最高裁第三小法廷平成22年1月26日判決 判例タイムズ1317号109頁
(争点)
看護師らがAに対して行った身体抑制は違法か
(事案)
A(当時80歳の女性)は、平成15年(以下、平成15年内の日付については年を省略)6月20日以降、両側胸部痛を訴えてB病院整形外科に入院していたが、7月16日、入眠剤を投与された状態で歩行していたところ、トイレで転倒し左恥骨を骨折した。
Aは、8月1日、肋間神経痛及び左恥骨骨折の治療並びにリハビリのため、救急指定病院であり、Y医療法人が運営するY病院内科に入院し、9月12日に退院したが、10月7日、変形性脊椎症、腎不全、狭心症等と診断され、Y病院外科に入院した。入院当初は腰痛により歩行困難であったが、徐々に軽快し、ベッドから車椅子に移乗してトイレに行ったり、手すりにつかまり立ちしたりできるようになった。しかし、看護計画によれば、痛みがひどいときは無理にトイレへ行かず、昼はリハビリパンツを、夜はオムツを着用することとされていた。
Aは、10月22日から11月5日にかけて、夜間になると、大きな声で意味不明なことを言いながらゴミ箱に触って落ち着かない様子を見せ、トイレで急に立てなくなってナースコールをし、汚れたティッシュを便器の中に入れずに自分の目の前に捨てるなどせん妄の症状がみられ、同月4日には、何度もナースコールを繰り返してオムツをしてほしいと要求し、これに対する看護師の説明を理解せず、1人でトイレに行った帰りに車椅子を押して歩いて転倒したことがあった。
Aは、同月15日午後9時の消灯前に入眠剤リーゼを服用したが、消灯後も頻繁にナースコールを繰り替えし、オムツを換えてもらいたいと要求した。看護師らは、オムツを確認して汚れていないときはその旨説明し、オムツに触らせるなどしたが、Aは納得しなかったため、汚れていなくてもその都度オムツを交換するなどしてAを落ち着かせようと努めた。
Aは、同日午後10時過ぎころ、車椅子を足でこぐようにして詰所を訪れ、病棟内に響く大声で「看護婦さん、オムツみて」などと訴えた。これに対応した看護師は、車椅子を押して病室にAを連れ戻し、オムツを交換して入眠するよう促したが、Aは、その後も何度も車椅子に乗って詰所に向かうことを繰り返し、オムツの汚れを訴えた。看護師らは、その都度、Aを病室へ連れ戻し、汚れていなくてもオムツを交換するなどした。
なお、看護師らは、より薬効の強い向精神薬をAに服用させることについては、腎機能もよくないため危険であると判断して、上記のような対応を続けた。
Aは、翌16日午前1時ころにも車椅子で詰所を訪れ、車椅子から立ち上がろうとし、「おしっこびたびたやで、オムツ替えて」「私ぼけとらへんて」などと大声を出した。C看護師は、Aを4人部屋である病室へいったん連れ戻したものの、同室者に迷惑がかかると思ったことや、Aが再び同様の行動を繰り返す可能性が高く、その際に転倒する危険があると考えたことから、D看護師の助力を得て、Aをベッドごと詰所に近い個室に移動させた。
Aは、その個室でも「オムツ替えて」などと訴えたため、C看護師及びD看護師は、声をかけたりお茶を飲ませたりしてAを落ち着かせようとしたが、Aの興奮状態は一向に収まらず、なおベッドから起き上がろうとする動作を繰り返した。このため、両看護師は、抑制具であるミトン(手先の丸まった長い手袋様のもので緊縛用の紐が付いているもの)を使用して、Aの右手をベッドの右側の柵に、左手を左側の柵に、それぞれくくりつけた。
Aは、口でミトンの紐をかじり片方を外してしまったが、やがて眠り始めた。両看護師は、詰所から時折Aの様子をうかがっていたが、同日午前3時ころ、Aが入眠したのを確認してもう片方のミトンを外し、明け方にAを元の病室に戻した。Aには、ミトンを外そうとした際に生じたと思われる右手首皮下出血及び下唇擦過傷が見られた。
Aは、同月21日、E病院で腎不全の治療を受けるためY病院を退院したが、その後、Y病院の看護師が行った抑制行為に対する慰謝料を求め、Y法人に対し訴えを提起した。
