最高裁第三小法廷平成21年12月7日決定 裁判所時報1497号8頁
(争点)
- 医師の気管内チューブの抜管行為は法律上許容される治療中止に当たるか
(事案)
A(当時58歳)は、平成10年11月2日、仕事帰りの自動車内で気管支喘息の重積発作を起こし、同日午後7時ころ、心肺停止状態でB病院に運び込まれた。Aは、救命措置により心肺は蘇生したが、意識は戻らず、人工呼吸器が装着されたまま、集中治療室(以下、ICU)で治療を受けることとなった。Aは、心肺停止時の低酸素血症により、大脳機能のみならず脳幹機能にも重い後遺症が残り、昏睡状態が続いていた。
同病院の呼吸器内科部長であるY医師は、11月4日からAの治療の指揮を執った。Aの血圧、心拍等は安定していたが、気道は炎症を起こし、喀痰からは黄色ブドウ球菌、腸球菌が検出された。Y医師は、同日、Aの妻や子らと会い、同人らから病院搬送に至る経緯について説明を受け、その際、同人らに対し、Aの意識の回復は難しく植物状態となる可能性が高いことなど、その病状を説明した。
その後、Aに自発呼吸が認められたため、11月6日、人工呼吸器が取り外されたが、気管内チューブは残された。同月8日、被害者の四肢に拘縮傾向が見られるようになり、Y医師は、脳の回復は期待できないと判断するとともに、Aの妻や子らに病状を説明し、呼吸状態が悪化した場合にも再び人工呼吸器を付けることはしない旨同人らの了解を得るとともに、気管内チューブについては、これを抜管すると窒息の危険性があることからすぐには抜けないことなどを告げた。Y医師は、同月11日、Aの気管内チューブが交換時期であったこともあり、抜管してそのままの状態にできないか考え、Aの妻が同席するなか、これを抜管してみたが、すぐにAの呼吸が低下したので、「管が抜けるような状態ではありませんでした。」などと言って、新しいチューブを再挿管した。
Y医師は、同月12日、AをICUから一般病棟の個室に移し、看護師に酸素供給量と輸血量を減らすよう指示し、急変時に心肺蘇生措置を行わない方針を伝えた。Y医師は、同月13日には、Aの妻らに対しても、一般病棟に移ったこと、一般病棟に移ると急変する危険性が増すことを説明した上で、急変時に心肺蘇生措置を行わないことなどを確認した。
ところで、Aは、細菌感染症に敗血症を合併した状態であったが、Aが気管支喘息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていなかった。また、A自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかではなかった。
同月16日の午後、Y医師は、Aの妻と面談したところ、同人から「みんなで考えたことなので抜管してほしい。今日の夜に集まるので今日お願いします。」などと言われて、抜管を決意した。同日午後6時ころ、Y医師は准看護師と共に病室に入り、家族が集まっていることを確認した上で、Aの回復を諦めた同人らの要請に基づき、Aが死亡することを認識しながら、気道確保のために鼻から挿入されていたチューブを抜き取るとともに、呼吸確保の措置も採らなかった。
ところが、予期に反して、Aが身体をのけぞらせるなどして苦悶様呼吸を始めたため、Y医師は、鎮静剤のセルシンやドルミカムを静脈注射するなどしたが、これを鎮めることができなかった。そこでY医師は、同僚医師に助言を求め、その示唆に基づき、同日午後7時ころ、Aに対し、准看護師に指示して筋弛緩剤であるミオブロック3アンプルを静脈注射の方法により投与した。Aの呼吸は、午後7時3分ころに停止し、午後7時11分ころに心臓が停止した。
その後しばらく、本件は問題とならなかったが、平成13年にB病院が調査を開始し、Y医師は平成14年2月末に退職した。そして、同年4月にB病院が記者会見をして本件を公表し、警察に届け、同年12月に県警がY医師を逮捕し、殺人罪で起訴した。
Y医師はAの家族の要請を受けての治療中止であり、違法性がないとして無罪を主張したが、一審、控訴審ともに有罪の判決でY医師が上告した。なお、一審は懲役3年、執行猶予5年という判決であったが、控訴審は、Y医師が家族の真意を確認せずに独断で本件抜管を推し進めたわけではないといった事実認定を前提に、一審の量刑判断を維持せず、一審判決を破棄し、自ら懲役1年6月、執行猶予3年という量刑判断を示した。
(裁判所の判断)
判決
一審(横浜地方裁判所)の判決:懲役3年/執行猶予5年
控訴審(東京高等裁判所)の判決:一審判決を破棄。懲役1年6月/執行猶予3年
最高裁判所の決定:上告棄却(控訴審判決が確定、懲役1年6月/執行猶予3年)
医師の気管内チューブの抜管行為は法律上許容される治療中止に当たるか
この点について最高裁は、事実経過によれば、Aが気管支喘息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管までに、同人の余命を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認定しました。
そして、Aは、本件時、昏睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、Aの回復を諦めた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況から認められるとおりAの病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく、上記抜管行為がAの推定的同意に基づくということもできない。以上によれば、上記抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらないというべきである、と判示しました。
以上より、最高裁は、Y医師の気管内チューブの抜管行為は違法性を阻却されず、ミオブロックの投与行為と併せて殺人行為を構成するとした控訴審裁判所の判断を維持し、Y医師の上告を棄却しました。これによって、Y医師の殺人罪が確定しました。