横浜地方裁判所平成21年10月14日 判例時報2069号98頁
(争点)
- 医師に患者のイレウスを疑い所要の検査を行う注意義務違反があったか
- 医師が検査義務を果たしていれば、患者の救命の高度な蓋然性があったといえるか
(事案)
患者A(平成9年生まれの男子)は平成18年2月20日午前3時45分ころ、心窩部痛を訴え、数回嘔吐した。Aは午前4時20分ころ、救急車により医療法人社団Y1会の開設・運営する病院(Y1病院)に搬送され、Y1病院の医師らの診察を受けた。Y1病院の小児科部長であるY2医師は、午前9時ころ、Aの症状、諸検査の結果、腹部単純レントゲン撮影の結果、腹部超音波の結果等を総合して、Aの病名を急性胃腸炎であると確定診断した。
その後も、点滴の継続にもかかわらずAの容態は一向に改善しなかった。昼ころAの入院が決まった後も「お腹が痛くて歩けない」状態で、ストレッチャーに乗せられて入院病棟に移された。
午後2時35分ころ、Aは看護師の観察によれば、「嘔気は治まってきた様子であるが、腹痛は強い様子。ベッド上にてぐったりされている。」という状態であった。その後も、Aは間欠的に強い腹痛が見られ、午後4時過ぎには「痛いよー、痛いよー」と訴えてうずくまり、苦痛様の表情が見られた。この様子を観察した看護師は、看護師なりの判断で、単純な胃腸炎による腹痛とちがうのではないかという疑問を持ち、「(腹痛は)胃腸炎によるものか、その他に原因があるのか。」と看護記録に記載し、B医師に状況報告した。この報告を受けたB医師がAを診察したところ、腹部膨満と臍上部の圧痛が見られた。この間、排便はなかった。
午後4時38分ころ、B医師においてグリセリン浣腸を施行したため、Aの腹痛が少し収まり、絶食及び点滴を続行したが、午後5時20分ころ、Aは強い腹痛を訴え、Aの痛み止めの希望によって鎮静剤ソセゴンが注射された。
同月21日午前1時過ぎころ、Aは「気持ちが悪い。」と言ってコーヒー残渣様のものを嘔吐した。同日午前2時40分ころ、看護師は、Aの呼吸が停止しているのに気付き、心臓マッサージ、酸素吸入及び家族コールを行った。看護師から連絡を受けたY2医師は直接Aを診察したが、これはY2医師が20日午前8時過ぎころにAを診察して以来初めてのことであった。Y2医師らはAに心肺蘇生処置を行ったが、同日午前4時50分、Aの死亡が確認された。病理解剖の結果、Aの死因は腸間膜裂孔ヘルニアによる絞扼性イレウスと診断された。
患者Aの両親は、医師らが絞扼性イレウスを疑わず、所要の検査を行わなかったためAが死亡したとして、Y1病院、及びY2医師に対して損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の遺族の請求額:両親合計6528万1336円(端数四捨五入*)
(内訳:逸失利益3026万6379円+患者の慰謝料2000万円+葬儀費用150万円+遺族の慰謝料500万円+弁護士費用851万4956円)
*逸失利益を両親が2分の1ずつ相続しており、それを再度合計するにあたり、端数を四捨五入して計算しています
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:両親合計6216万6380円(端数四捨五入*)
(内訳:逸失利益3026万6379円+患者の慰謝料2000万円+葬儀費用150万円+遺族の慰謝料500万円+弁護士費用540万円)
*逸失利益を両親が2分の1ずつ相続しており、それを再度合計するにあたり、端数を四捨五入して計算しています
(裁判所の判断)
医師に患者のイレウスを疑い所要の検査を行う注意義務違反があったか
まず、裁判所は、患者Aについては急性胃腸炎の診断が確定していたとのYらの主張に対して以下のように判示しました。
確定診断後の経過において、確定診断に従った治療をしているにもかかわらず患者の症状が増悪したり、従前みられなかった症状が加わったりするなど、確定診断を下した際の症状の一般的推移と異なる経過が現れた場合には、それが確定診断と積極的に矛盾するものとまでいえなくとも、確定診断にこだわることなく、診察や検査を行って確定診断を再検討する必要があるとしました。加えて、本件においては腹部超音波検査では腸管ガスにより壁の性状把握が困難な部位があったことが認められ、必ずしも十分な情報が得られていたとはいえないこと、胃腸炎とイレウスとの鑑別は困難であり、対症療法により経過観察しても症状が改善しない場合は、画像診断を含めた対応が必要であるとされていることからすれば、患者Aについては、従前と異なる症状がみられた場合や症状が改善しないと考えられる場合に、初期評価、すなわち急性胃腸炎であるとの確定診断を見直す必要性は高かった、と判示しました。
次に、以上を踏まえつつ、本件の患者Aの症状の推移からすると、特に「痛いよー、痛いよー。」と訴えてうずくまる、あるいは痛み止めを希望するほど間欠的な腹痛が遷延していたことと、腹部膨満が見られるに至ったこと、排便がないことは、イレウスを疑わせる所見ということができる、と認定しました。
また、鑑定人らの各鑑定の結果を総合すれば、Y1病院医師らは、遅くとも午後5時20分ころの時点で、イレウスを疑い、Aに対し、腹部レントゲン検査、CT検査及び腹部長音波検査を実施するべき注意義務があったということができる、としました。それにもかかわらず、急性胃腸炎の診断を見直すことなく、上記検査を施行しなかったY2医師には、上記注意義務違反がある、と判示しました。
医師が検査義務を果たしていれば、患者の救命の高度な蓋然性があったといえるか
まず、本件でのAのイレウスの進行を考えると、鑑定の結果から、遅くとも午後5時20分ころに腹部超音波検査を実施していれば、腹水や腸管蠕動の消失などの絞扼性イレウスに特徴的な所見が得られたものと考えられ、また、立位及び背臥位の腹部単純X線検査を実施すれば小腸ガス像が、CT検査を行った場合には、腸管壁の肥厚、腸間膜の異常(出血、浮腫など)が、それぞれ認められた可能性がある、と認定しました。
よって、Y1病院医師らが遅くとも午後5時20分ころにイレウスを疑い、Aに対し各種検査を行っていれば、診察による所見及び検査結果から、絞扼性イレウスの判断は可能であり、この診断に基づいて、Aに対して開腹手術を実施することを十分期待することができたと認めるのが相当である、と判示しました。
そして、イレウスを疑ってから遅くとも5時間以内には麻酔科医及び手術室の看護師をそろえて午後10時20分の時点で開腹手術に着手できたといえるから、同時点で手術に着手していれば、仮に絞扼性イレウス発症から約19時間半を経過し、重篤な状態にあったとしても、絞扼の解除と壊死腸管の切除により、救命できた高度の蓋然性があり、かつ、その場合に、Yらの主張する短腸症候群による後遺障害を残すことなく回復することを期待し得た、としました。
よって、Yらの注意義務違反とAの死亡との間に因果関係を認めました。
以上より裁判所は原告側が請求する逸失利益を全額認め、弁護士費用は減額して、上記認容額の限度で病院側の損害賠償義務を認めました。