広島高等裁判所岡山支部 平成22年3月18日判決 判例タイムズ1353号 185頁
(争点)
早期に妊婦を転送すべき注意義務の有無
(事案)
Xは前期破水を起こしたため、平成15年3月22日午後零時、Y法人が設置し経営しているY産婦人科医院(以下、Y医院)に入院した。Y医院の医師はY医院の代表者H医師一人であり、帝王切開を実施していなかった。Xの入院時の子宮口の開大の程度は、2センチメートル程度であった。
Y医院では、午後2時から午後3時45分ころまでの間、分娩監視装置を用い、外側法により、本件胎児の心拍数を観察した。午後2時31分ころ、58分ころ及び午後3時22分ころに、いずれも軽度の変動一過性徐脈が表れていたものの、胎児心拍数基線は、140から145(午後2時20分から午後3時15分ころまで)又は120から140(午後3時15分から午後3時45分ころまで)で、細変動や一過性頻脈があり、心拍数が100以下になることもなかった。
同日午後3時45分ころから同月23日午前1時50分ころまでの間、本件胎児に対する分娩監視装置による胎児心拍数の監視をせず、この間2回にわたり別の機械で胎児心拍数を直接数えるに止めた。
同月23日、午前1時50分ころから分娩監視装置による胎児心拍数の監視を再開し、午前10時52分ころから54分ころの間に高度ではない変動一過性徐脈があり、その後、一過性徐脈は、午後零時45分ころまで現れていなかった。胎児心拍数基線の細変動は午前10時55分ころから午前11時40分ころまでの間は減弱し、午前11時40分ころから午後零時15分ころまでの間は再度増加したが、午後零時15分ころから27分ころまでの間は、再び小さくなった。しかし、その後、細変動が再び大きくなった。
同日午後は、午後零時45分ころに中等度の変動一過性徐脈、午後1時57分ころに軽度の変動一過性徐脈、午後3時31分ころから32分ころにかけて中等度の変動一過性徐脈が現れていた。
上記の一過性徐脈が現れた時以外は、午後零時から午後5時までの間は、全般に胎児心拍数基線が140程度で、基線細変動は6ないし10程度見られ、一過性頻脈もあった。
午後5時以降は、午後5時28分ころに軽度の一過性徐脈があり、午後5時40分ころから50分ころまでの間、約10分間持続する遷延一過性徐脈があった。午後6時3分ころから5分ころまでの間に中等度の変動一過性徐脈が、午後6時22分ころには遅発一過性徐脈が、午後6時34分ころから41分までの間は、約7分間持続する遷延一過性徐脈があった。この間、胎児心拍数基線は160程度となり細変動もあったが、午後6時ころから午後7時ころまでの間は細変動が減少し、午後7時ころからは再び細変動が大きくなった。
その後、午後7時37分ころから41分ころまでの間、約3分間持続する遷延一過性徐脈が現れたが、以後、午後10時17分ころまで、胎児心拍数基線は140から160程度と正常値の範囲内にあり、細変動があり、一過性徐脈は生じていなかった。
そして、午後10時17分ころに胎児心拍数に乱れが出始め、午後10時21分ころには一過性徐脈が現れ、午後10時27分ころには遷延一過性徐脈が出現したが、午後10時30分ころから記録が終了する午後11時ころまでの間は、胎児心拍数基線が145程度で細変動があり、一過性頻脈も認められていた。
H医師は、児心音下降が見られたため、同日午後11時8分ころ、Xを同じ市内のI総合病院に転院させるため救急車による搬送を要請し、Xは、同日午後11時20分ころ、Y医院を救急車で出発し、同日午後11時27分ころI病院に到着した。
この日のXの体温は37度台で、脈拍は1分間に100回まで至っていなかったものであって、また、子宮口の開大の程度は、午後6時50分ころの時点で半分以上まで進み、午後11時ころの時点で8センチメートル程度であり、入院時に比し開大が進行していた。
