富山地方裁判所平成19年1月19日判決 判例時報1986号118頁
(争点)
- 抜歯と下顎骨骨折との間の因果関係の有無
- 歯科医師の過失の有無
(事案)
平成16年10月19日、X(当時53歳・女性・自動車部品製造会社勤務)は、歯痛のため、歯科医師であるY(平成16年11月に死亡、以下亡Y)が経営するY歯科医院を訪れ、亡Yの診察を受けた。亡Yは歯痛の原因は右下の親知らず(本件智歯)であり、これを抜歯する旨Xに伝えた。その際、亡Yは、抜歯以外の方法があるか否かや、抜歯の具体的方法のほか、抜歯によって下顎骨骨折や知覚麻痺が生じる可能性の有無などについて全く説明をしなかった。
同月21日午後5時ころから、Xは、亡Yによる抜歯手術を受けた。Y歯科医院では亡Yが一人で治療その他一切を行っており、亡Yはヘーベルあるいはこれに類似する器具を使って本件智歯をかなりの力を入れて抜こうとした。亡Yは歯牙分割を行うことなく、本件智歯をそのままの状態で抜いており、最終的に本件智歯が抜けたのは同日午後7時ころであった。本件智歯は水平埋伏智歯であった。
本件抜歯後、Xは痛みや腫れ、痺れが続き、口も思うように開けられなかったため、同月22日および23日には欠勤したうえで、抜歯手術当日の亡Yの指示に従い、Y歯科医院に通院した。亡Yに痛みや腫れ、痺れを訴えたが、亡Yは、Xに次第に治ると述べ、消毒治療のみを行った。
同月24日は日曜日でY歯科医院およびXの勤務先が休業であったため、Xは、自宅静養をし、翌25日も欠勤し自宅静養をした。そのころの痛みは口を開けると痛むが、じっとしていれば我慢できる程度のものであった。
同月26日および翌27日、Xは出勤したが、いつまでも痛みが軽快せず、勤務先の同僚らの勧めもあって、翌28日に市民病院を受診した。
市民病院でのレントゲン検査の結果、本件智歯のすぐ近くの下顎骨に1cmを超えるずれがあり、下顎骨骨折であることが判明したことから、Xは、即入院の上、観血的整復固定術という手術を受けた。
その後骨折自体は治癒し、Xは同年12月19日、常時摂食可能となって退院した。退院時の開口は2cm強であったが、退院後も平成17年8月2日まで12回にわたって通院し、痛みの激しい開口訓練(リハビリ)を続けるなどして、現在の開口は4cm程度と日常生活に支障のない程度になっている。なお、現在も右側おとがい部と右側舌尖部の知覚麻痺は残存しており、固いものを食べるのに時間がかかるようになり、また、無味感や味覚異常を感じている。Xは、周囲からは、言葉が聞き取りにくくなったと言われている。
Yは平成16年11月20日に死亡したが、相続人が相続を放棄した。そこでXは、相続財産管理人選任手続を経て、亡Y相続財産を被告として不法行為または治療行為の債務不履行に基づき損害賠償請求を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:2171万3396円
(内訳:入院治療費14万2440円+入院雑費7万9500円+休業損害33万0724円+通院治療費1万0340円+通院交通費1万8960円+通院による休業損害5万1432円+入通院による慰謝料150万円+後遺障害慰謝料690万+後遺障害逸失利益1038万円+相続財産管理人選任費用30万円+弁護士費用200万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額: 1069万4799円
(内訳:入院治療費14万2440円+入院雑費7万9500円+休業損害33万0724円+通院治療費1万0340円+交通費4500円+通院による休業損害5万1432円+入通院による慰謝料150万円+後遺障害慰謝料290万円+後遺障害逸失利益437万5863円+相続財産管理人選任手続費用30万円+弁護士費用100万円)
(裁判所の判断)
抜歯と下顎骨骨折との間の因果関係の有無
この点について、裁判所は、本件抜歯の施術方法、抜歯後市民病院を受診するまでのXの症状、骨折の部位及び状態、本件抜歯の他には下顎骨骨折の生じる原因が見当たらないことなどを総合して、本件抜歯と下顎骨骨折との間の因果関係を肯定しました。
歯科医師の過失の有無
この点について、裁判所は、本件智歯のような水平埋状智歯の抜歯は、下顎骨骨折を起こさないよう、歯茎を切開し、症例に応じて歯槽骨を切除し、歯冠を分割して、歯冠部と歯根部を別個にヘーベルで抜去するというのが一般的な抜歯方法であり、他の方法はほとんど考えられず、このような歯牙分割や骨切除を適切に行って抜歯すれば、特別無理な力を加えない限りは、下顎骨を骨折することはほとんどないと判断しました。
その上で、裁判所は、亡Yは、本件智歯を抜歯するに際しては、そのままの状態での抜歯が困難な場合は、状況に応じて歯牙分割や歯槽骨切除を行うなどして、無理な外力を加えずに抜歯をすべき注意義務があるのに、これを怠り、抜歯が困難だったにもかかわらず、歯牙分割を行うこともなく、無理な外力を加えて抜歯をし、その結果Xに下顎骨骨折を生じさせたという過失を認定しました。
また、裁判所は、下顎骨中の神経が歯根に接近して走行している場合には、無理な外力を加えた場合でなくても、智歯の抜去により舌神経を損傷し、知覚麻痺の症状が出る可能性が一定程度あり、本件においても、智歯とその下部の舌神経の位置関係は非常に近接した状態であった可能性が高いと判示しました。しかし、裁判所は、このような場合には、亡Yとしては、抜歯により知覚麻痺が残る可能性がある旨を事前に説明し、Xの了解を得るとともに、不必要に神経を損傷しないよう、特に注意して抜歯操作する注意義務があるのに、亡Yはその旨の説明はしていないし、本件智歯の歯根と神経が近接していることを把握した上でこれに特に注意して施術したことをうかがわせる事情はなく、むしろ、亡Yは、下顎骨骨折を生じさせるほどの無理な外力を加えて抜歯を行ったのであるから、亡Yには舌神経の損傷についても注意義務違反の過失が認められると判示しました。
以上により、裁判所はXの請求を「裁判所認容額」のとおり一部認容し、判決はその後確定しました。