東京地方裁判所 平成23年5月19日判決 判例タイムズ1368号178頁
(争点)
- 病理診断における注意義務違反の有無
- 臨床担当の医師らの手術前総合診断における注意義務違反の有無
- 因果関係
(事案)
X(昭和31年生まれの女性)は他院での一般検診で胃前庭部粘膜の不整を疑われ、平成18年7月27日、精密検査を受けるためY健康保険組合の設置する病院(以下、Y病院とする)の消化器内科外来を受診した。
同年8月2日、Xは、Y病院において上部消化管内視鏡検査を受け、胃体中部小彎に台状挙上を呈する腫瘍性病変が確認された。同検査の際、同病変の部位等に対し組織生検が行われた(このとき採取された組織を「本件生検材料」という)。
同月4日、Y病院の病理診断を担当していたA医師は、本件生検材料について病理組織検査を行い、低分化腺癌、グループV(胃癌取扱規約における「癌と確実に診断される病変」)と診断した。
同年9月6日、Xは、胃癌の手術を目的としてY病院に入院した。
同月7日、Xは、上部消化管内視鏡検査を受けた。同検査において、前回確認された病変部の台状挙上は消失しており、同部位に発赤した不整な粗造粘膜病変が確認された。
同月12日、Xは、腹腔鏡下胃亜全摘手術(胃の噴門部側5分の1を残し、幽門部側5分の4を切除)及びリンパ節郭清手術(以下あわせて「本件手術」という)を受けた。 同月22日、Xは、術後経過良好として退院した。
その後、切除されたXの胃から作成された標本には、癌が存在しないことが確認された。
Xは、Y病院の担当医師には、生検において胃癌でないにもかかわらずグループVと誤診した注意義務違反がある等と主張して、Y健康保険組合に対して損害賠償を求める訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:2670万9113円
(内訳:逸失利益1570万9113円+入通院慰謝料100万円+後遺障害慰謝料700万円+弁護士費用300万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:1263万9601円
(内訳:逸失利益773万9601円+入通院慰謝料70万円+後遺障害慰謝料420万円)
(裁判所の判断)
病理診断における注意義務違反の有無
この点について、まず、裁判所は、通常の診療行為については、結果的に診断が後に判明した正しい診断と異なっていたからといって、担当医師の注意義務違反が直ちに推定されることにはならないところ、病理診断も、診断当時に得られた情報及び得ることのできた情報の範囲内で下されるべきであるものであることには何ら変わりがないから、Xの病変が結果的に癌ではなかったことのみから、直ちにA医師が確実な根拠がないのに、癌であると診断した注意義務違反があると推定されるものではないとしました。
その上で、裁判所は、本件生検標本については、①異型細胞が見られたこと、②粘膜組織の正常な構造の破壊と評価し得る所見があったこと、③異型細胞が索状に相互接着性を示して増生していると評価し得る所見があったことが認められるから、A医師には上皮性由来の悪性腫瘍であると判断するに足りる根拠があり、かつ、2型の胃癌であるという内視鏡所見と矛盾しているとはいえないのであるから、A医師が低分化腺癌・グループVであると診断したことには、合理的根拠があると判断しました。
よって、裁判所はA医師の本件生検標本に対する当初の病理診断での注意義務違反を否定しました。
臨床担当の医師らの手術前総合診断における注意義務違反の有無
この点について、裁判所は、8月2日時点で確認された2型腫瘍と考えられたXの胃の病変が、内視鏡検査において僅か1か月程度の間に通常の胃癌では見られないような形態変化を来していたのであるから、Y病院の臨床の担当医師は、病理診断の結果を絶対視することなく、外科的手術の実施に先立ち、病理医と相談するなどして、症例について再検討すべき注意義務を負うと判示しました。
その上で、裁判所は、Y病院の臨床の担当医師には、手術前、病理医であるA医師に対して、胃の病変部の内視鏡による肉眼的所見が変化したことを連絡し、本件生検材料について胃癌と確定診断するに足りる所見があるか否かについて確認し、再検討すべき義務があったにもかかわらず、再検討することなく手術に踏み切ったものであり、手術前総合判断における注意義務違反があると認定しました。
因果関係
この点について、裁判所は、本件手術前に適切な再検討が実施されていた場合には、Xの外科的手術が回避されたと推認され、争点2の注意義務違反と、Xの胃亜全摘手術との間に、因果関係を認めることができると判示しました。
以上から、裁判所は、上記「裁判所の認容額」記載の範囲で、患者の主張を認め、病院側に損害の賠償を命じ、判決はその後、確定しました。