大阪高裁平成8年10月11日判決 判例タイムズ941号253頁
(争点)
- 医師がステロイド治療歴の有無を問診しなかったことは過失といえるか
- 医師がステロイド治療をしなかったことは過失といえるか
(事案)
A(当時24歳の女性)は、気管支喘息発作を発症したため、X1(Aの母親)と共に、Y市が運営するY市民病院(以下、Y病院)で昭和61年5月28日午後11時15分ころから夜間の救急診療を受け、当直医師は、Aにボスミンの皮下注射をした。
Aは翌29日の午前に、X1に伴われて再びY病院を訪れて診療の申込みをし、同日午前10時30分ころから、Y病院内科でB医師の診察を受けた。
このとき、Aは独りで歩いて診察室に入室し、肩呼吸をしてやや苦しそうだった。B医師は、Aに対する問診を実施したが、Aが他の病院でステロイドを常用している者であることに気付かなかった。
B医師は、看護師に対し、診察室の向かい側の処置室においてAにアロテック吸入液(交感神経刺激剤)及びネブライザーD液の吸入処置を実施するよう指示したが、自らは処置室に同行しなかった。
Aは、看護師の準備と指示に従い吸入装置を用いて本件吸入液の吸入を開始し、続けたところ、処置室において呼吸が一層困難になった。
看護師から右状況の報告を受けたB医師は、処置室に赴き、呼吸困難に陥って苦しんでいるAに対する処置として、本件吸入液の吸入処置を中止した上、自ら点滴の装置を装着し、気管支拡張剤ネオフィリン及び副腎皮質ホルモン剤ソルコーテフを投与し、さらに他の医師の応援を求めて、経鼻挿管、アンビューバックによる換気処置を行うなどし、Aの蘇生に努めた。しかし、Aは、同日正午ころ気管支喘息発作の重篤化により窒息死するに至った。
その後、Aの両親であるX1及びX2(Aの父親)(以下、Xら)は、B医師が勤務するY病院を運営するY市に対し、損害賠償を求めて訴えを提起した。
第1審の神戸地方裁判所は、B医師には、Aを診察した際、同女に対し、必要かつ十分な問診を行わなかった問診義務違反があり、しかも、B医師が右問診義務を尽くせばB医師において本件結果の発生を予見し得たと認められるから、B医師には、この点に過失があり、しかも、右過失に連鎖して、Aに対し緊急の治療方法として最善の治療方法を選択せず、次善の治療方法を選択したという治療方法選択上の過失をも惹起した」と判断し、Xらの請求を一部認容した。
そこでY市が控訴した。
(損害賠償請求額)
遺族(両親)の請求額 :両親合計で7810万5500円
(内訳:患者の死亡による逸失利益4430万5501円+葬儀費用80万円+遺族の慰謝料2600万円+弁護士費用700万円。端数不一致)
(判決による請求認容額)
一審(地方)裁判所の認容額:両親合計で4171万2580円
(内訳:患者の死亡による逸失利益3791万2580円+弁護士費用380万円)
控訴審(高等)裁判所の認容額:0円
(裁判所の判断)
争点1 医師がステロイド治療歴の有無を問診しなかったことは過失といえるか
この点について、控訴審裁判所は、まず、Aは、他院において昭和60年8月以降ステロイドの投与を受け、Y病院で診察を受けた時点ではステロイド依存症に近い段階に至っていたのであるから、この事実を前提とすれば、B医師が診察した時点でAに対し直ちにステロイドを投与するのが相当であったものといわなければならない、としました。
しかし、E医師に過失があると認めるためには、ステロイド問診をしておればAの症状が急激に悪化して重大な事態となる危険を予見することが可能であったと認められ、かつ、この危険を回避することが可能であったと認められることを要する、としました。
そして、本件でB医師が診察した時点でのAの症状からすれば、直ちにステロイドを投与しなければ症状が急激に悪化して重大な事態となる危険があるとまで予見することは極めて困難な状況であったというべきであるから、ステロイド問診をしておれば右のような危険を予見することが可能であったと認めることは困難であったといわざるをえない、と判示しました。
さらに、Aは、他院の医師からステロイドを常用につき明確な説明を受けていなかったのであるから、仮にB医師がステロイド問診をしていたとしても、直ちにステロイドを投与すべきであると判断するのに必要な回答が得られたかどうかは疑わしく、また、仮にそのような回答が得られて直ちにステロイドとネオフィリンとの混合液を点滴していたとしても、ステロイドには即効性がなく、その効果が現れるまでには約2時間を要したものと認められるから、このような処置によって症状の急激な悪化を回避することは不可能であったというよりほかはない、と判示しました。
そして、以上から、結果の予見可能性及び回避可能性のいずれの点においても、B医師がステロイド問診をしなかったことがその職業上の注意義務に違反し過失に当たるものということはできない、と判示しました。
争点2 医師がステロイド治療をしなかったことは過失といえるか
この点について裁判所は、まず鑑定結果を踏まえて、昭和61年当時、喘息患者の医療現場においては、ステロイドは、副作用が強調されていたため、現在のように常用されておらず、必要最小限度に用いるというのが臨床医の基本的考え方であって、殊に患者が若い女性である場合、催奇性の心配があるため投与に特に慎重であった。そのため、小発作や中発作の場合は、アロテック吸入、ボスミン皮下注射、ネオフィリン点滴などの方法を用い、それでも発作が軽減しないときに初めてステロイドを投与するというのが一般的な治療方針であった。しかし、発作の程度が強く、大発作と診断される場合や中程度以上の発作が24時間以上持続している状態である重積発作状態のときには直ちにステロイドが投与されることがあり、また、患者がステロイドの常用者であるときも、それだけでは重症とは判断できないものの、常用量は持続投与すべきであるとされていた、と判示しました。
そして、Aの発作の程度は客観的にも中発作であったと認められ、かつ、そのような発作状態が24時間以上継続していたと認めることはできないから、重積発作状態であったということはできない、と認定しました。
したがって、E医師が、直ちにステロイドを投与することなく、本件吸入液等を投与したことに過失は認められない、と判示しました。
以上より、控訴審裁判所は、Xらの請求を一部認容した第一審判決を取消し、Xらの請求を棄却しました。