東京地方裁判所平成7年7月28日判決判例時報1551号100頁
(争点)
- 術後管理にY医師の過失があったか
- Y医師に説明義務違反はあったか
(事案)
美容外科医であるY医師は、Y美容外科医院(以下、Y医院という。)を開設し、本件手術当時、腋臭、多汗症の手術に自ら命名した「Y式吸引法」という手術方法を用いていた。この方法は、脂肪吸引用のカニューレ(吸引管)の形状に工夫を加えた独自のカニューレを使用し、腋の下の腋毛の生えている縁辺りに数ミリメートルの切開を加えて、カニューレを挿入し、カニューレを前後に動かして、腋臭、多汗の原因となるアポクリン腺や多汗の原因となるエクリン腺の一部を掻爬、吸引していく手術法である。
Y医師は、腋臭、多汗症の治療法としてY式吸引法が優れていることを解いた著書を執筆し、数多くの女性週刊誌にこれらの著書の宣伝という形式で、Y医師の治療法や、Y医院の紹介記事を掲載していた。このような紹介記事は、Y式吸引法によれば傷痕を残すことなく腋臭や多汗症を簡単に完治させることができる旨の内容となっていた。
X(当時20歳の女性)は日ごろから多汗症で悩んでいたところ、女性週刊誌の宣伝記事からY医師の治療法を知り、傷痕が残らず入院が不要であるとの記事の記載からY医師の手術を受けることを考えて、平成4年4月3日Y医院を訪れた。
Y医師は、Xに対し、腋臭や汗の原因について説明し、さらにY式吸引法について、従来行われていた腋臭の手術方法(腋の下を切開して皮膚を裏返して汗腺を剪除する方法)ならば大きな傷痕が残るが、Y式吸引法だと、1、2針縫うだけで傷は目立たないことを、カニューレの図などを書きながら説明した。一方で、Y医師は、この手術によって完全に汗が出なくなり、臭いがなくなったりするわけではないことを説明し、また、一週間後に抜糸に来ることなどの術後の注意事項の説明もした。
Xは、Y医師の説明を聞いた上で多汗症の手術を受けることにし、併せて両腋の下の脱毛手術も受けることにした。
平成4年4月3日、XはY医師により、両腋の下についてY式吸引法による多汗症の手術を受け、同時に脱毛手術の一部も受けた。多汗症手術の切開創は縫合され、ガーゼとパッドを当てた上にテープを貼って固定された。
同月10日、Xは、抜糸のためにY医院を訪れ、その際、切開部付近にXの予想よりも大きい瘢痕が生じていることを知ったが、そのうち目立たなくなるだろうと考えて、Y医師に苦情を言うことなくそのままにし、同年5月29日と同年7月24日、Y医院においてさらに両脇の下の脱毛手術を受けた。
しかし、瘢痕が一向に小さくならず、また、多汗症も軽減しないように感じたので、Xは、同年9月8日、Y医院を訪れ、瘢痕を小さくするために、瘢痕部にステロイド剤の注射を受け、以後3回にわたりステロイド剤の注射を受けて様子を観察したが、瘢痕は小さくならなかった。
現在、Xの右腋の下には大きな瘢痕が残存しており、この瘢痕は付近の皮膚とは色も異なり、一見して目立つ状態にある。左腋の下の瘢痕は右腋の下に比べれば比較的小さいものの、近寄って見れば明らかに存在を認識することができる状態にある。
多汗については、本件手術によりアポクリン腺やエクリン腺の各一部が除去されたことから、幾分軽減した可能性はあるが、Xが術前に期待したほどの汗の減少には至っていない。
そこで、Xは、手術部位の固定を完全に行うべき義務を怠るなど術後管理の誤り及び事前のXに対する説明義務違反などを主張して、Y医師に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求め訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:計724万9570円
(内訳:治療費22万円1910円+通院交通費1万7660円+通院慰謝料136万円+慰謝料500万円+弁護士65万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計82万4370円
(内訳:治療費10万6710円+通院交通費1万7660円+通院慰謝料10万円+慰謝料50万円+弁護士費用10万円)
(裁判所の判断)
術後管理にY医師の過失があったか
裁判所は、Y医師においても手術部分の固定は行っており、大部分の患者はこれで瘢痕を残すことなく治癒していることが認められるのであって、Xに残存した瘢痕が術後の固定不足によるものであることは証拠によっても認めることができないと判断し、術後管理についてのY医師の過失を認めませんでした。
Y医師に説明義務違反はあったか
裁判所はまず、一般に手術のような治療行為は患者の身体に対する侵襲行為であるから、手術の施行に当たっては患者の同意が必要であるところ、腋臭や多汗症の手術は、その処置を直ちに行うべき緊急性や必要性に乏しく、元来健康体ではあるが、体質的に腋汁が特有の悪臭を放ったり、多汗であることを気に病む患者の、この状態を改善したいとの希望を満足させる手術なのであるから、腋臭や多汗症の手術にあたる医師には、その手術の方法やどの程度患者の状態が改善されるかについて説明するほか、手術の危険性や副作用が生じる可能性についても十分に説明し、患者においてこれらの判断材料を十分に吟味検討した上で、手術を受けるかどうかの判断をさせるように注意すべき義務があると判示しました。
さらに、とりわけ、患者がXのように若い女性の場合、症状の完治ないしは改善を期待して手術を受けること自体は希望しても、いざ手術を受けるかどうかを決断するに当たっては、手術後に傷痕が残存するかどうか、残存するとすればどの程度のものになるかが最大の関心事であることは明らかであるから、この点を十分に説明しなければならないと判示しました。
そして、Y医師はY式吸引法に関する著書の宣伝を多数の女性週刊誌に掲載し、その記事において傷痕を残すことなく腋臭や多汗症をさせることができるとの極めて楽観的な記述をしているのだから、Y医師は、その記事を読み、これを信じてY医院を訪れる患者が多いことも当然知っていたはずである(むしろ、そのようにして多数の患者を誘引していたものと解される)とし、したがって、Y医師は、Xに対し、宣伝記事には載っていない治療効果の限界や危険性について、患者の誤解や過度の期待を解消するような十分な説明を行うべきであると判示しました。
その上で、Y医師はXに対して、1、2針縫うだけで傷痕は目立たないと説明したにとどまり、Xのように一見して目立つような大きな瘢痕が残存する可能性があることは説明しておらず、X本人尋問の結果によれば、Y医師がそのような説明を行ったならばXが本件手術を受けなかったことは明らかであるから、Y医師には、Xが本件手術を受けることを決定するについて必要な判断材料を与えなかったと判断して、Y医師の説明義務違反を認めました。
以上から、裁判所は、上記「裁判所の認容額」記載の範囲で、患者の主張を認め、医師側に損害の賠償を命じました。判決はその後、確定しました。