福島地方裁判所平成20年8月20日 医療判例解説16巻20頁
(争点)
- 医師の胎盤剥離行為と患者の死亡との間に因果関係が認められるか
- 医師が胎盤剥離を継続すれば、胎盤剥離面から大量出血し、患者の生命に危険が及ぶおそれがあることを予見できたか
- 医師の患者の死亡を回避するための措置として剥離行為を中止して子宮摘出手術に移行すべき義務の有無
(事案)
患者A(本件手術当時29歳の女性)は、第2子を妊娠し、平成16年5月6日、F県立病院において診察を受け、同病院の産婦人科医のY医師がAの主治医となった。Aは、第1子を帝王切開で出産しており、診察の際、前開帝王切開創が認められた。また、複数の超音波検査において、Aの胎盤が子宮の低い位置にあり、胎盤が後壁にあることが確認された。同年10月22日、Y医師は、Aが全前置胎盤(胎盤が内子宮口をすべて覆う形で付着している状態)であると診断した。
同年12月17日、Y医師は、Aに帝王切開手術を行い、午後2時37分、体重3000グラムの女児を正常に娩出させた。このころ、Aの出血量が通常の場合と比べて特に多いということはなく、その意識は明瞭で、会話も可能であった。
その後、Y医師は、子宮収縮剤を直接子宮体部に筋肉注射してから、胎盤を剥離するために臍帯を牽引した。しかし、子宮の内壁が、胎盤とともに、臍帯が付いている部分を頂点にした三角形のような形に反り返って胎盤に付着したまま持ち上がる状態となってしまい、胎盤を剥離することができなかった。そこで、Y医師は、左手で胎盤を牽引しながら、右手手指を胎盤と子宮壁の間に差し入れ、指先で胎盤を押すようにして、子宮後壁上部から下部の方向へ用手剥離を試みた。しかし、徐々に指で剥離することが困難となったため、Y医師は途中からクーパーのはさみの部分で切開を入れるなどして、かろうじて胎盤を剥離したが、最後には、突然、残りの胎盤が、するっと取れて胎盤剥離が終了した。結局、胎盤剥離全体としては約10分の時間を要した。
胎盤剥離中に出血が増加し、Aの血圧が低下し、午後2時40分ころの総出血量は2000mlであった。Y医師は、午後2時50分、胎盤を娩出させた。その後も、子宮内の所々からにじみ出るような出血が続いた。Y医師が出血を止めようと措置するものの、なおも出血は止まらなかった。Y医師は、午後3時5分ころ、Aの循環動態が落ち着くのを待って子宮摘出を行うこととした。その後、Aの総出血量は、午後3時35分から40分までの間に、少なくとも8475mlに達した。
午後4時35分ころ、子宮摘出に移行し、午後5時30分ころ、無事に子宮摘出を完了した。その後も、出血は続き、午後6時5分、Aは心室頻拍となり、以降、循環動態の計測は不能となって、午後7時1分、死亡した。帝王切開と子宮摘出を含む手術全体を通じての総出血量は2万0445mlであった。
検察官は、Y医師は胎盤の剥離を継続すれば、子宮の胎盤剥離面から大量に出血し、Aの生命に危険が及ぶおそれがあったから、直ちに胎盤の剥離を中止して、子宮摘出手術等に移行し、胎盤を子宮から剥離することに伴う大量出血によるAの生命の危険を未然に回避すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、クーパーを用いて漫然と胎盤の癒着部分を剥離した過失により、胎盤剥離面から大量出血させ、Aを死亡させたとして、Y医師を業務上過失致死罪で起訴した。
また、Aの死体に異状があると認めたにもかかわらず、24時間以内に警察署に届出をしなかったことについて医師法21条違反の罪でも起訴し、業務上過失致死罪と併せて、禁錮1年及び罰金10万円を求刑した。
(裁判所の判断)
医師の胎盤剥離行為と患者の死亡との間に因果関係が認められるか
裁判所は、Aの死因が出血性ショックであり、総出血量のうち大半が胎盤剥離面からの出血であると認められることから、Y医師の胎盤剥離行為とAの死亡との間には因果関係を認められると判示しました。
医師が胎盤剥離を継続すれば、胎盤剥離面から大量出血し、患者の生命に危険が及ぶおそれを予見できたか
裁判所は、Y医師は、用手剥離中に胎盤と子宮の間に指が入らず用手剥離が困難な状態に直面した時点で、患者Aの胎盤が子宮に癒着している認識をもったものと認定し、癒着胎盤を認識した時点で、胎盤剥離を継続すれば、剥離面から大量出血し、ひいては、Aの生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見することは可能であったと判断しました。
医師に患者の死亡を回避するための措置として剥離行為を中止して子宮摘出手術に移行すべき義務があるか
1大量出血の回避可能性について
裁判所は、胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合である本件の出血量が著しく大量となっていることと比較すれば、相当に少ないと言うことは可能であるから、胎盤剥離を中止して子宮摘出手術に移行すれば、Aの死亡を回避することができたと認定しました。
2胎盤剥離中止義務について
(1)医学的準則について
裁判所は、まず本件のような用手剥離開始後に癒着胎盤であることが判明した場合に剥離を中止して子宮摘出を行うべきか否かについて、臨床における医療措置と医学文献に記載されている医療措置とで見解が分かれていることを指摘した上、検察官の主張は、医学文献の一部の見解に依拠したものと評価できるとしました。
その上で、臨床に携わっている医師に医療措置上の行為を負わせ、その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じていると言える程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならないとしました。その理由は、このように解さなければ、臨床現場で行われている医療現場と一部の医学文献に記載されている内容に齟齬があるような場合に、臨床に携わる医師において、容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになるし、刑罰が科せられる基準が不明確となって、明確性の原則が損なわれることになるからであるとしました。
そして、本件では、検察官の主張する医学的準則は、医師らに広く認識され、その医学的準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証がされておらず、その医学的準則は上記の程度に一般性や通有性を具備したものであると認められないとしました。むしろ、検察官の主張に反して、用手剥離を開始した後は、出血していても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出するという、臨床における癒着胎盤に関する標準的な医療措置がそのまま医療的準則として機能していたことを指摘しました。
(2)Y医師の医療行為の危険性
検察官は、Y医師の胎盤剥離を継続することの危険性が大きいことなどを根拠に、Y医師の胎盤剥離を中止する義務があったと主張しましたが、裁判所は、医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官において、当該医療行為が危険であるというだけでなく、当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにした上でより適切な方法が他にあることを立証しなければならないところ、本件では、子宮が収縮しない蓋然性の高さ、容易になし得る他の止血方法の有無やその有効性などが具体的に立証されていないとしました。
(3)結論
よって、本件において、検察官が主張するような、癒着胎盤であると認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行することが本件当時の医学的準則であったと認めることができないし、本件において、Y医師に、具体的な危険性の高さ等を根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできないとしました。したがって、事実経過において認定したY医師による胎盤剥離の継続が注意義務に反することにはならないから、Y医師に業務上過失致死罪は成立しないと判示しました。
また、本件患者Aの死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき医療行為をもってしても避けられなかった結果と言わざるを得ないから、本件が、医師法21条にいう異状がある場合に該当するということはできないとして、医師法21条違反の罪は成立しないとしました。
以上より、裁判所はY医師を無罪としました。