大阪地方裁判所 平成15年9月29日判決 判例時報1863号72頁
(争点)
- 術後出血の徴候となる所見を看過した過失ないし義務違反の有無
- 術後管理における過失ないし義務違反と患者の死亡との因果関係の有無
(事案)
患者A(男性・手術時及び死亡時71歳)は、肝癌治療の目的で、平成12年12月11日Y市の設置・経営する病院(以下、Y病院という)に入院した。
同月18日、Y病院のT医師を手術者、U外科部長及びH院長を助手として、午前10時32分にAに対して、肝部分切除術および胆のう摘出術が開始され、午後0時25分に手術が終了した。T医師は、平成8年に医学部を卒業した外科医で、平成12年6月からY病院で勤務していた。T医師は同年12月1日、社団法人日本外科学会の認定医として認定され、このときまでに肝切除術について、手術者として関与したのが十数件、助手として関与したのが四十数件という手術経験を有していた。
T医師は、手術終了後、12月18日午後2時頃から、Aに対し、輸液および新鮮凍結血漿(FFP)の投与を開始したが、同日午後2時頃から、1分間100回前後の頻脈が認められ、同日午後5時頃からは尿量が1時間当たり10mlほどに減少した。T医師がFFPの投与を継続したところ、脈拍数は同日午後9時には81にまで下がったが、尿量の減少は改善しなかった。
T医師は、同日午後9時から午後11時までのころ、Aの血圧が88/56、CVP(中心静脈圧)が13cmH2Oと低下し、尿量も少ない状態が続いていたことから、FFPの投与を継続するとともに、ドーパミン(昇圧剤)の投与を開始したが、尿量の少ない状態が継続したことから、同日午後11時には、ドーパミンを5μg/kg/minに増量したところ血圧は106/58まで上昇した。同日午後12時にはドーパミンを更に増量するとともにPPF(血漿製剤)とラシックス(利尿剤)の投与も開始した。しかし、Aの尿量の減少はほとんど改善を見せなかった上、CVP(中心静脈圧)は同日午後9時に18cmH2Oであったのが同11時には13cmH2Oに低下し、血圧は、同日午後12時ころ昇圧剤を増量した後、翌19日午前2時ころにはいったん上昇したものの同3時ころには78/47と再び明らかな低下をみせ、また、腹部がボッテリとした状態になっていた。
T医師は、翌19日午前3時頃にAの腹部がボッテリとした状態であることに気付いたが、脱水によるものであろうと判断し、出血の可能性は疑わなかった。
19日朝になって、T医師は、本件手術後、初めてAの血液検査および血液生化学検査を行ったが同月18日から同月19日にかけての間、Aに対して腹部エコー検査を一度も施行しなかった。
T医師は、19日午後2時に、Aに180mlの血性のドレーン排液が認められ、その後も継続的に血性排液が認められたことやその他の臨床所見、検査所見から、初めて、肝部分切除術及び胆のう摘出術の合併症として、術後出血を来し、これに起因して腎不全の状態にあり、直ちに再開腹止血術を施す必要があると判断した。
T医師を手術者として同日午後7時35分から午後10時15分まで同止血術が行われた。
その後、Aは、敗血症を発症し、これを原因としてDIC(播種性血管内凝固症候群)を発症した後、これを原因として腎不全に陥り、平成13年1月31日、腎不全および肝不全を直接の死因として死亡した。
そこで、Aの相続人である妻と3人の子が、Y市に対し、債務不履行または不法行為(使用者責任)に基づいて損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者遺族の請求額:遺族(妻子)合計7964万2716円
(内訳:治療費32万9780円+葬儀費用等100万円+逸失利益2049万2939円+死亡慰謝料3000万円+遺族固有の慰謝料1900万円+弁護士費用882万円:相続人が複数いるため端数不一致)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計3754万4354円
(内訳:治療費32万9780円+葬儀費用等100万円+逸失利益781万4577円+死亡慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料500万円+弁護士費用340万円:相続人が複数いるため端数不一致)
(裁判所の判断)
- 術後出血の徴候となる所見を看過した過失ないし義務違反の有無
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この点について、裁判所は、18日の肝部分切除術及び胆のう摘出術の術後、Aに血圧低下、頻脈、尿量減少といった循環血液量の減少を示す所見(バイタルサインの変化)があったこと、CVPも低下していたこと、同月19日午前3時には血圧が明らかに低下していたことからすれば、同日午前3時の時点では、腹腔内出血を示唆する所見が存在していたと判示しました。