Aは、第一審口頭弁論終結後に死亡したため、Aの子X1、X2(以下、Xら)が権利義務を承継した。第一審裁判所はXらの請求を棄却したため、Xらが控訴したところ、控訴審裁判所は、Aは、せん妄の状態ではあったが、その挙動は、せいぜいベッドから起き上がっていすに移り、詰所に来る程度のことであって、本件抑制行為を行わなければAが転倒、転落により重大な障害を負う危険があったとは認められない。また、Aのせん妄状態は、不眠とオムツへの排泄を強いられることによるストレスなどが加わって起きたものであり、さらに、当初Aを説得してオムツが汚れていないことを分からせようとした看護師らのつたない反応がかえってAを興奮させてせん妄状態を高めてしまったと認められること、看護師のうち1名がしばらくAに付き添って安心させ、落ち着かせて入眠するのを待つという対応が不可能であったとは考えられないことからすれば、本件抑制行為に切迫性や非代替性があるとも認められない。Aは、ミトンを外そうとして右手首皮下出血等の傷害を負っており、抑制の態様も軽微とはいえない。また、本件抑制行為は、夜間せん妄に対する処置として行われたものであるから、単なる「療養上の世話」ではなく、医師が関与すべき行為であって、当直医の判断を得ることなく看護師が本件抑制行為を行った点でも違法である、として看護師の診療契約上の義務違反を認定し、第一審判決を取り消してXらの請求を計70万円の支払を認める限度で認容した。Y法人は上告。
(損害賠償請求額)
患者の請求額 :計600万円
(内訳:患者の負傷及び精神的苦痛に対する慰謝料500万円+弁護士費用100万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:【一審の認容額】計0円
【控訴審の認容額】計70万円
(内訳:患者の負傷及び精神的苦痛に対する慰謝料50万円+弁護士費用20万円)
【最高裁の認容額】計0円
(裁判所の判断)
看護師らがAに対して行った身体抑制は違法か
(1)抑制行為当時のAの状態
この点について最高裁判所は、Aは、せん妄の状態で、消灯後から深夜にかけて頻繁にナースコールを繰り返し、車椅子で詰所に行っては看護師にオムツの交換を求め、更には詰所や病室で大声を出すなどした上、ベッドごと個室に移された後も興奮が収まらず、ベッドに起き上がろうとする行動を繰り返していたものである。しかも、Aは、当時80歳という高齢であって、4カ月前に他病院で転倒して恥骨を骨折したことがあり、本件病院でも、10日ほど前に、ナースコールを繰り返し、看護師の説明を理解しないまま、車椅子を押して歩いて転倒したことがあったというのである。これらのことからすれば、本件抑制行為当時、せん妄の状態で興奮したAが、歩行中に転倒したりベッドから転落したりして骨折等の重大な傷害を負う危険性は極めて高かったというべきである、と判示しました。
(2)抑制行為以外の代替行為の有無
この点について最高裁判所は、看護師らは、約4時間にもわたって、頻回にオムツの交換を求めるAに対し、その都度汚れていなくてもオムツを交換し、お茶を飲ませるなどして落ち着かせようと努めたにもかかわらず、Aの興奮状態は一向に収まらなかったというのであるから、看護師がその後更に付き添うことでAの状態が好転したとは考え難い上、当時、当直の看護師3名で27名の入院患者に対応していたというのであるから、深夜、長時間にわたり、看護師のうち1名がAに付きっきりで対応することは困難であったと考えられる。そして、Aは腎不全の診断を受けており、薬効の強い向精神薬を服用させることは危険であると判断されたのであって、これらのことからすれば、本件抑制行為当時、他にAの転倒、転落の危険を防止する適切な代替方法はなかったというべきである、と判示しました。
(3)抑制行為の程度
この点について最高裁判所は、本件抑制行為の態様は、ミトンを使用して両上肢をベッドに固定するというものであるところ、事実関係によれば、ミトンの片方はAが口で噛んで間もなく外してしまい、もう片方はAの入眠を確認した看護師が速やかに外したため、拘束時間は約2時間にすぎなかったというのであるから、本件抑制行為は、当時のAの状態等に照らし、その転倒、転落の危険を防止するため必要最小限度のものであったということができる、と判示しました。
(4)本件抑制行為の違法性
この点について最高裁判所は、入院患者の身体を抑制することは、その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情がある場合にのみ許容されるべきものであるが、上記によれば、本件抑制行為は、Aの療養看護に当たっていた看護師らが、転倒、転落によりAが重大な傷害を負う危険を避けるため緊急やむを得ずに行った行為であって、診療契約上の義務に違反するものではなく、不法行為上違法であるということもできない。Aの右手首皮下出血等が、同人が口でミトンを外そうとした際に生じたものであったとしても、上記判断に影響を及ぼすものではなく、また、前記事実関係の下においては、看護師らが事前に当直医の判断を経なかったことをもって違法とする根拠を見いだすことはできない、と判示しました。
以上のように、最高裁判所は、全員一致で控訴審判決中Y法人の敗訴部分を破棄し、当該部分についてのXらの控訴を棄却しました。