東京高等裁判所平成15年9月29日 判例時報1843号69頁
(争点)
- 患者が転倒したことについて、付き添いを怠った看護師に過失が認められるか
- 看護師の過失と患者の転倒との間に因果関係が認められるか
- 損害を減額すべき患者の過失の程度
(事案)
患者A(死亡当時72歳の女性)は、平成13年4月ころから左手に軽いしびれを覚え、同年5月5日ころからは左上下肢に脱力感が出現して、左足を引きずるようになった。同年5月7日、Aは夫に付き添われて受診した、医療法人Yが経営する脳神経外科を専門とするY病院で多発性脳梗塞との診断をされ、同日Y病院に入院した。Aの麻痺の程度は、どうにか独歩は可能で足は上がるが正常な筋肉はないという状態であった。
C看護部長は、Aに転倒等の危険性があると判断したので、Aに対し、転倒等による外傷の危険性があることを話し、トイレに行くときは必ずナースコールで看護師を呼ぶように注意した。また、脳梗塞の治療として、複数の点滴が同時に実施されたので、そのためにトイレに行く回数が増えることは、Aの担当となったD看護師も予想していた。
同日の夜勤で、D看護師は、午後6時ころからAがトイレに行くのに数回付き添った。同月8日午前3時及び午前5時10分ころに、D看護師は、Aが点滴棒を押しながら自力で歩行し、トイレに行っているのを現認し、その両方の場合ともAに対しトイレに行くときは看護師を呼ぶように指導し、病室まで付き添った。
同日午前6時ごろ、D看護師が定時の訪問のためにAの病室に赴いたところ、Aはベッドの上で座位になっており、トイレに行きたいというので、D看護師は起座の介助をしたが、Aが点滴棒を押しながらトイレに行くのに同行しただけで、直接介助はせず、トイレの前でAから「一人で帰れる。大丈夫」といわれたので、トイレの前で別れ、病室まで付き添わず、他の患者の介護に向かった。
同日午前6時30分ころ、D看護師は、Aが意識を失ったままベッドの脇で転倒しているのを発見した。
その後もAは意識が戻ることなく、同月12日午後11時15分ころ、急性硬膜下血腫により死亡した。
患者Aの夫X1とAとの間の子であるX2、X3が、転倒は担当看護師が介添えを怠った過失によるものであるとして、不法行為又は債務不履行に基づき、医療法人Yに対して、損害賠償を求めた。
第一審の水戸地方裁判所は、医療法人Yの過失を認めたが、転倒との因果関係を否定し、Xらの請求を認めなかった。これに対して、Xらが控訴を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の遺族の請求額:夫子合計5671万0033円
内訳:不明
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:夫子合計619万3560円
内訳:(患者固有の損害2701万7800円(入院雑費6500円+逸失利益701万1300円+慰謝料2000万円)の2割540万3560円+患者の遺族の損害(葬儀費用120万円)の2割24万円+弁護士費用55万円
(裁判所の判断)
患者が転倒したことについて、付き添いを怠った看護師に過失が認められるか
まず、裁判所は、患者Aは、72歳の高齢であり、Y病院の医師によって多発性脳梗塞と診断され、軽度ではあるが左上下肢の片麻痺が症状として観察されたこと、このため、医師及び看護師らは、Aが転倒等によって外傷を負う危険性があることを認識しており、入院に際してAに対しても、トイレに行く際は必ずナースコールを押すように指導していたこと、Aは入院したばかりであり、実際にAの麻痺がどの程度であるのか、歩行能力があるのか、その際に安定性があるかなどについては、これを的確に判断し得る情報はなかったという事実を認定しました。
その上で、D看護師には、Aがトイレに行き来する際は、必ずAに付き添い、転倒事故の発生を防止すべき義務があったと指摘しました。そして、D看護師が、午前6時ころ、トイレまでAに同行しながら、その前でAと別れ、Aがトイレで用を済ませて病室まで戻るのに同行しなかったのは、上記義務に違反したものであると判示し、D看護師の過失を認めました。
看護師の過失と患者の転倒との間に因果関係が認められるか
裁判所は、本件転倒事故が、遺族側の主張するようにAがD看護師と別れて一人で帰室したときに発生したと認めるにはなお合理的な疑いが残ると判示しました。しかし、その上で、患者Aが転倒したのが、帰室後にナースコールをしないまま、また自力でトイレに向かおうとしてベッドから離れた時、あるいはトイレから戻ってベッドに乗ろうとした時であるとしても、その際にAがナースコールをしなかったのは、午前6時ころトイレに行った際に、それまでは、看護師から、現認される都度、一人で歩行すると転倒する危険性があるので、必ずナースコールをするよう繰り返し指導されていたのに、上記のとおりD看護師から一人で用を済ませて帰室することを容認されたことが原因になったものと考えられると指摘しました。
したがって、Aが転倒したのが、午前6時ころいったん帰室した後のことであることを前提としても、D看護師が、午前6時ころAが一人でトイレを済ませ、帰室することを容認し、病室まで付き添わなかった過失と、Aの転倒との間には、因果関係を認めることができると判断しました。
したがって、医療法人Yは、D看護師の使用者として、不法行為責任を負うと判示しました。
損害を減額すべき患者の過失の程度
裁判所は、患者Aが医師及び看護師から転倒等の危険性があるのでトイレに行く時は必ずナースコールで看護師を呼ぶよう再三指導されていたにもかかわらず、その指導に従わず、何回か一人でトイレに行き来した上、午前6時ころには、同行したD看護師に対して付き添いを断り、その後もナースコールをしなかったものであり、その結果、本件の転倒事故が発生したものであることを指摘しました。その上で、転倒の危険についての説明を受けていたAとしては、自らも看護師の介助、付き添いによってのみ歩行するように心がけることを期待されていたこと、D看護師が最後にAに一人で病室に戻ることを容認したのは、時期尚早であったというほかないが、看護師としてAの状態を比較的よく観察しており、また、Aの意思を尊重したという側面があったことは否定できないとし、以上の本件に現れた一切の事情を勘案して過失相殺をし、医療法人Yは損害額の2割の限度で損害賠償責任を負うものとするのが相当であるとし、上記裁判所の認容額記載の損害賠償を命ずる判決を言い渡しました。