大阪地裁平成19年10月31日判決 判例タイムズ1263号311頁
(争点)
- 医師に報告・説明義務違反はあったか
- 医師に経過観察・治療義務違反はあったか
- 医師らの過失と損害との間に因果関係はあるか
(事案)
患者X1は、両親X2(母)とX3(父)の二女として、出産予定日より約3カ月早い平成16年7月22日に出生したが、出生時の体重が1142gしかなく、極低出生体重児であった。Y医療法人が設置運営するY病院では、A医師、小児科部長のB医師を中心とした医療スタッフが、X1の診療を担当することになった。
A医師らは、X1がPVL(脳室周囲白質軟化症)に罹患していることを同年8月6日に認識したが、Y病院では、PVLについての説明を行うか否かは、小児科部長であるB医師が自らの判断で行うこととなっており、B医師は、入院期間中にこの説明を行わなかった。
X1は同年10月23日に退院した。X2は、平成17年4月上旬ころから、X1に成育の遅れを感じ、同年5月13日の健診おいて、B医師にそのことを相談したが、B医師はPVLに罹患していることを報告せず、運動障害、知的障害を発症する可能性があることを説明しなかった。なお、PVLとは、側脳質周囲白質に局所的な虚血性壊死による多発性軟化病巣ができる疾患であり、在胎32週以下の早産児に多く見られ、脳性麻痺による運動障害の原因となり得る疾患である。ただし、PVL患児のすべてに運動障害等が生じるものではない。
PVLは、脳細胞の虚血による壊死であるため、診断ができても治療法はない。また、運動障害の症状が現実に発症していない段階での運動療法は無効であるが、脳性麻痺による運動障害を発症した場合には、早期運動療法の実施が検討の対象となる。
その後の平成17年6月初めごろ、X2は、脳性麻痺等による障害児の医療や運動療法に高い評価を受けており、X2が以前看護師として勤務していたC病院にX1を連れて遊びに行った際、懇意にしていたC病院のD医師にX1の成育について相談した。
D医師は、同年7月4日にX1を診察したところ、X1が運動障害を発症していること、脳性麻痺の症状の進行としては、もはや完成された状態に到っているものと判断した。さらに、同月12日、D医師はX1にMRI検査を実施し、PVL及びこれによる脳性麻痺(痙直型両麻痺)と診断した。
B医師は、X2が同年7月13日にY病院に来院した際、X1がPVLに罹患していた旨を説明し、家族が過剰に心配しないようPVLに関する説明を行わなかったが、X1の経過は慎重に観察していた旨の説明をした。
上記説明を受けたX2は、Y病院でX1の診察を行うことをやめ、同月14日からC病院で運動療法に取り組むこととし、X1は、運動機能を少しずつ獲得している。
X1、X2、X3は、Y病院の医師らが、X1がPVLに罹患していることを報告・説明する義務を怠り、また、慎重な経過観察を前提とした脳性麻痺に対する治療を適切に行わなかったため、早い時期にX1が運動療法を開始していればX1の予後はより改善されていたにも関わらず早期の運動療法開始ができなかった、と主張し、医師らの使用者であるY医療法人に対し、損害賠償を請求する訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額 計220万円
(内訳:身体的損害100万円+精神的苦痛に対する慰謝料100万円+弁護士費用20万円)
両親の請求額 :それぞれ55万円
(内訳:精神的苦痛に対する慰謝料50万円+弁護士費用5万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:【患者の請求分】計35万円
(内訳:患者の精神的苦痛に対する慰謝料30万円+弁護士費用5万円)
【両親の請求分】0万円
(裁判所の判断)
医師に報告・説明義務違反はあったか
この点について裁判所は、(1)PVL患児は、7~8割程度の確率で脳性麻痺による運動障害を発症する可能性があるから、この点を念頭においてその成育を慎重に観察する必要があり、そのPVLに罹患しているとの診断結果は、幼児の成育を観察する上で、極めて重大な意味を持つこと、(2)幼児に運動障害が生じた場合に、迅速に運動療法を開始し、子のためにできる限りの看護を施せる態勢を整えるためには、その両親の協力が不可欠であるから、両親において、この事実を事前に認識しておくことは、子の看護及び治療にとっても極めて重要であること、からPVL患児を診察した医師としては、いまだその患児が脳性麻痺による運動障害を発症していなかったとしても、適切な時期に、その両親等適切な者に対し、PVLに罹患している事実を報告するとともに、PVLが脳性麻痺の原因となりうる疾患であること、PVL患児が脳性麻痺による運動障害を発症する可能性が正常な幼児よりも非常に高いこと、脳性麻痺による運動障害を発症した場合には早期運動療法が検討の対象となること、早期運動療法を実施するに当たっての具体的な対応等を説明し、患児の全身状態の観察に注意を払い、運動障害を疑わせる症状が現れたときには、速やかに医師の観察を受けるよう説明すべき義務を負う、と判示しました。
ただし、両親らが強い精神的衝撃を受けることが予想されるので、報告・説明を行うべき時期に関しては、患児の診療経過、疾患の現状、必要な検査、治療及びこれに対して必要な家族の対応、両親の精神状態、障害児に対する理解の程度、子が脳性麻痺による運動障害を発症する可能性があるとの事実を受容する能力の有無、医師と患者との間の信頼関係の有無などの諸事情を総合的に考慮して判断する必要があるというべきであり、高度の専門的な判断が求められることから、基本的には、合理的な医師の裁量に委ねられているというべきである、と判示しました。
