仙台地方裁判所 平成8年12月16日判決 判例タイムズ950号211頁
(争点)
集団検診におけるレントゲン写真読影担当医の過失の有無
(事案)
A(女性)の居住するB市は、Y(県民の結核を中心とする胸部疾患等の予防及び治療に関し必要な事業を行い、もって県民保健の向上を図ることを目的とする財団法人)に委託して、昭和57年から昭和63年まで結核予防法による定期検診(レントゲン撮影を含む)を、平成元年以降は同法及び老人保健法等による総合検診(このうち、肺癌検診では結核検診を兼ねたレントゲン撮影を実施していた)をそれぞれ実施していた。この委託契約は、一般受診者が検診を受けるのを受益の意思表示として、Yがレントゲンフィルムの読影において異常所見を発見した場合に、B市が異常所見が発見された受診者に対して再検査を要することを伝えるべく、Yは、受診者のために、要再検と判断したレントゲンフィルムにスケッチをつけてB市に対して再検査を要する旨の連絡をすべき債務を負うという第三者のためにする契約である。
Aは昭和60年、昭和61年及び昭和63年には上記定期健康診断を、平成元年には、総合検診のうち、結核検診及び基本検診をそれぞれ受診し、各回ともレントゲン撮影を受けたが、Yは、B市に対して、Aについて異常所見があるとの連絡をしなかった。
Aは平成2年8月、B市内のC内科医院において、健康診断のために胸部レントゲン検査を受診したところ、異常所見が発見されたため、このレントゲン写真と上記B市の実施した健康診断での各レントゲン写真合わせて持参して、D市内のE病院で精密検査を受けた結果、末期の原発性肺癌であるとの診断を受けた。Aはその後、別の2つの病院に入院して治療を続けたが、平成3年2月17日、上記肺癌が原因で死亡した。
その後、Aの遺族(夫と2人の子)は、Y所属の各フィルム読影を担当した医師らには、フィルムの読影に際して相当な注意を払えば異常陰影を発見することは可能であるにもかかわらず、これをいずれも見落とした過失があると主張し、Yに対し、損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
遺族(夫と2人の子供)の請求額合計:3648万9920円
(内訳:逸失利益1248万9921円+慰謝料2000万円+葬儀費用100万円+弁護士費用300万円。逸失利益と慰謝料につき遺族の法定相続分で按分したため、1円不一致)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計0円
(裁判所の判断)
読影担当医の過失の有無
まず、裁判所は、鑑定の結果などを踏まえて、昭和63年及び平成元年のフィルム上には、Aの左上肺野の同一位置に腫瘍の可能性のある陰影が存在すること、これを異常所見として更に精密な検査をすれば、Aの肺癌は発見可能であったことが認められると判示しました。
次に、裁判所は、胸部レントゲンの集団検診においては、多数の胸部間接フィルムを、短時間に流れ作業的に読影するのが普通であり、読影者の疲労や経験による影響を受けることが否定できないこと、集団検診には、特異性(治療を要する病変のみを発見すること)と感受性(治療を要する病変を見落とさないこと)の妥協点を如何にして見い出すかの問題があること、問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料も無い状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、また当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望めないため、胸部における初期の病変、特に骨と骨とに重なった陰影の正確な発見は時に極めて困難で、レントゲンフィルムの読影の限界とも考えられること、以上のような困難があるため、集団検診における肺癌の発見には限界があり、集団的な健康水準の維持からは有効な方法ではあるけれども、個別的な肺癌の発見方法としては完全とはいえないものであり、受診者も肺癌検診はこのようなものであることを予期すべきものであると判示しました。
その上で、昭和63年フィルムについては、左上肺野に少陰影の存在が疑われるものの、当該陰影が小さいものであることなどから、Yの読影担当医師らが昭和63年フィルムを異常なしと診断したことに過失を認めることはできないと判断しました。
平成元年フィルムについては、集団検診の制約と限界を前提に考えると、集団検診におけるレントゲン写真を読影する医師に課せられる注意義務は、一定の疾患があると疑われる患者について、具体的な疾患を発見するために行われる精密検査の際に医師に要求される注意義務とは自ずから異なるというべきであって、前者については通常の集団検診における感度、特異度及び正確度を前提として読影判断した場合に、当該陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がなく、これを異常と認めるべきことにつき読影する医師によって判断に差異が生ずる余地がないものは、異常陰影として比較読影に回し、再読影して再検査に付するかどうかを検討すべき注意義務があるけれども、これに該当しないものを異常陰影として比較読影に回すかどうかは、読影を担当した医師の判断に委ねられており、それをしなかったからといって直ちに読影判断につき過失があったとは言えないものと解するのが相当であると判示しました。
その上で、裁判所は、鑑定や医師の証言が骨と骨とに重なった陰影の正確な発見は時に極めて困難で、レントゲンフィルムの読影の限界とも考えられるとしていること、検診未発見癌における過去の検診写真の検討結果につき、偽陰性の原因としては、肋骨・肋軟骨化骨部との重なりが31パーセント、あるいは正常構造との重なりが42パーセントで、特に肺門縦隔陰影による例が28パーセントと最も多かったと報告されていることを考え合わせれば、平成元年フィルムにおける左上肺野の陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がないとはいえず、読影する医師によって判断に差異が生じる余地がないともいえないものと認められるとし、読影担当医師らが平成元年フィルムについて読影時に異常なしと診断したことがその課せられた注意義務を怠ったものということができず、この点につき過失は認められないと判示し、読影担当医の過失を否定しました。
以上から、裁判所は遺族の請求を全面的に棄却し、その後、判決は確定しました。