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No.172「小柄な高齢患者への大腿骨頸部骨折手術後、急性循環不全で死亡。患者遺族の請求を棄却した一審判決を変更し、病院側に慰謝料の支払いを命じた高裁判決」

福岡高裁平成19年5月29日判決 判例タイムズ1265号284頁

(争点)

  1. 手術の際の患者の状況及び急性循環不全に至った原因
  2. 手術管理に係る医師の注意義務違反の有無
  3. 損害

(事案)

A(当時82歳で身長146cm、体重42.5kg)は、平成2年6月に脳卒中に罹患して半身不随となり、以後寝たきりの状態となって、いくつかの医療機関への入退院を繰り返していた。平成6年4月からは特別養護老人ホームに入所し、軽度の認知症症状もみられた。

Aは、平成9年8月、肺炎の疑いでY医療法人の経営するY病院に入院したところ、大腿骨頸部骨折が判明し、その治療を受けることになった。そして、Aは、平成9年11月7日、主治医B医師により、脊椎麻酔をした上、同医師の執刀によって右大腿骨頸部骨接合術の手術を受けることになった。

B医師は、同日午後1時ころ、Aに対し、前投薬として副交感神経抑制・遮断薬である硫酸アトロピン0.25mgと、鎮痛剤であるペンタジン15 mgを筋肉注射し、午後2時10分ころから、局所麻酔薬である等比重0.5%マーカイン3.5mlを投与して脊椎麻酔を行った。

すると、約10分後の午後2時20分ころ、Aの血圧は、麻酔薬投与時までの収縮期血圧120、拡張期血圧70(以下、「120/70」のように表示する)から、80/40に低下し、午後2時25分には、心拍数も麻酔前の毎分95回から毎分45回に低下した。

そこで、B医師は、昇圧剤であるエホチール1mlを生理食塩水9mlで希釈して10mlとし、午後2時15分ころ、20分ころ、25分ころの合計3回、各2mlずつ静脈注射したが、Aの血圧は上がらずに不安定であったので、昇圧剤をカタボンに変更し、午後2時30分過ぎころから、毎時5~10mlの速度で、カタボン200mlの点滴による投与(以下、点滴静注)を開始したところ、Aの血圧はおおむね90~100/50に回復した。しかし、他方で、心拍数が毎分130~140回に上昇したため、午後2時50分ころ、カタボンに代えて昇圧剤であるノルアドレナリン1 mgを生理食塩水100mlで希釈して、毎分7、8滴で点滴静注を行った。

午後3時ころ、B医師は執刀を開始したが創部を圧迫したためか、Aから疼痛の訴えがあったので、B医師は、これに対処するためにペンタジン15mgを筋注した。 手術は午後4時25分ころ終了した。

手術終了直後、Aはレントゲン室への搬送のため、手術台から搬送用ベッドに移され、さらにエレベーターで3階から1階まで降ろされた。しかし、エレベーター内でAの呼吸が停止し、救命措置が施されたが、急性循環不全によりAは死亡した。

Aの相続人であるXは、B医師の麻酔管理等にかかる過失により、Aは呼吸抑制や高位脊椎麻酔ショックを来し、急性循環不全に至って死亡した、と主張し、B医師の使用者であるY医療法人に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めて訴えを提起した。

第1審裁判所はXの請求を全部棄却したため、X控訴。

(損害賠償請求額)

遺族の請求額 :計2552万円
(内訳:2320万円(詳細不明)+弁護士費用232万円)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:
【第一審の認容額】計0円
【控訴審の認容額】計350万円
(内訳:慰謝料300万円+弁護士費用50万円)

(裁判所の判断)

手術の際の患者の状況及び急性循環不全に至った原因

この点について控訴審裁判所は、本件麻酔でAに投与されたマーカインの量3.5mlは通常の使用量の範囲ではあるものの、Aの年齢及び身長・体重に照らせばその量が多めであることは明らかであると判示しました。そして、マーカインは、等比重の薬液のため、拡散する範囲が定まらず、思わぬ高位まで麻酔高が広がる可能性があり、特に高齢者に対しては麻酔の範囲が広がりやすく、また、身長の低い者には麻酔高が高くなる傾向があることや、本件麻酔の後、Aに血圧の顕著な低下があることなどから、Aの麻酔高が本来の低位麻酔の域を超えて高位に広がっていた可能性が強いと判断しました。さらに、本件手術中(執刀開始直後)に追加投与されたペンタジンも同様にいささか過多であったと判示しました。

その上で、控訴審裁判所は、マーカインの薬効とペンタジンの薬効とが相俟って、Aの身体に過度の負荷(呼吸抑制など)を与えた可能性は高く、さらにAは、本件手術直後に、レントゲン室への搬送のために、手術台から搬送用エレベーターに移され、さらにエレベーターで3階から1階まで降ろされるというような、安静とはいえない環境の変化にさらされたために、急激に容態が悪化し、呼吸困難や意識の低下、さらには呼吸停止状態にまで立ち至ったものと考えられると判断しました。

手術管理に係る医師の注意義務違反の有無

控訴審裁判所は、B医師が、局所麻酔薬としてマーカインを選択したことは、医師に委ねられた裁量の範囲内にあるというべきであって、この点の判断に過誤があったということはできないと判示しました。しかし、同医師がAに投与したマーカインの量はやや過剰であったから、同医師としては、Aの麻酔高をより慎重に確認した上、その後のバイタルサインをより注意深く観察すべきであったと判断しました。

そして、証拠上麻酔高の確認がなされたかどうかは疑問が残り、この点について的確な立証があったとはいえないと判示しました。

その上で、控訴審裁判所は、マーカインの過剰投与は相当問題があるものというべきであり、しかも、その後の麻酔高(特にそれが低位麻酔の域を超えて高位に及んでいないかどうか)の確認が適切になされたか疑問があるというのであるから、既にこの点においてB医師の過失が認められる余地があると判示しました。

そして、これに対し、ペンタジンの追加投与については、これを個別に観察すればB医師の過失を認めることはできないものの、マーカインの過剰投与と相俟って、Aの身体に過度の負荷を与えた可能性は高く、それにも関わらず、本件手術を無事終了することができたのは、継続的な酸素吸入とノルアドレナリンの点滴投与に負うところが大であったのであるから、B医師としてはこの点を十分に認識し、本件手術終了後においても安静に保つことを最重要視するべきであったものといわなければならないと判断しました。

そうであるのに、B医師は、本件手術終了直後に、Aについてレントゲン室へ搬送しようとしたのであって、これは上記要請に反する行為であるとして、2点において、B医師には過失を認定しました。

損害

控訴審裁判所は、Aの年齢や健康状態からして、本件手術及び本件麻酔には相当程度の危険性は避けられなかったのであり、AもXもそのことを認識した上で、本件手術を受けることを承諾したのであるから、一定程度の危険性を承認していたものといえる、と判示しました。

そして控訴審裁判所は、B医師の過失があったためにAは本件手術終了後間もなくして死亡してしまったものではあるが、仮に、同過失がなかったとしても、本件麻酔による負荷や本件手術自体の侵襲により、Aが回復しないまま死の転帰を迎えるという危険性もなかったとはいえず、また、幸いにして回復したとしても、Aがいつまで健康で良質の生活を享受することができたかどうかは見当もつかない、と判示し、損害としては、慰謝料300万円及びこれについての弁護士費用50万円のみを認めました。

以上から、控訴審裁判所は、Xの請求を全部棄却した第一審裁判所の判決を取り消して、Xの請求を一部認め、B医師の使用者であるY法人に損害の賠償を命じました。

カテゴリ: 2010年8月 4日
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