その上で、裁判所は、X1が退院した後は、定期的な検診ないし外来受診でしかX1の状態を観察することができなくなるのであるから、在宅で適切な観察、看護を施すためには、Y病院医師らとしてはX1を退院させる10月23日までに、両親または少なくとも看護師としての勤務経験があり、脳性麻痺による運動障害発症可能性の事実を受容する能力があったと認められるX2に対して、報告・説明を尽くすべきであったが、Y病院医師らは、この義務を怠った、として、Y医療法人の過失を認めました。
医師に経過観察・治療義務違反はあったか
この点について裁判所は、医学的知見によれば、脳性麻痺の初期の徴候は、通常、乳幼児初期の原始的かつ全身性共同運動を伴った運動発達の遅れであるが、病的な徴候と正常発達内で許される個体差との区別は非常に難しく、乳幼児初期、すなわち、生後4カ月ないし6カ月までに脳性麻痺と診断することは困難とされていることが認められることも併せ考慮すれば、Y病院医師らにおいて、平成17年3月4日までの段階で、X1が脳性麻痺による運動障害の発症を診断できなかったことも、やむを得なかったといわざるを得ない、と判示しました。
しかし、(1)X2は、5月13日の健診時において、B医師に、X1に成育の遅れを感じたことを相談したのであるから、X1がPVL患児であると認識していたB医師としては、X1が、脳性麻痺による運動障害を発症する可能性が一般の幼児より高いことを考慮し、X1の全身の運動をより慎重に観察する必要があったし、(2)この時点で慎重な観察を行っていれば、脳性麻痺による運動障害を発症している可能性があることを診断できたものと推認できる、としました。したがって、B医師は、同年5月13日の健診時において、慎重な経過の観察を行い、X1が脳性麻痺による運動障害を発症している可能性があると診断し、運動療法を開始すべく適切な措置を執るべき注意義務があったと認められる、と判示しました。
しかし、B医師の5月13日の診断は10分程度と、所要時間から見ても、十分なものであったとは言い難い、と判示しました。
以上より、B医師は、経過観察義務を負っていたところ、平成17年5月13日の健診が不十分であったため、X1が脳性麻痺による運動障害を発症している可能性があることを診断することができず、運動療法を開始すべく適切な処置を執ることもできなかったというべきであるから、B医師には、経過観察・治療義務を怠った過失があった、と判示しました。
医師らの過失と損害との間に因果関係はあるか
この点について裁判所は、まず、身体的損害との間の因果関係については、(1)医学的知見によれば、PVL自体に対する有効な治療法はなく、運動療法が有効とされ、多くの病院等で実践されているが、近年はその効果が医学的に実証されておらず、運動療法の開始時期についても、早期であった場合と遅延した場合とで効果に統計的に優位な差はないとして批判的な見解も少なくないこと、(2)D医師も、X1についてもっと早く運動療法を開始していれば、運動障害の程度が軽減できたということはできないと証言していること、から、医師らが前記の義務を尽くして、平成17年4月又は5月の時点で脳性麻痺による運動障害の発症が診断され、運動療法を開始することができたとしても、X1の運動障害の程度が現状と比べより改善されたとまで認めることはできず、過失と損害との間に因果関係は認められない、と判示しました。
次に、精神的損害との間の因果関係については、運動療法は、近年批判も少なくないが、なお我が国のリハビリテーション関係に多くの支持者を持つ長い歴史のあるものであり、平成16年当時においても、脳性麻痺による運動障害を発症した場合には、早期に専門医の指導による運動療法を実施するのが一般的な治療法であったと認められる。とりわけ、C病院は、脳性麻痺等による障害児の医療や運動療法において高い評価を受けていたのであり、X2はそのC病院で看護師をしていたこと、平成17年7月にC病院でD医師の診察を受け、PVL及びこれによる脳性麻痺と診断され、すぐにC病院においてX1の運動療法を開始していることからすると、X2としては、より早期にPVLである旨の説明を受けていたならば、X2が、X1のPVLに罹患しているという病状を理解し、母親として、PVLの影響により、高い確率で脳性麻痺による運動障害を発症する可能性があることを念頭に置き、X1に対して可能な限りの注意を注ぐことにより、X1は、脳性麻痺による運動障害を発症した場合には、早期に小児神経科の専門医による診断を受け、迅速に運動療法を開始することができたということができる、と判示しました。
そして、より早期に運動療法を開始することによる運動障害の改善の有無や程度については、対照実験が難しいため判断が困難であるところ、本件においては、2、3カ月運動療法の開始時期が早まったという程度に過ぎず、それによりX1の運動能力が現状よりも改善したとまで認めることはできないが、改善した可能性を全く否定することもできず、X2ら両親としては、少しでも可能性がある限り、できるだけ手厚い観察ないし看護を施したいと考えるのは当然のことであり、X1が、その両親から手厚い観察ないし看護を受ける利益は、法的保護に値するということができる、と判示しました。
そして、X1は、前述のB医師らによる報告・説明義務又は経過観察・治療義務違反により、両親から手厚い観察ないし看護を受ける利益を侵害されたといえる、として、裁判所は、B医師らの使用者であるY医療法人に対し、X1の精神的損害に対する賠償を命じました。 他方、両親の精神的損害については、X1が死亡したことに比肩すべきものとは言えないとして、両親固有の慰謝料請求は認めませんでした。