東京高等裁判所平成17年1月27日 判例時報1953号132頁
(争点)
- 医師がペリツェウス・メルツバッヘル病(PM病)に罹患した子が生まれる可能性を説明しなかったことについて、説明義務違反が認められるか
- 子がPM病を発症したことによる介護費用等の積極損害が損害として認められるか
(事案)
X1及びX2(以下あわせてXらという)の長男Aは、心身障害児等の福祉の増進を図ることを目的としてY療育センター(以下Yセンターという)を開設している社会福祉法人Yで、診察を受け、Yセンター小児科のO医師は、平成5年7月13日、Xらに対し、Aにペリツェウス・メルツバッヘル病(PM病)の可能性または良性の眼振の可能性があることを説明した。その後もAは、ほぼ2カ月に一度、医療センターを受診し、O医師やYセンター耳鼻科のH医師の診察を受けていた。
平成6年11月8日、Xらは、O医師及びH医師に対し、Aの各診療時にそれぞれ「次の子供を作りたいが大丈夫でしょうか。」との質問(本件質問)をしたところ、O医師は、Xらの家族にAと同様の症状をもつ者がいないことを確認した上で、「私の経験上、この症状のお子さんの兄弟で同一の症状のあるケースはありません。かなり高い確率で大丈夫です、もちろん、Aがそのようであるように、交通事故のような確率でそうなる可能性は否定はしませんが。Aの子供には出ることはあるが、兄弟に出ることはまずありません。」と説明した。また、H医師も、O医師がそう言うのであればそのとおりでしょうと述べた。
X2は、平成8年1月30日、Xらの次男Bを出産したが、Bは健常児として生まれた。
長男Aはその後も、O医師とH医師の診察を受けていた。Xらは、平成11年7月27日のAの受診時に、X2が妊娠したことをO医師に伝えた。
X2は、同年10月20日、Xらの三男Cを出産したが、Cは、その後1カ月もしないうちに眼振が生じた。O医師は、同年11月22日、Cを診察して、Xらに対し、Cの症状は、Aと同じ症状であること、遺伝が原因であることを説明し、同月30日、Cに対し、ABR検査を実施したところ、Cには異常が確認され、CはPM病との診断を受けた。
そこで、Xらがした本件質問に対して、担当医師らが、PM病が典型的には伴性劣性遺伝の形式をとり、その場合、男子に二人に一人の確率でPM病の子供が生まれ、女子に二人に一人の確率でPM病の保因者が生まれる危険性があるにもかかわらず、これをXらに説明せず、その後Aが医療センターを受診し続けた時にも説明しなかった結果、PM病に罹患した三男Cが生まれたとして、説明義務違反による使用者責任に基づき、社会福祉法人Yに対して、損害賠償請求をした。
第一審の東京地方裁判所は、O医師の説明義務違反を認めたが、損害賠償の項目としては、介護費用等の損害は認めず、慰謝料と弁護士費用だけの支払いを命じた。そこで、この判決を不服として、Xらと社会福祉法人双方が控訴した。Y本件質問に対する説明は極めて切実かつ重大な関心事であったこと、Aの診療行為と密接に関わる事項であり、O医師は説明者として相応しい者であったこと等からO医師は信義則上、説明義務を負っていたとし、損害賠償請求を認めた。しかし、介護費用等の損害を認めることは、Cの生が負の存在であることを認めることことにつながること等から、介護費用の損害を認めなかった。そこで、この判決を不服としてXらとYが控訴を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の両親の請求額:合計1億6197万4062円 (内訳:慰謝料3000万円+介護費用1364万8000円+将来の介護費用8534万3862円+家屋改造費608万8096円+建物設計費用135万円+介護ベッドの購入及び設置134万3250円+車いす代309万6264円+おむつ代473万6700円+車いす仕様車と普通乗用自動車との購入価格差額分129万0620円+弁護士費用1500万円の合計額・端数不一致)
(判決による請求認容額)