Xは同日午後11時45分、I病院分娩部に入院した。そのころ子宮口の開大が9センチメートル程度であるなどの分娩所見の進行が認められた上、胎児の心音に徐脈は認めず、細変動と一過性頻脈も認められた。I病院の担当医J医師は、経膣分娩可能と判断し、基本的に経膣分娩を目指し、必要時に帝王切開に切り替える方針を採り、翌24日午前3時45分以降、変動一過性徐脈が認められたことから急速遂娩の適応と判断し、午前4時8分、吸引分娩5回、圧出5回を経て、Xは経膣分娩した。
出生したAは、分娩1分後のアプガースコアが10点中1点で、胎便吸引症候群と診断され、直ちに気管内挿管・洗浄等の措置がとられた結果、分娩5分後のアプガースコアが10点中5点に回復し、また、臍帯血pHは7.065と新生児低酸素性虚血性脳症の診断基準であるpH7.0未満を満たしてはいなかった。しかし、午前5時過ぎから酸素分圧の低下と心停止が出現し、一旦回復したものの再度酸素分圧の低下が表れ、午前7時50分ころまで、心臓マッサージや昇圧薬投与等を繰り返し受けるに至った。後に、Aは新生児仮死により両上下肢の機能を全廃したとして身体障害者等級1級と認定された。
その後、XとAが、Y医療法人に対し、Y法人代表者であるH医師には遅くとも3月23日午後6時41分までに帝王切開術が可能な病院にXを転送すべき注意義務などを怠った過失により、Aが重度の障害を負ったとして、債務不履行及び代表者の不法行為に基づく損害賠償請求をした。第一審係属中にAが死亡し、Aの父及びXがAを承継した。
第一審裁判所が医師の過失を認めず、請求を棄却したため、Xらが控訴。
(損害賠償請求額)
患者側(妊婦と新生児)の請求額:計7583万8494円
(逸失利益+介護料+慰謝料+弁護士費用。内訳詳細不明)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:
【第一審の認容額】計0円
【控訴審の認容額】計0円
(裁判所の判断)
早期に妊婦を転送すべき注意義務の有無について
裁判所は、まず、Y病院においてH医師は唯一の医師であり帝王切開を実施していなかったこと等からY医院内で分娩進行中の妊婦につき、帝王切開による急速遂娩の必要があると認められる場合にはI病院への転院義務があると認められるとしました。
その上で、本件について、平成15年3月23日午後6時41分ころの時点までに、本件胎児の状態がほぼ確実に良好であるとまでは断定できない一方で、酸血症の可能性が高いとはいえない状況であったと認められるのであるから、本件胎児について、分娩監視記録のみから直ちに急速遂娩への移行が必要な状況にあったとはいえず、さらに、他の診療情報をも総合して、この時点までに急速遂娩への移行が必要な状況にあったといえるか、検討しなければならないとしました。
そして、午後6時41分ころの時点まで、本件胎児には生理的反応が維持されていることを意味する一過性頻脈が認められていたこと、午後7時ころ以降午後11時ころまでの間を見ても、本件胎児の胎児心拍数基線は正常脈の範囲内にあり、細変動の減少又は消失も見られず、一過性頻脈が認められており、一過性徐脈については、午後7時37分から約3分間持続する遷延一過性徐脈、午後10時21分ころ、27分ころに一過性徐脈が認められるもののいずれも単発的であって、この間についても、酸血症の可能性が高いとはいえない状況であったと認められること、診療経過によれば、午後6時41分ころの時点までに、子宮口の開大の程度については、入院当初2センチメートル程度であったものが半分以上開大する程度まで進行していたこと、同診療経過によれば、XがI病院の分娩部に入院して間もなく取り付けられた分娩監視装置上、当初の本件胎児の状況については、一過性徐脈が認められず、細変動と一過性頻脈も認められ、やはり酸血症の可能性が高いとはいえない状況であったと認められることを総合すると、午後6時41分ころの時点までに、Xについて急速遂娩への移行が必要な状況にあったとはいえないと判断し、Y医院に転送義務はなかったと判断しました。
以上から、控訴審裁判所はXらの本件控訴を棄却し、その後、判決は確定しました。