名古屋地方裁判所 平成12年3月24日判決 判例時報1733号70頁
(争点)
- 注意義務違反の有無
- インフォームド・コンセント原則違反の有無
(事案)
A(当時45歳の女性)は、昭和63年4月19日、H病院において子宮筋腫と診断され、同月28日にその切除手術が行われたが、開腹の結果右卵巣に悪性腫瘍が認められたため、右卵巣腫瘍(1キログラム)摘出のほか、左卵巣及び子宮の全摘手術が施され、病理組織学的検査の結果卵黄嚢腫瘍と診断された。その後、H病院医師から、Y県が開設するY1病院産婦人科(以下Y病院)を受診するよう紹介されたことから、AはH病院からの依頼状とともに病理標本及び摘出物を持参し、同年5月16日、Y病院を受診した。
Aを診察したY病院の婦人科部長であったY2医師は、ダグラス窩に過鶏卵大の抵抗を触知し、胎児性癌の不完全手術(摘出されない腫瘍の残存)と診断し、その他の検査から、ほかに肝臓実質内転移と横隔膜を越える部分への転移が認められ、Aの病変の状態は進行期Ⅳ期と診断された。Aは同年5月20日にY病院に入院した。
Y2医師は、それまで、卵黄嚢腫瘍患者の診療にあたったことはなかった。しかし、Y2医師は、S製薬会社が開発していた治験薬(以下本件治験薬)の臨床試験に関する研究グループの一員であり、S製薬会社とY病院との本件治験薬の第二相臨床試験に関する委託契約期間中に、対象となる症例がなかったため、Y病院総長に対し委託契約期間の延長を申請して、その承認を得ていた。
Y2医師は、Aに対し、本件治験薬を同年5月24日から同年9月10日までの間に、単剤で、あるいはブレオマイシン及びビンブラスチンとの併用という6コースの方法で投与した(以下本件化学療法)。治験計画書(以下本件プロトコール)の規定に照らせば、これらの本件治験薬の投与のうち、適正量の投与は最初の1回だけであり、その余はいずれも適正量の1.25倍ないし1.8倍の量が投与された。投与間隔も本件プロトコールの規定に適合しないほか、本件プロトコールの定める禁止事項である他の抗癌剤ブレオマイシン及びビンブラスチンと併用する使用方法がいくつかのコースで採られた。
Aは、血小板減少のため、同年8月22日から点状出血斑等の出血傾向を呈し、同年9月14日頃から白血球減少症による感染症を併発し、多量の粘血便の排出や多量の鮮紅色下血を来すとともに高熱を発し、同月18日からは、血小板減少症による脳出血のため中枢神経系の異常が出現し、同月23日、本件化学療法による骨髄抑制に伴う出血と感染のため死亡した。
その後、Aの夫とAの子ら(2人)は、Y2医師には診療契約上の債務不履行があると主張し、Y県及びY2医師に対し損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
遺族(夫、子2人)請求額:計7172万円
(内訳:慰謝料3500万円のうちの内金3000万円+遺失利益3472万円+葬儀費用100万円+弁護士費用600万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計3400万円
(内訳:慰謝料3000万円+葬儀費用100万円+弁護士費用300万円)
(裁判所の判断)
注意義務違反の有無
裁判所は、Y2医師が、当時標準的治療法とされ、薬理上も高度の合理性を備えたPVB療法(シスプラチン、ブレオマイシン及びビンブラスチンの3つの抗癌剤を併用する方法)を採用せず、かえって、未だ十分に安全性、有効性が確認されておらず、むしろ、第一相の臨床試験からは、骨髄毒性による重篤な造血機能障害の危険性が指摘され、かつ、シスプラチンよりは治療効用が弱いと報告されていた本件治験薬の使用を決め、使用方法についても、本件プロトコールが被験者保護の見地から定めた投与量、投与間隔に適合せず、禁止事項とされていた他の抗癌剤との併用を行った上、Aの血小板減少がグレード四の段階に達しても投薬中止、骨髄機能回復確認等の一般的処置を採らず、重篤な血小板減少症の発現が高度の蓋然性をもって予見できたにもかかわらず、同じく骨髄毒性を用量制限因子とする2つの抗癌剤である本件治験薬とビンブラスチンを併用し、かつ、本件治験薬を過剰投与して、あえて骨髄毒性を増幅させる化学療法等を継続した結果、骨髄抑制に伴う出血と感染のためAを死亡する至らしめたと認められることから、医師として、Aの疾病に関する当時の医療水準に適合する診療行為を行い、かつ、患者の危険防止のための当時の医学的知見に基づく最善の措置を採るべき注意義務に違反していると判断しました。
インフォームド・コンセント原則違反の有無
裁判所は、この点につき、まず、自己の身体に対し少なからぬ医的侵襲や危険を伴う医療行為については、自己決定権という患者固有の人格権に基づき、患者自身がその諾否の意思決定をする権利、自己決定権を有すると判示しました。
その上でインフォームド・コンセント原則に基づき、患者の同意を得る前提として、医師が尽くすべき説明義務の範囲について、一般的には、(1)患者の病気の性質、(2)医師の採ろうとする医療行為の内容及び相当性、必要性、(3)当該措置の危険性及び予後の判断、(4)代替治療の存否等であると考えられるとしました。
さらに、臨床試験を行い、あるいは治験薬を使用する治療法を採用する場合には、一般的な治療行為の際の説明事項に加えて、当該医療行為が医療水準として定着していない治療法であること、他に標準的な治療法があること、標準的な治療法によらず当該治療法を採用する必要性と相当性があること、並びにその学理的根拠、使用される治験薬の副作用と当該治療法の危険性、当該治験計画の概要、当該治験計画における被験者保護の規定の内容及びこれに従った医療行為実施の手順等を被験者本人(やむをえない事由があるときはその家族)に十分に理解させ、その上で当該治療法を実施するについて自発的な同意を取得する義務があったものというべきであると判示しました。
さらに、あえて治験計画(プロトコール)中の被験者保護の各規定に反する危険な医療行為を実施しようとする場合には、その旨及びその必要性、高度の危険性について具体的に説明し、被験者がその危険性を承知の上で選択権を行使するのでなければ、被験者の自己決定権を尊重したことにはならないと判断しました。
その上で、本件Y2医師のAに対する治療方法等の説明では、Aの疾病に対する標準的治療法がPVB療法であり、本件治験薬を使用した治療法が医療水準として定着していない治療法であること、本件治験薬と同じ骨髄毒性を有するビンブラスチンとの併用療法が高度の危険性を有することを理解させるには十分とはいえないだけでなく、Aの身体状態(主要臓器機能等)が、本件プロトコールの定める症例選択の条件を具備していなかったこと、被験者保護の見地から設けられた本件プロトコールの規定に違反する投与量、投与方法をあえて採用することの説明がない上、Aに対し標準的治療法であるPVB療法を施行することに支障がなく、また、本件治験薬を使用する治療法が、PVB療法より治療効果があると認めるべき学理上の合理的根拠や臨床上の知見もなかったのであるから、Y2医師はAに対し、正しい情報提供を怠ったとして、Y2のインフォームド・コンセント原則違反を認めました。
以上から、裁判所は、上記【裁判所の認容額】の範囲で遺族の請求を認め、その後、判決は確定しました。