長崎地方裁判所佐世保支部平成18年2月20日判決 判例タイムズ1243号235頁
(争点)
- 医師の経過観察義務違反等の有無
- 医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の有無
(事案)
患者A(本件当時69歳の女性)は、平成14年(以下、同年については省略)8月3日17時ころ、胃の痛みのため、Y市が設置・運営するY病院救急外来を受診したが、痛みが消失したため、投薬等の処方もなく帰宅した。Aは9月17日22時ころにも、上腹部に痛みがあったことから近医を受診し、ブスコパン2A及び生食20mlの静注により、1時間後、症状は消失した。
同月19日、Aは、Y病院内科を受診し、B医師の診察を受けた。B医師は、Aの腹痛について、Aが昭和54年ころ胆嚢結石により胆嚢全摘術を受けた既往があること、Aが胆嚢結石の痛みに似ていると訴えたこと、血液検査の結果、肝機能障害や炎症反応が認められたことから、胆嚢結石の遺残結石による胆管炎の疑いがあるとして、ウルソ錠等の経口投与(胆石溶解療法)を処方し、入院予約をとった。
同月20日、Y病院のC医師は、ERCP(内視鏡的逆行性膵胆管造影検査。内視鏡を十二指腸下行脚まで挿入し、主乳頭よりカニューレを挿入して、膵臓又は胆管に造影剤(水溶性ヨード剤)を逆行性に注入し、X線モニターで観察したり、X線写真を撮影したりして、膵管造影又は胆管造影を行うもの)を実施するにあたり、AとX2(Aの子)に対し、Aの症状、ERCPの目的や手法、ERCPの実施による膵炎発症の可能性やその場合の対処方法について、一応の説明をした。
同日、Aは、CT検査を受けたが、結石や総胆管の拡張は認められなかった。また、同日の血液検査によると、肝機能障害は改善し、炎症反応も消失しており、Aに自覚症状もなかった。同日、Aは一時退院して帰宅した。
同月23日、Aは、Y病院に再入院したが、自覚症状はなかった。同月24日、ERCPが実施され、終了した。
その後、C医師は、術後1時間の絶飲食を指示したが、その後の飲食は禁止しなかった。Aは、術後も軽度の腹痛を訴えていたが、C医師は、ERCPの3時間後の血液検査を実施しなかった。Aの腹痛は、その後増悪傾向を示し、翌25日2時35分に強度の腹痛が発生し、鎮痛剤であるブスコパンが投与された。Aは、同日4時30分ころ、黄色物を多量に嘔吐し、5時15分ころ、ソセゴン(強い鎮痛剤)が投与された。
同日7時ころ、C医師が回診し、急性膵炎の可能性を考慮して絶食を指示したが、絶飲は指示しなかった。同日8時45分ころに血液検査が行われ、その結果、極めて高い血液アミラーゼ値及び尿アミラーゼ値を示していた。
同月26日、7時30分ころ、Aは重症膵炎と診断され、ICUに搬送されたが、翌27日、死亡した。
そこで、Aの遺族であるX1(Aの子)とX2は、C医師の使用者であるY市に対し、損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
遺族(患者の子供2名)の請求額:4200万円
(内訳:患者の逸失利益1200万円+患者と遺族の死亡慰謝料合計2400万円+葬祭料200万円+弁護士費用400万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:4120万円(患者の子供2名合計)
(内訳:患者の逸失利益1200万円+患者の死亡慰謝料2000万円+遺族固有の死亡慰謝料計400万円+葬祭料150万円+弁護士費用370万円)
(裁判所の判断)
医師の経過観察義務違反等の有無
この点に関して裁判所は、ERCP後には偶発症として急性膵炎を発症しやすいのであるから、医師の一般的注意義務としてERCP後膵炎の発症を防止し、また発症した場合にはその重症化を防止すべき注意義務があったと判示しました。
更に、本件ERCPでは、その実施時にAの総胆管が拡張していないという膵炎を発症しやすい因子があった上、挿管までにやや時間を要し、膵管への3回の誤挿管と造影があり、かつ、比較的多量の造影剤が注入されるなどして、膵臓に少なからず刺激が加わっていたといえるから、膵炎発症とその重症化をより警戒すべき状況にあったことなどから、C医師としては、急性膵炎の発症を予測し、その重症化を防止することに細心の注意を払うべき注意義務があったと判断しました。具体的には、重症化を促進する要因を除去するよう努める一方、早期に急性膵炎の発症及びその程度を把握できるようにきめ細かく経過観察を行い、急性膵炎の疑いが生じたときはできるだけ早期に、十分な量の補液とともに大量かつ持続的な膵酵素阻害剤の投与を開始するなどして、重症化の防止を図るべき注意義務があったと判示しました。
しかし、C医師は、本件ERCP後1時間の絶飲食を指示しただけでその後の飲食を禁止せず、本件ERCPの3時間後の血液検査を実施せず、腹痛の推移に配慮した経過観察を怠り、そのため適時に血液検査を実施せず、急性膵炎の疑いが生じた後もなお絶飲食を指示せず、腹痛に対する鎮痛剤として急性膵炎では忌避されるべきソセゴンを3回にわたって投与し、腹痛・嘔吐の強さや高いアミラーゼ値などから重症化の傾向が顕著にうかがわれるにもかかわらず、不十分な量の膵酵素阻害剤及び補液を投与したに止まる上、同阻害剤の効果を上げるために不可欠な持続点滴の方法で投与しなかったというのであって、これらの一連の行為が上記注意義務違反の過失に当たると判断しました。
医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の有無
この点に関してY市は、重症膵炎は厚生労働省の難病特定疾患に指定されており、現在の医学ではその重症化へのメカニズムは解明されていないのであって、C医師が上記【争点1】指摘の措置を施したとしても、膵炎の重症化を阻止することができたかどうかは明らかでないなどとして、本件では結果回避可能性ないしAの死亡との間の因果関係がなかった、と主張しました。
しかし、裁判所は、確かに、現在の医学では、膵炎重症化のメカニズムが十分解明されているとはいえないとしても、本件ERCP実施当時において、膵炎の重症化を防止する上で上記【争点1】に記載した措置が一定の効果を有するものとされていたのであって、本件ではそれらの履践をことごとく怠っているのであるから、それらを適切に履践していれば、Aは、急性膵炎を発症しなかったか、仮に発症したとしても急速に重症化しなかった可能性が高く、ひいてはその死亡が避けられた可能性が高いと推認される。
したがって、本件ではAの死亡につき結果回避可能性があり、かつ、C医師の上記注意義務違反とAの死亡との間には因果関係があると判示しました。
以上から、裁判所は、X1、X2の主張を認め、上記【裁判所の認容額】記載の損害の賠償をY市に命じました。その後、判決は確定しました。