広島高裁岡山支部平成10年1月29日判決 判例タイムズ982号239頁
(争点)
麻酔担当医の過失(術中の頸部、頭部の観察義務違反)の有無
(事案)
A(死亡当時28歳の女性・主婦)は平成2年11月22日、市民病院において仙骨部骨巨細胞腫で手術が必要であるとの診断を受け、翌平成3年1月17日、国(Y)の開設するY大学医学部付属病院(以下、Y病院という)に入院し、同年2月6日、仙骨部骨巨細胞腫摘出及び骨盤再建手術(以下、本件手術という)を受けた。
本件手術は、仰臥位のAに対し、腫瘍腹側部の処理及び下腿からの採骨手術をした後、Aを腹臥位にして仙骨全部(腫瘍)の摘出及び骨盤再建を行う大手術であり、長時間にわたり(9時30分手術開始、22時50分手術終了)、大量の出血を伴うので(手術前に1万ミリリットル以上の出血を予想し、実際に約1万6000ミリリットルの出血があった。)、大量の輸血を必要とした。
このため、手術を担当する医師らは、麻酔管理(麻酔及び輸血)の方法につき、専門の麻酔科医とも協議し、出血量を減少させるため、低血圧麻酔を行うなどの措置を講じ、さらに麻酔科医が手術に立会い、麻酔管理を担当した。手術を担当した整形外科医は8名であり、麻酔管理を担当した麻酔科医は、当初、3名であったが、途中から1名が加わって4名になった。
本件手術中、麻酔科担当医は、Aに対し右手静脈から1万0600ミリリットル、左頸静脈から4840ミリリットルの輸血を行った。腫瘍腹側部の処理及び下腿からの採骨手術が終了した16時30分までの出血量は約5500ミリリットル、輸血量は6350ミリリットルであったが、17時00分に腫瘍摘出術を開始して以降、Aの出血は激しくなり、急速に大量の輸血を行う必要が生じたので、担当医は、Aの右手静脈及び左頸部静脈に挿入した輸血用カテーテルから、注射器および三方活栓を使用し、圧力を加えて輸血した。16時30分から左頸静脈内カテーテルを抜去した22時45分までの出血量は約1万0500ミリリットル、輸血量は9090ミリリットルであった。
この加圧輸血により、腹臥位になったAの左頸静脈に挿入した輸血用カテーテルの血管穿刺部位付近から、血液が大量に血管外に漏出した。漏出した血液は、頸部の腫脹を生じたほか、頸部の静脈を圧迫して、頭蓋内の静脈圧を上昇させ、その結果、脳の灌流障害による脳虚血、静脈鬱血による頭蓋内出血を起こした。
担当医はAを仰臥位に戻した時点(22時55分ころ)で初めてAの頸部腫脹に気づき、漏出した血液を排出するために頸部の減張切開を行った。
しかし、Aの意識は十分に回復しないまま脳の組織障害は進行し、小脳出血、クモ膜下出血が漸次増強し、これに伴う脳浮腫の増強により脳死状態となり、Aは平成3年3月9日に死亡した。
そこで、Aの遺族であるXら(Aの夫および子)が、Yに対して債務不履行または不法行為に基づき損害賠償請求訴訟を提起した。一審(岡山地方裁判所)は、手術中の頸部、頭部の観察義務を怠った麻酔担当医らの過失について、(1)腹臥位に体位変換された後は、仰臥位の状態の場合に比べて頸部の観察が困難であること、(2)出血死の危険のあるような大量出血が現に発生し、急速加圧輸血を施行している状態においては、担当医師及び看護婦らに頸部についての頻回のチェックを期待することは著しく困難であること、(3)仮に腹臥位後の手術の早期に頸部膨張に気づいたとしても、左内(外)頸静脈からの輸血を中止することはできなかったし、他の部位に輸血路を確保することも不可能であったこと(4)腹臥位の状態で急速加圧輸血をしている際に、頸部の腫脹に気づいたとしても、腹臥位の状態のままで頸部の減張切開を行うことは技術的に不可能であるし、手術をいったん中止して、体位を腹臥位から仰臥位に戻すことは本件のように大量出血に伴う急速加圧輸血を行っている状況の下では不可能であることなどを理由として、麻酔担当医らに観察義務違反があったとはいえないと判示し、患者遺族の請求を棄却した。
そこで、遺族らが控訴した。
(損害賠償請求)
患者遺族(夫・子)の請求額:合計3400万円
(内訳:逸失利益4400万円および慰謝料2000万円の合計額の内金3000万円+葬儀費用100万円+弁護士費用300万円)
一審裁判所の認容額:0円
(判決による請求認容額)
控訴審裁判所の認容額:合計2300万円
(内訳:逸失利益0円+慰謝料2000万円+葬儀費用100万円+弁護士費用200万円)
(裁判所の判断)
控訴審裁判所は、Aは、本件手術を受けるにあたり、全身麻酔をされ、大量出血に伴い大量輸血を受けたのであるから、その生命の維持は麻酔管理に当たる医師の手に委ねられていたと判示した上で、従って麻酔担当医は、Aの身体の状態を常時観察し、Aの出血に伴い、必要な量の輸血を迅速かつ安全な方法で行うべき注意義務を有していたと判断しました。また、とくに、急速大量輸血をするために加圧して輸血を行うにあたっては、輸血用カテーテル挿入部位から加圧された血液が血管外に漏出することが予想されたのであるから、カテーテル挿入部位を観察し、血液漏出を発見したときは他の輸血路を使用して輸血を行うなどの措置を取るべき義務を有していたと判示しました。その上で、控訴審裁判所は、本件手術は、長時間にわたる大手術であり、大量出血が予想されたので、大量の輸血用血液を準備し、亡Aの輸血路としても右手静脈と左頸静脈の2本を用意し、麻酔管理を担当する麻酔科医も3名(途中から1名加わって4名)配置されていたことを指摘し、麻酔担当医は、輸血を行うに際し、少なくとも1名はAの身体の状態を監視し、加圧輸血開始後は輸血用カテーテル挿入部位を随時観察し、同部位から血液が血管外へ漏出していないかどうか観察する義務を有していたと認定しました。とくに、Aが腹臥位となって手術台の上からは輸血用カテーテルを挿入した左頸部の観察が困難となった後も多量の輸血を続けたのであるから、麻酔担当医は、鏡を手術台の下に挿入し又は手術台の下にも適宜人員を配置するなどの方法により左頸部の状態を観察する義務があったと判示しました。
そして、麻酔担当医は、腹臥位状態における亡Aの左頸部の状態につき観察を怠った結果、Aを仰臥位にするまで頸部の腫脹に気づかなかったのであるから、前記観察義務に違反した過失があったというべきであると判断しました。
以上から、控訴審裁判所は、原審判決を変更し、上記「裁判所の認容額」の範囲で、患者遺族の請求を認めました。その後、判決は確定しました。