福岡高等裁判所平成20年4月22日判決 判例時報2028号41頁
(争点)
- 結核性髄膜炎の疑いを持って検査を行い治療を開始すべきであったのに、これを怠った過失が医師にあるか
- 医師の過失と後遺障害との因果経過の有無及び損害額の算定方法
(事案)
患者X(平成8年生まれの女児、当時4歳9ヶ月)は、平成13年3月17日頃から発熱及び吐き気等を訴えて、以後近所の小児科や医療法人Yが開設するY病院の救急外来を受診したが、その症状に改善が見られないまま、同月27日にY病院を受診した。主治医Bは、Xの発熱を不明熱とし、診断名を嘔吐症、電解質異常として、輸液による電解質補正や熱型の観察のため、同日にXをY病院に入院させた。
28日、29日、Xは、倦怠感は強くなかったものの、中等度の発熱、電解質異常、尿中ナトリウム値増加の状態であったので、主治医Bが小児科部長に相談したところ、SIADH(ADH分泌不適合症候群。以下「シアザ」)ではないかという指摘を受けたが、その原因は特定できなかった。
30日の午前0時頃、Xは痙攣を起こし、眼球が右方偏位して、痛み刺激に反応がないといった状態に陥り、さらに不規則な痙攣を起こしたり、目の焦点が定まらない、或いは眼球が左方偏位するなどの状態が見られ、意識レベルもII群(刺激すると覚醒する状態)の状態が継続した。
主治医Bは同日朝出勤してXに激しい痙攣のあった事実を知り、脳内で重大な事態が起きていることを察知した。その後、Xの意識状態はII群の状態、対光反射は「可」の状態が続き、午後からは尿量低下、眼球陥没、傾眠傾向、倦怠感が見られたが、心拍、呼吸に異常はなく、体温は概ね38度台であった。主治医BがK大学病院の小児科医師に意見を求めたところ、シアザの原因特定のため精査の必要があるとして、4月2日に転院することになった。
(なお、31日午前の診察をもって主治医BはY病院を退職し、以後C医師がXの主治医としてその診察・治療を担当した。)31日の午後には、Xの意識状態は悪化し、III群に至った。
4月1日、主治医Cが、生化学検査を行ったところ、CRP値が9.8と上昇しており、細菌感染が疑われた。主治医Cは、髄膜炎の可能性を疑い、前主治医Bに対し検査するとすれば腰椎穿刺による髄液検査くらいではないかと打診してみたが、前主治医Bは、脳嵌頓の可能性があるので脳浮腫の有無を確認する必要があるなどとして消極的な返答をしたため、同検査が行われることはなかった。
4月2日午前3時、主治医Cは感染症を疑ってXに抗生剤を投与したが、意識状態はIII群のままで、午前10時の生化学検査のCRP値も10.1のままであった。同日午前9時30分ころから行われたMRI検査では、著しい水頭症、著明な脳室拡大が見られたため、これを読影したD医師は「脳髄膜炎疑い(結核性、その他のウイルス性)、髄液検査はどうか」との意見を付した。
同日、Xは意識不明のまま大学病院へ転院され、水頭症に対する外科手術(脳室ドレナージ)及び髄液検査を受け、結核性髄膜炎との診断のもと治療がなされたが、重度の脳障害等の後遺症が生じた。
そこで、X及びXの母は、Yに対し、診療契約上の債務不履行責任または不法行為責任に基づいて損害賠償を請求した。第一審は、入院日時点における主治医Bの過失を否定したが、3月30日に至っても髄液検査等をしなかったことには過失があるとして、請求の一部を認容した。これに対し、Yが控訴。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:合計1億6139万円5750円
(内訳 患者につき1億5039万5750円、患者の母につき1100万円)
(判決による請求認容額)
第一審の認容額:合計1億2515万9358円
(内訳 患者につき逸失利益、介護費用、慰謝料等1億2185万9358円、患者の母につき慰謝料等330万円)
控訴審の認容額:合計3137万5067円
(内訳 患者の逸失利益4938万2088円の1/4である1234万5522円+将来の介護費用の現価2851万8180円の1/4である712万9545円+慰謝料800万円+弁護士費用280万円(小計3027万5067円)、母につき慰謝料100万円+弁護士費用10万円(小計110万円))
(裁判所の判断)
結核性髄膜炎の疑いを持って検査を行い治療を開始すべきであったのに、これを怠った過失が医師にあるか
裁判所は、3月29日までは、Xには未だ非特異的な症状しか見られず、結核患者との接触歴も明らかにされておらず、結核性髄膜炎の発症が乳児に集中する稀な疾患であることを合わせて考えると、この段階で医師が結核性髄膜炎を疑うことは困難であり、また、シアザが顕著となった点についても、その原因疾患の一つとして結核性髄膜炎を挙げることはできるが、脳圧亢進症状等の顕著な所見が見られないことからすれば、やはり結核性髄膜炎を疑うことは未だ困難であったとしました。
しかし、30日午前0時ころ、Xが突然痙攣を起こし、眼球が右方偏位して、痛み刺激に反応がないといった状態に陥り、さらに不規則な痙攣を起こし、目の焦点が定まらない、或いは眼球が左方偏位するなどの状態が見られ、意識レベルもII群の状態が継続した段階においては、発症から13日間続く発熱やシアザの罹患もあることに合わせて、明らかな神経学的所見まで見られるに至ったものであり、主治医B自身もXの脳内に重大な事態が起こっていることを確信していることから、同日午前中には、結核性髄膜炎を含めた脳神経系疾患の可能性を考慮し、髄液検査を行うべきであったと判示しました。
また、Xの意識状態は、31日の午前中から午後にかけて急速に低下し、III群に進行して固定化したものであり、同日午後以降にCTやMRIによる画像診断を行っていたならば、水頭症を発見できた可能性は高く、これと並行して前日のうちに採取した髄液の結核菌検査を行うなどしていれば、結核性髄膜炎を疑うことは十分可能であり、このようにしていれば、遅くとも4月1日夕方には治療を開始することができたと認定しました。
このように、主治医Bは、30日午前中には髄液検査を行い、31日には画像診断等を経て、4月1日夕方には結核性髄膜炎に対する治療を開始すべきであり、これらをいずれも怠った点において過失があると判断しました。
医師の過失と後遺障害との因果経過の有無及び損害額の算定方法
裁判所は、Xに何らかの後遺障害が残ることは避けられなかったとしても、主治医Bらが適時適切にXの結核性髄膜炎に対処していたならば、後遺障害の程度はもっと軽減されていた可能性は相当程度あると判示しました。
そのうえで、後遺障害の軽減の程度及び可能性の程度を、的確に判断することは至難であり医学的根拠も乏しいと言わざるを得ないが、これを理由に因果関係まで否定することは正当でなく、この際は、割合的な判断をするほかないと判示しました。そして、主治医Bらによって適時適切な処置がなされていたがならば、Xの後遺障害の程度は二分の一程度にとどまっていた可能性があり、かつその可能性は50%を下らなかったものということができるとして、Xに現に生じた後遺障害の4分の1の限度で主治医Bらの過失との相当因果関係を認め、上記の損害賠償を命じました。