東京地方裁判所平成13年7月26日判決 判例タイムズ1139号219頁
(争点)
- 下顎骨を削る手術についての説明義務違反があったか
- 下顎骨が過大に切除されたか
- オトガイ神経が損傷されたか
(事案)
X(手術当時54歳の女性)は、自分の頬の膨らみが気になるようになっていた折、Y医院を開設するY医師が輪郭矯正の名医・権威として雑誌に載っているのを見た。そして、Xは、平成5年(以下、同年については省略)11月1日、Y医院を訪れ本名と異なる氏名を名乗り、年齢を10歳若く申告した上で、頬骨を削る手術と右下顎を削る手術を希望した。Y医師は右下顎を削るのであれば、バランス上、左下顎も削るように勧めたが、Xははっきりとは同意しなかった。Xは、Y医師から、Bクリニックで健康診断を受けるとともに、下顎及び歯科のレントゲンを撮るよう指示された。
11月2日、再度Y医院を訪れ、Y医師の診察を受けた。Y医師は前日に撮影されたレントゲン写真を見ながら、左下顎も削らないとバランスがとれないといい、左下顎も削るようにさらに勧めた。Xは、美容外科の専門家であるY医師が勧めることであったため、左下顎も削る手術を行うこととした。このときXは左下顎についてはさほど不満はなかったため、Y医師に対し、左下顎骨はほんの少し削るように頼んだ。
11月5日、XはY医師の執刀により、頬骨と下顎骨の切除手術(本件手術)を受けた。左下顎を削る際、Xのオトガイ神経に位置の異常があったため、一旦オトガイ神経を切断した上で、下顎の骨を削る手術を行い、手術を終わるときに、オトガイ神経を縫合した。
その後、Xは説明義務違反、下顎骨手術について、Xの美的要求を無視して勧めるとともに客観的にも過大に切除し、その際にオトガイ神経を損傷したなどと主張してY医師には適正な手術義務の不履行があるとして損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:計1500万円
(内訳:手術費用相当額159万円+手術後の療養費用相当額30万円+医師の指示によるエステ費用相当額35万円+修復手術費用相当額331万9440円+入通院慰謝料150万円+休業損害327万4300円+慰謝料500万円+弁護士費用153万円の合計1686万3740円の内金)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計220万円
(内訳:慰謝料200万円+弁護士費用20万円)
(裁判所の判断)
下顎骨を削る手術についての説明義務違反があったか
この点について、裁判所は、まず、一般に美容整形のための手術は、通常、医学的緊急性、必要性に乏しいものであり、またその手術の目的が患部の治癒ではなく、患者の主観的願望を満足させるという主観的な目的を有するものであることからすれば、美容整形外科医は、患者の主観的願望を正確に把握した上で、あくまでもその願望に沿うように手術の部位及び方法等を勧めなければならず、安易に自己の美的価値観に従って、患者を自己の勧める手術に誘引してはならないというべきであると判示しました。
その上で、裁判所は、Y医師は、まずXから右下顎骨切除手術の承諾を得る際にも、右下顎骨を削る程度とそうした場合の外貌の変化について、Xが正確に理解するに十分な説明をしたと認めるに足りる証拠はないし、Xから左下顎骨切除手術の承諾を得る際には、左下顎骨を削る必要性、すなわち左下顎骨を削った場合の外貌の変化について、Xのレントゲン写真を見せながら、Xに対し、右下顎を削るだけでは、バランスが悪くなるから、左下顎も削るようにしたらどうかと説明してはいるものの、抽象的なものに止まり、左下顎骨の切除により具体的に左下顎骨のラインがどのように変化するかを説明していない。また、Xの要望どおり頬骨及び右下顎骨の切除手術をした上でXが必要だと感じた場合に再度左下顎骨の切除手術について検討する方法と一度に左下顎骨まで切除する手術を行う場合との利害得失については何らの説明もしていないと判示しました。
そして裁判所は、特に下顎骨手術の同意を得るに際して、Xが同手術に同意するか否かを自己決定するに十分な説明をしたとはいえず、説明義務違反があったと認定しました。
なお、Y医師は、手術の直前に、Xに対し、削る顎の骨の部分や量を示すために、Xの顔に赤いマーカーで線を引いて、Xに手鏡で見せるなどして説明をしていますが、これについて、裁判所は「そもそも、このような具体的な説明は患者から左下顎骨に関する手術の同意をとる際になされてしかるべきであって、本件手術の直前に行うこと自体、Xが当該手術に同意するか否かを決定するためには不十分といわざるを得ない上に、上記説明は精緻さに欠ける大まかなものである」と指摘し、また、Y医師がXに対して「本件手術結果により患者が主観的に完全な満足な結果を得られない可能性等についても何ら説明していない」と判示しています。
下顎骨が過大に切除されたか
この点につき、裁判所は、手術後のレントゲン写真と手術前の写真を比較すると、過大に切除されたとまで断定することはできないが、本件手術前の容貌と比較すると、いくぶんうりざね顔に近いものとなり、少なくともXの主観的願望を損なう結果となっている事実は認められると判断しました。
オトガイ神経が損傷されたか
この点につき、裁判所は、オトガイ神経の損傷は、下顎形成術の合併症とされている上、Xが複数の病院で知覚異常を主訴として診察を受けていることなどから、Y医師には、Xの左下顎のオトガイ神経を切断し、もしくはこれを縫合するに際し、過誤があったというべきであると判示しました。ただし、その障害の程度については、Xの心理的影響も否定できないところであるが、Xの症状をすべて心理的影響と断定することはできないと判断しました。
以上から、裁判所は、説明義務違反による損害として、上記【裁判所の認容額】の範囲で患者の請求を認めました。その後、判決は確定しました。