニターの波形を見て、Xに心室性期外収縮が頻発していることを確認し、U医師にキシロカインを投与させ、その後午後3時30分に塩化カリウムを投与し、さらにXの血圧が低下したため、午後3時40分にブミネートを投与した。同日午後3時50分ころには、U医師がH医師に対し、Y医師やS看護師もいる場において、Xの胸腔ドレーンからの出血量が多くなり、色も濃いものになっていると報告をし、これに対してH医師は、ベッドサイドで胸腔ドレーンを確認した後、もう少し様子を見るよう指示した。

午後4時前ころ、H医師は、手術経過を記入するためXのベッドサイドを離れてナースステーションに行き、同じころ、U医師は、ICU担当医であるM医師に対して、Xに心室性期外収縮が出ているので見ておいてほしいと注意を促して、食事のためにICUを退出した。

午後4時には、D医師の指示により、自発呼吸の準備を始めるため、Xの人工呼吸の稼働回数が1分間に20回から16回へ変更された。D医師はその後、ICU内の各ベッドを巡回して各患者の容態を診ていた。

同日午後4時10分ころ、M医師がXの血液ガス検査のための採血を行ったが、この際、ベットサイドモニターのアラームが切断されたか、あるいは、切断されたままの状態でM医師はICUを退出した。

そのころから、D医師が各ベッドを巡回していたものの、Xのベッドサイドには、Y医師が1人で付き添い、S看護師はK医師の指示を受けて、塩化カルシウムを注射器に入れてXのベッドの足元側のテーブルの上に置いたり、ICU内の器材コーナーに行ってシリンジポンプを準備するなどしていた。なお、Y医師は胸腔ドレーンの管理(ミルキング)などを行っていた。

ドレーン管理を行っていたY医師が、一休みしようとXのベッドの足元側の椅子に座った際、ベッドサイド頭部側の監視モニターの動脈圧数値が「?」マークになっていることに気づき、椅子から立ち上がってモニターを確認したところ、やはり動脈圧数値は「?」マークになっており、動脈圧の波形がフラットに近い状態であったため、Y医師は、Xの左手首に取り付けてある動脈圧ライン(Aライン)の取付部の接触不良によるものと判断し、モニターの動脈圧数値や波形を見ながら、医療用テープで固定されていたAラインをつまみ、カテーテルの先端を少しずつ動かすようにして調整を行うなどの作業を5、6分続けたが、表示が正常にならなかったため、午後4時25分ころ、目についたS看護師に「動脈圧が出ないんだけど。」といって応援を求めた。S看護師は、Aラインのテープを貼り替えるため、ICU内の医師控室近くの包交車までテープを取りに行き、その途中、T看護師にラインを直すのを手伝って欲しいと頼んだ。そのころ、D医師は、医師控室に移動していた。

T看護師は、Xのベッドまで来て、Xが大量に冷や汗をかいている様子とモニターの動脈圧波形及び心電図波形の表示から、即座に心停止であると判断し、「アレスト」と大声で叫び、それと同時にS看護師も監視モニターの表示からXが心室細動に陥っていたことに気づき、ICU内の壁時計で確認したところ、午後4時28分か29分を指していた。

Y医師、駆け付けたH医師がXに心臓マッサージを行い、G医師がカウンターショックを与えたところ、Xは一度で蘇生した。このときT看護師が「アレスト」と叫んでから2分ほど経過していた。なお、Y医師は、T看護師が「アレスト」と叫ぶまで、心電図が心室細動の波形を示していることに気付かず、Xの表情や様子を確かめることもなく、心音や脈拍を確かめることもしなかった。

本件事故後、麻酔科主任部長を始めとする複数の医師が、セントラルモニターでXの心電図をリプレイさせて確認したところ、午後4時17分ころから心室細動の波形となり、その状態が午後4時30分ころまで続いていたことが確認された。

Xは、本件事故により、約13分間、脳に酸素が供給されなかったことにより、低酸素脳症に陥り、現在、目で物を追ったり、見つめたりすることができず、意味のある言葉を発することができず、泣き声しか上げられないという状態であり、また自分の意思で体を動かすことができず、自分で食事をすることができないという状態であって、そのような重度の症状は将来にわたってほとんど回復することはないと見込まれる。

Y医師は、Xに対し酸素欠乏に基づく全治不明の低酸素性脳症の障害を負わせたとして業務上過失傷害により起訴された。

 

(量刑)

検察官の求刑       :禁錮1年

被告人・弁護人の主張   :無罪

裁判所の判決       :罰金20万円(有罪)

 

(裁判所の判断)

