広島地方裁判所平成23年2月23日判決 判例時報2120号57頁
(争点)
術後出血に対する止血の際の気道確保について、意識下挿管ではなく全身麻酔による迅速導入法を選択したことに関する医師の過失の有無
(事案)
X(当時57歳、女性)は、平成19年1月29日、Y独立行政法人が開設するY病院の耳鼻咽喉科と呼吸器内科を受診し、口蓋扁桃肥大、睡眠時無呼吸症候群と診断された。
Xは、同年2月19日、簡易PSG(ポリソムノグラフィ。終夜睡眠ポリグラフ)検査を受けた。
Xは、同月26日、Y病院の耳鼻咽喉科と呼吸器内科を受診した結果、同年6月8日に口蓋扁桃摘出術を受けることになり、6月1日に、全身麻酔の検査を受け、同月7日、手術のためY病院の耳鼻咽喉科に入院した。
Yは同月8日にY病院で、口蓋扁桃摘出手術を受けた。手術は、同日13時に開始され、13時45分に終了した。
同日14時ころに抜管した後、血圧が急上昇し、口腔内から出血が始まり、14時05分に全身麻酔薬と筋弛緩薬による全身麻酔が再度導入された。
再挿管が試みられたが、出血で視野が得られず再挿管が実施できなかった。
そのため、14時15分に耳鼻咽喉科医師により緊急気管切開され、14時20分ころ、気管切開孔から挿管した後も換気は不良で、瞳孔が散大し、対光反射がなくなった。14時30分に再度経口挿管した後に換気可能になったが、Xの意識は回復しなかった。なお、手術中及び抜管後(気管切開術を含む)の出血量の合計は、約250mlである。
Xは、この経過において窒息による低酸素脳症を発症し、現在も遷延性意識障害、四肢麻痺の状態でY病院に入院している。
そこで、X及びXの夫と子2人は、Y病院の医師が術後出血に対する止血の際の気道確保について、意識下挿管ではなく全身麻酔による迅速導入法を選択したこと等につき過失があるとして、損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求)
患者と家族(夫及び子2人)の請求額:計1億0919万円
(内訳:逸失利益3553万円+患者の慰謝料3000万円+家族固有の慰謝料3名合計1000万円+入院雑費1183万円+付添交通費1183万円+弁護士費用1000万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計8657万9598円
(内訳:逸失利益3553万円+患者の慰謝料2400万円+家族固有の慰謝料400万円+入院雑費841万6443円+付添交通費673万3155円+弁護士費用790万円)
(裁判所の判断)
術後出血に対する止血の際の気道確保について、意識下挿管ではなく全身麻酔による迅速導入法を選択したことに関する医師の過失の有無
まず、裁判所は、鑑定の結果から、以下の医学的知見を認定しました。
- 本件のように口腔内からの血液吐出が多量であって、その貯留をコントロールできない状況において麻酔導入する場合の要点は、出血によって生じうる合併症を回避しながらいかに気道を確保するかである。
- この点について、ディプリバン・マスキュラックスを用いた迅速導入では、(1)患者の嚥下機能、嘔吐反射が消失すること、(2)自発呼吸が消失するためにマスク換気が必要となり口腔内の血液を頻回に吸引することが困難であること、(3)口腔をマスクで閉鎖し陽圧換気すること、により血液による誤嚥、気道閉塞の危険を高めることが容易に予想できる。
- したがって、本件のように口腔内から血液を多量に吐出しそれが貯留する状況においては、患者の意識が回復し、咽頭及び気道反射が回復した状態であり、自発呼吸がある状態であれば、迅速導入法によるべきではなく、患者の反射を残存させ、口腔内の血液を頻回に吸引し、口腔内血液を口腔外に排出しながら自発呼吸を温存し意識下に麻酔導入を試みるべきであると判示しました。
そして、抜管の時点では、Xの意識はある程度回復していたこと、咽頭及び気道反射も回復した状態であったこと、麻酔導入前の時点でのSpO2は自発呼吸で96%であったことが認められ、このことからすると、誤嚥による呼吸不全があったとしても軽度のものであったと推測されること、これらも併せ考えると、本件においても、Y病院らの医師らは、上記迅速導入法を選択した場合に想定される危険等を避けるため、意識下挿管法を選択すべきであったのであり、14時05分ころに、医師が意識下挿管法を試みることなく迅速導入法を選択して麻酔(ディプリバン・マスキュラックス)の再導入を指示した点につき、Y病院の医師らの過失を認めました。
以上から、裁判所は上記「裁判所の認容額」の範囲で、Xの請求を認めました。その後、判決は確定しました。