東京地裁平成7年4月11日判決 判例時報1548号79頁
(争点)
- 患者Aの死因
- B看護師の過失の有無
- Y医師の過失の有無
(事案)
患者A(本件当時39歳の女性)は昭和52年5月22日、Y医師の開設するY産婦人科医院で第三子を出産したが、昭和60年11月29日、腹部腫瘤感を訴え再度来院し、超手拳大の子宮筋腫と診断された。
血液検査の結果、Aは貧血であると診断されたので、増血剤による貧血の治療後、昭和61年2月28日にY医院において子宮筋腫摘出術(以下本件手術)が行われた。
Y医師は、昭和24年、医師免許を取得し、昭和39年Y産婦人科の院長となり、昭和41年国立T病院の麻酔科の研究生となり、昭和42年麻酔科標榜医の許可を得た。
本件手術において、麻酔係となったのは、昭和14年に正看護師の資格を取り、I診療所を昭和60年に定年退職した後、昭和61年1月からY産婦人科医院に勤務するようになった、麻酔科での訓練を受けた経験のないB看護師であった。B看護師はI診療所勤務期間の前半、年に2回くらい入院患者の外科手術を手伝い、麻酔科の医師と交替して数分間患者の監視をした経験があったに過ぎなかった。
Aは昭和61年2月28日、午後1時5分、手術室に入室し、同36分、B看護師がY医師の指示で静脈麻酔剤のケタラール10を6ミリリットル側注し、毎分笑気4リットル、酸素2リットルとし、ヘッドバンドでマスクを固定し、自発呼吸で麻酔を維持した。
同37分Aが入眠したので手術を開始したところ、午後2時、Aに子宮頸延長があることが分かり、Y医師は麻酔を深くする目的でフローセンを使用することとし、B看護師に指示して、フローセン気化器に10ミリリットルを入れ、笑気3リットル、酸素3リットル、フローセン1%で麻酔を維持した。
同35分、Y医師は子宮摘出を終わり、フローセンを0.5%に下げたが、Bは同40分、麻酔器のバックの動きが弱まり、Aに呼吸抑制の状態が生じたのに気づき、Y医師に報告したところ、Y医師は薬剤感受性の個人差に基づく麻酔剤の相対的過量と考え、B看護師に対し吸気時にバックを手で加圧する補助呼吸を行うよう指示し、また、直ちにフローセンを切り、笑気4リットル、酸素2リットルとし、次いで、笑気も切り、酸素6リットルとした。
同45分、Y医師は、B看護師からAにチアノーゼが発現し、瞳孔が散大したとの報告を受けたのでB看護師と交替し人工呼吸を行ったところ、チアノーゼは消失したが、瞳孔は散大したままであり、自発呼吸も弱まってきた。
Y医師はAに気管内挿管を行うこととし、同51分、気管内挿管を完了した。
気管内挿管を完了した時点でAの自発呼吸は停止していた。Y医師は、同59分、Aの頸動脈に拍動を触れなくなったので心停止と判断し、心マッサージを開始した。
午後3時30分ころ、腹壁の縫合が終わり手術は終了したが、午後4時40分、Aが心肺蘇生術に反応を示さず、頸動脈、股動脈の拍動も触れず、瞳孔も散大したまま自発呼吸もないので、Y医師はAが死亡したと判断して、人工呼吸のみを続行し、司法解剖を依頼すべく警察署に電話をした。
しかし、午後5時10分、警察署から係官が到着し、Y医師がAの頸動脈に触れると拍動が出現していたため、Y医師は直ちに別の医師を呼んで、心マッサージを再開し、S大学病院のICUに転送したが、転送当時既にAは脳死状態に近く、同年3月15日、Aは脳死と判断され、家族の希望により生命維持装置により治療されたが、深睡眠・自発呼吸停止・脳幹反射消失の状態が続いた。
同年4月4日午後2時23分、Aは心臓死となり、死亡が確認された。
その後、Aの遺族らが、十分な麻酔管理を行わなかったためAは死亡したと主張し、損害賠償を求めてY医師に対して訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
患者の遺族(内縁の夫・子供3人)の請求額:遺族合計1億円(内金請求)
{内訳:治療費計200万6535円+付添看護費計206万3270円+入院雑費計7万2000円+葬儀費用等538万0280円+引越費用等94万5060円+家政婦代2716万6000円+(患者の逸失利益4857万8978円+患者の慰謝料300万円)×1/2(遺族のうち子供の法定相続分)+遺族固有の慰謝料6500万円+弁護士費用等計950万円 合計1億3792万2634円の一部請求}
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:遺族合計5452万2822円
{内訳:治療費200万6535円+付添看護費18万円+入院雑費4万6800円+葬儀費用等150万円+(患者の逸失利益4857万8978円+患者の慰謝料300万円)×1/2(遺族のうち子供の法定相続分)+遺族固有の慰謝料2000万円+弁護士費用500万円 端数不一致}
(裁判所の判断)
患者Aの死因
裁判所はAの死因となった脳機能障害の原因について、事実経過や医学博士の意見書や、Y医師自身も当初Aの呼吸抑制は麻酔剤の相対的過量と考えていたことなどから、Aの薬剤感受性の個人差に基づく麻酔剤の相対的過量により呼吸中枢が侵されて呼吸抑制に陥り、低酸素状態となって心停止に至り脳機能に不可逆的な障害を負ったと認められるとするのが事実の経過に適合的であると認定し、肺塞栓とするY医師の主張は採用しませんでした。
B看護師の過失の有無
裁判所は、麻酔を施した手術を行うに当たって、手術に立ち会った医師、看護師らは、患者の血圧、脈拍、呼吸を厳重に観察・管理して、常時患者の深麻酔等の異常が生じた場合には速やかに適切な処置を行うべき義務があるとしました。
そして、本件手術において、麻酔係を担当したB看護師は、その経験不足のため、午後2時40分以前から生じていたAの呼吸抑制を見落とし、あるいは、同時刻から行ったB看護師の補助呼吸の施術がAの深麻酔への処置として不適切であったとして、B看護師の過失を認めました。
Y医師の過失の有無
裁判所は、手術の主宰者である医師は、手術中、患者の血圧、脈拍、呼吸を厳重に観察・管理して、常時患者の状態を把握すべき注意義務、患者に深麻酔等の異常が生じた場合には速やかに適切な処置を行うべき義務を的確に行うことのできる知識と経験を有する看護師らを手術に立ち会わせるべき注意義務を負っているとしました。
そして、B看護師が注意義務を的確に履行できなかった原因は、B看護師の経験不足によるものであるから、そのようなB看護師に麻酔係を担当させたY医師にも過失を認めました。
そして、裁判所は、B看護師の使用者として、また、自らの注意義務を懈怠した者として、Y医師に対し上記裁判所の認容額記載の損害賠償の支払いを命じました。