1.Y医師の刑事責任について

裁判所は、まず、検察官がY医師の注意義務発生の根拠として「主治医」であることを主張しているところ、Y病院の心臓血管外科においては、1人の患者について、2、3名の医師を病棟での担当医と定めて、これを「主治医」ないし「病棟主治医」と呼称し、Y医師も、Xの入院当初にその両親に対して、自ら、「主治医」と自己紹介したことが明らかであり、また、一般には、「主治医」とは、担当患者の診察、診療に最も中心的な責任を負う医師を意味する用語として用いられることが多いけれども、同科では、そのような「主治医」として、臨床研修医と上級医とを指定し、かつ上級医を臨床研修医の指導医と位置付けていたのであって、上級医はともかく、臨床研修医については、「主治医」に指名されたからといって、そのことの故に担当官者の診察、診療の中心的責任を負うものとは解されず、Y医師の刑事責任を論じるについては、当時Y医師が負っていた具体的な注意義務を考察すべきであると判示しました。

その上で、裁判所は、Y医師は、心臓血管外科の研修医としてICU内の被害者に付き添っていたものであるが、上級医の指導の下で研修するとはいえ、Y医師は単なる研修生ではなく、医師として患者の診察・診療に当たるのであるから、一定の注意義務と責任を負うことは当然であり、研修医であるが故に何らの責任を負わないと解することはできないと判示しました。

裁判所は、そして、Y医師は、病棟担当医として、Xの入院に際して診察をし、また、手術前のカンファレンスにも参加した上、手術の際には、第3助手として鈎引きを担当し、術後のXに付き添っていたものであって、Xの病状や容態を相当程度に把握し得る立場にあり、またXのベッドサイドには監視モニターがあり、Y医師は、医師として、心電図等の基本的な読み取り方や心室細動の波形については知っていたものと認められるのであって、以上の事実関係からすれば、Y医師は、研修医であるとはいえ、Xを担当する医師として、少なくともその容態を観察するとともに、ベッドサイドモニターを確認し、心室細動等の異常が生じた場合には、直ちに指導医である上級医や他の医師等に報告してXの病状悪化、ことに心室細動等による脳障害の招致を防止すべき注意義務があったと判断しました。

裁判所は、Xの手術後は、致死的不整脈である心室細動が起こり、血液の駆出停止等により低酸素性脳症等の脳障害を引き起こすおそれがあるところ、当時、Xは、心室細動発生につながり得る心室性期外収縮を頻発させていたのであるから、Xの容態観察に当たっては、患者監視モニターの確認及び肉眼的方法等によって、Xの血圧、心拍動の状態を把握し、心室細動等の異常が発生した場合には直ちにこれを発見して速やかに他の医師等にその旨報告するなどの救急措置を講じ、心室細動による血液駆出停止及びそれに基づく脳障害の招致を防止すべき業務上の注意義務があるに、これを怠り、監視モニターの確認及び肉眼的方法等によるXに対する全身状態の観察、把握等を十分に行わず、さらに監視モニターの動脈圧数値等の異常表示に気づいた後も、異常表示は器具の不具合によるものと思い込み、心電図の確認や肉眼的方法等による容態観察を行わず、器具の調整のみに当たった過失により、同日午後4時17分ころから4時30分ころまでの間、ICUにおいて、Xが心室細動による血液駆出停止を惹起した際、その発見及び救急措置が遅れ、よって、そのころ、Xに対し、酸素欠乏に基づく全治不明の低酸素性脳症の傷害を負わせたものであるとして有罪の認定をしました。

2.量刑

裁判所は、本件事案の量刑に当たっては、Y医師の当時の立場や本件事故におけるY医師の過失以外の他の原因というものも考慮せざるを得ないと判示しました。

裁判所は、Y医師は、本件当時、臨床研修医として、上級医の指導の下、心臓血管外科の研修中にXの治療に関与したものである上、Xの容態を観察すべき第一次的な義務はICUを管理・運営する麻酔・集中治療科の医師にあったといえ、しかも本件事故については、Xの監視モニターのアラームが切断されていたなど、他の者の過失が競合し、さらには、ICUに収容された重篤な患者である被害者のベッドサイドに付き添ったのが未熟な臨床研修医であるY医師しかいない状態になったというICU管理体制上の不備もその一因となっていることが明らかであり、また、本件医療事故により現在までに刑事責任を問われたのは、麻酔科部長であるD医師が略式命令により罰金30万円に処せられたのみであると指摘しました。

裁判所は、このような中で、Y医師に対してのみ、自由刑をもって臨むことは均衡を欠くというべきであり、Y医師に対しては、罰金刑を科するのを相当と認めました。

以上より、裁判所はY医師を罰金20万円に処する判決を言い渡しました。

その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2014年3月10日
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