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No.216「市立病院で、患者の乳腺腫瘍を乳癌と診断し、乳房温存療法による手術を実施したがその後良性と判明。生検を行わずに悪性と診断をした医師の過失を認めて、慰謝料の支払いを市に命じた地裁判決」

名古屋地方裁判所平成15年11月26日判決 判例タイムズ1157号217頁

(争点)

医師が生検を行わず最終診断を癌としたことに過失があるか

(事案)

X(本件当時45歳の女性)は、平成8年ころ以降、左乳房に示指頭大の無痛性腫瘤があることに気づき、平成9年2月10日(以下平成9年については月日のみを記載する。)、Y市が設立・所管するY市立市民病院(以下Y病院)の外科を受診し、B医師の診察を受けた。触診においては、リンパ節の腫大は触知されなかったものの、左乳腺外上領域の乳頭から3センチメートル離れた部位に直径1.5センチメートルの硬い腫瘤が触知されたため、B医師はXの年齢を考慮して癌も否定できないと考え、良性か悪性かを鑑別するために、同日に乳房撮影を、2月14日に乳腺エコー検査を行った。

乳房撮影では、淡く均一な腫瘤陰影が認められたものの、典型的な悪性所見である微小石灰化像等は認められず、乳腺エコー検査では、触診と一致する13.5ミリメートル×10.2ミリメートルの楕円形に近い横長の腫瘤が認められ、境界は比較的鮮明で、内部エコーは比較的均一な低エコー、後方エコーは増強傾向であり、線維腺腫に特徴的な像もみられたが、画像上、中心部に一部石灰化様の高エコーも認められた。乳房撮影及び乳腺エコー検査のいずれにおいても典型的な悪性所見が認められなかったため、B医師は、可能性としては繊維腺腫を最も疑ったが乳腺エコー検査で内部エコーに一部石灰化様の高エコーを認められたこと、上記と同様の画像所見でも癌である場合も存在すること及びXの年齢から、悪性も否定できないと考え、穿刺吸引細胞診を行うこととし、陰圧をかけた注射器をXの腫瘍に穿刺して細胞を吸引採取し、Y病院の検査部に穿刺吸引細胞診を依頼した。

2月21日、上記穿刺吸引細胞診の診断結果として疑陽性との回答があった。なお、同回答が記載された本件報告票には、本件判定医が記載したと思われる「乾燥」、「(良性?)」などのメモ書きがあった。

本件当時、乳房温存療法が多くの施設で実施されるようになっていたことから、B医師らは、Y病院においても同療法を採用することを検討しており、生検を行わずに最終診断できる症例があれば、同療法を実施したいと考えていた。しかし、Y病院では平成4年ころから本件までに、乳癌として治療した症例のうちの約3分の1が、細胞診で疑陽性と診断されて生検をおこなっていたため、B医師は、かねてからより的確に良性又は悪性の診断をしてもらうことができるように細胞診の判定医を変更することを検討していたところ、本件の細胞診でも疑陽性と診断されたことから、2月27日、本件標本及び本件報告票を持参して細胞診の専門家であるC大学のC教授を訪ねた。C教授は本件標本を顕微鏡で見て「癌です。」と答えた。B医師はC教授の回答を聞いて意外に思ったものの、C教授が細胞診の権威であったことから、上記回答に疑問を持たずにこれを根拠として、Xの左乳腺腫瘍について癌との最終診断をした。

2月27日、B医師がX及びその夫に、最終診断が癌であること、手術方法として乳房温存療法が適応であることを説明した。Xは、平成3年の右乳腺腫瘍のときと同様に良性の腫瘍であろうと考えていたことから、癌との告知を受けて、非常に驚き、ショックを受けて、手術方法等について冷静に判断することができなかったため、B医師の判断に任せて乳房温存による手術を受けることに同意した。

Xは3月3日Y病院の外科に入院し、翌4日、本件手術が実施された。手術終了後、B医師は切除標本の状況をみる目的で、切除した乳腺組織にメスを入れてその割面を観察したところ、悪性ではない可能性が考えられたため、腫瘍本体を病理組織検査に提出した。同月8日、上記病理組織検査の診断結果として、典型的な線維腺腫であり悪性でない旨の回答があったため、B医師は、Xに対して悪性ではなかったことを説明し、また、同日夜、その夫にもその旨を説明した。

そこで、Xは、Y病院のB医師らには生検を行わずに癌と最終診断した注意義務違反があると主張し、Y市に診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として、慰謝料の支払いを求めて、訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

患者の請求額 :計1000万円
(内訳:慰謝料1000万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:計275万円
(内訳:慰謝料250万円+弁護士費用25万円)

(裁判所の判断)

医師が生検を行わず最終診断を癌としたことに過失があるか

この点について、裁判所は、乳癌手術は、体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術によって乳房の一部又は全部を失わせることは、患者に対し、身体的障害のみならす、外観上の変貌による精神面及び心理面への著しい影響をもたらすものであって、患者自身の生き方や生活の質にも関わるものであるから、医師は、当該患者に対して乳癌手術を行う必要があるか否か判断する際の前提となる、当該乳腺腫瘍が良性か悪性かの鑑別を極めて慎重に行うべき注意義務を負うというべきであると判示しました。

その上で、本件においては、乳癌の診断に極めて有用とされている乳房撮影では典型的な悪性所見はなく、乳腺エコー検査でも積極的に悪性を疑わせる所見は認められなかったこと、B医師は、上記所見から、線維腺腫を相当強く疑い、癌である可能性は低いと考えていたものであり、C教授の癌との診断に対して予想外に感じたこと、B医師としても細胞診における誤診の可能性については認識していたこと、本件判定医は疑陽性と診断しながらも良性の可能性が高いと考えていたのであり、B医師も、判定の報告票の「(良性?)」との記載から本件判定医の上記判断を認識し得たこととの事情が認められる旨指摘しました。

そして、上記認定の事情に、生検は30分程度で実施し得るものであって、患者に大きな負担をかけるものではないこと、乳房温存療法であっても乳房に対する手術であることに変わりはなく、乳房の一部切除により温存乳房の変形、偏位等を来すことがあり得ること、Y病院では術中迅速組織検査を実施することができないところ、線維腺腫を強く疑う場合には、生検を行うことが望ましいとされていることなどを併せ考慮すれば、B医師にはC教授の診断をうのみにすることなく、それが誤診である可能性のあることを疑い、より慎重に良性か悪性かを鑑別するために生検を行うべき注意義務があったと認めるのが相当であると判断し、B医師には生検を行うことなくC教授の診断を根拠に最終診断を癌としたことに過失があるとしました。

以上から、裁判所はXの請求を一部認容し、その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2012年6月18日
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