第一審裁判所の認容額:両親合計1760万円 (内訳:慰謝料1600万円+弁護士費用160万円) 控訴審裁判所の認容額:両親合計4830万円 (内訳:4390万円(介護費用3638万9624円+建物設備等費用471万8157円+介護ベッド費用88万1808円+車いす代214万0414円+おむつ代171万6046円+車いす仕様車による増額分70万0560円+慰謝料1200万円の合計5854万6609円から25パーセントの過失相殺(1万円未満切り捨て))+弁護士費用440万円)
(裁判所の判断)
医師がペリツェウス・メルツバッヘル病(PM病)に罹患した子が生まれる可能性を説明しなかったことについて、説明義務違反が認められるか
(1)説明義務の有無について
まず、裁判所は、本件質問は、Aの一般診療の際に行われたものであり、Yは本件質問に対し説明を行ったことに関して医療報酬を取得していたなどの事情は認められないから、Yが本件質問に対して説明を行う診療契約上の義務を負っていたということはできないとしました。
次に、不法行為の成否の検討において、Xらは、既にPM病の疑いがある重篤な障害を負ったAを抱え、Aの介護及び養育において重い肉体的、精神的及び経済的負担を負っていたことから、第二子以降の子供がAと同様にPM病に罹患して出生するか、健常児として出生するかは、Xらの切実かつ重大な問題であったことは明らかであり、このことはO医師も十分認識していたことを認定しました。また、O医師がPM病について高度の専門知識を有していたことから、Xらが、子供をもうけるかどうかを判断するについて、O医師の説明を信頼性の高い貴重な情報として受け取るであろうことはO医師も認識していたと認定しました。
このような事情の下で本件質問がされたのであるから、事柄の性質上、O医師は、本件質問に対して説明する以上は、当時の医学的知見に基づく正確な情報をXらに提供すべき義務があると判示しました。仮に、その説明や正確な理解に相当の時間を要するのであれば、更に別の機会を設けるか、正式の診療契約に基づく遺伝相談による方法を教示すべきであり(Xらが正式の診療契約に基づく遺伝相談であれば、説明を受ける意思がなかったとは到底考えられない。)、遺伝相談の場での質問でなかったからといって、上記義務が軽減されるものではないとしました。
(2)説明義務違反の有無について
Xらが、既に長男にPM病が発症しており、次子をもうけることについて不安を抱いてO医師に本件質問をしたという上記の事情の下で、O医師がした上記説明は、PM病に罹患した子が生まれる可能性が著しく低いという誤解を与える不正確なものであり、平成6年11月8日当時の医学的知見に基づく正確な説明をすべき義務に反するものというべきであるから、O医師にはこの点において過失があるとして、O医師に説明義務違反を認めました。
子がPM病を発症したことによる介護費用等の積極損害が損害として認められるか
裁判所は、XらはCの扶養義務者であり、Cが生存し、かつCに対し扶養義務を負う期間、CがPM病であるために要する介護費用等の特別な費用を共同して負担することとなるから、そのうち相当のものは、O医師の義務違反行為と相当因果関係のある損害と認めるべきであるとしました。この特別な費用を損害として認めることは、CがPM病の患者として社会的に相当な生活を送るために、Xらが両親として物心両面の負担を引き受けて介護、養育している負担を損害として評価するものであり、Cの出生、生存自体をXらの損害として認めるものでないと判示しました。そして、上記のような費用を不法行為の損害と評価し、O医師の説明義務違反との間に法的因果関係を認めることがCの生を負の存在と認めることにつながり、社会的相当性を欠くということはできないとして、第一審裁判所では認められなかった介護費用及び家屋改造費等を損害として認めました。
しかし、XらのO医師の説明の受け取り方には安易な点があったことは否定できず、事の重大さからすれば、Xらにはより慎重な検討が期待されたところであり、Xらが、更に情報収集に努め、時を改めてO医師に相談するなどしていれば、O医師の説明を聞いてのXらの安心が誤解であったことを知り得たと指摘し、Xらの損害から25パーセントを過失相殺により減ずるべきであると判示しました。
以上より、裁判所は上記控訴裁判所の認容額記載の損害賠償を命じました。