そして、このような術後の経過に加え、Aが肝硬変で出血傾向のある患者であるため、胆のう摘出術に術後出血を合併する可能性が正常肝と比べて高かったこと、胆のう摘出術実施の際、胆のう底部の剥離部位から相当量の出血が生じており、止血にも苦労し時間を要したことなどの事情からすれば、Y病院医師としては、術後出血の発生に対しては、慎重な観察を行うべきであったこと、さらには、鑑定の結果を併せ考えると、血圧が明らかな再低下をみせた同月19日午前3時の時点では、術後出血が生じている可能性を念頭に置いた上、腹部エコー検査、血液検査等を実施し、術後出血の有無及び量を確認するとともに、これが生じている場合には保存的な治療で対応できるか、再開腹止血術を行う必要があるかを判断し、再開腹止血術が必要であるならば、直ちにこれを施行すべき注意義務があったと判断しました。
そして、裁判所は、T医師は、同月19日午前3時の時点で、前記の注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、術後出血を疑わせるに足るバイタルサインの変化がありながら、これを全く疑うことなく腹部エコー検査やドレーンの洗浄を行わず、また、血液検査を同日朝まで行わなかった上、Aが同月18日の手術終了時に濃厚赤血球液を三単位投与されていながら、ヘモグロビン値、ヘマトクリット、赤血球数が、手術前と比べて減少しているという術後出血を疑うべき血液検査結果が、同月19日午後0時15分ころ判明してもなお、術後出血を疑わず、同日午後2時以降ドレーンから血性の排液が断続的に生じるようになるまで、術後出血が生じていること及び再開腹止血術が必要であることを判断することができず、再開腹手術の開始を、同日午後7時35分まで遅延させたものであるから、T医師には術後出血の徴候となる所見を看過し、再開腹止血術などの術後出血に対する適切な対応を直ちにしなかった過失があると判断しました。 - 術後管理における過失ないし義務違反と患者の死亡との因果関係の有無
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この点について、裁判所は、T医師が前記の注意義務を履行していたとすれば、同月19日午前3時過ぎに腹部エコー検査を行い、腹腔内に液体(その場合、出血であろうという想像ができる。)の貯留があることを確認できた上、同時刻ころに行った血液検査の結果が、同日朝方には判明し、ヘモグロビン値、ヘマトクリット、赤血球数が、手術前と比べて減少していることが明らかとなり、これと前記バイタルサインの変化とを併せて考えることで、同日午前7時ころには、術後出血が生じていると判断することができたと推認できると判示しました。そして、裁判所は、このような判断がなされれば、まずは輸血等の保存的療法を施し、再開腹止血術のタイミングを考えながら、経過観察をすることになったとしても、その後は、保存的治療での改善は期待できないことが明らかとなり、再開腹止血術の必要性があると判断でき、再開腹止血術の準備期間を考慮しても、同日午前10時ころには、再開腹止血術を開始することができたと判断しました。
その上で、裁判所は、同日午前10時ころに再開腹止血術を施行した場合に、Aを救命することができたかを検討しました。
裁判所は、同時刻に再開腹止血術を開始することは、実際の再開腹止血術が開始された同日午後7時35分と比べて9時間以上も早いこと、術後出血が生じた患者の予後決定因子として、出血量は重要であり、特に、血液凝固機能を含む肝機能が低下している肝硬変患者の場合は、出血量が決定的に重要とされるところ、同日午前10時ころから実際の再開腹止血術施行時までの出血量は、おおむね500ないし1000mlであることからすれば、再開腹止血術を同日午前10時ころに開始していれば、同量の術後出血を減らすことができたものいえること、また、血圧が低い状態や、尿量の少ない状態が長時間継続することは患者の全身状態に影響を及ぼすことから、これらの継続時間も、術後出血患者の予後を左右する因子とされ、特に肝硬変の場合には血圧の低下が患者の全身状態に悪い影響を及ぼすものであることが認められるところ、Aは、同日午前10時以降、血圧は一定程度上昇したとはいえ、肝部分切除術および胆のう摘出術を受ける前と比べて低い状態がそこそこ長く継続していた上、尿量が少ない状態もそこそこ長く継続していたのであるから、再開腹止血術を同日午前10時頃に開始しておれば、血圧が低く、尿量が少ない状態にある期間を相当程度短縮し、全身状態への悪影響を軽減することができたものといえるとしました。
そして、裁判所は、再開腹止血術を同日午前10時ころに開始しておれば、Aを救命することができたであろう高度の蓋然性が認められると判断して、T医師の前記過失とAの死亡の結果との因果関係を肯定しました。
以上より、裁判所は、Xらの請求を「裁判所認容額」のとおり一部認容し、判決はその後確定しました。