熊本地裁平成8年11月25日判決 判例タイムズ944号233頁
(争点)
- 事故の態様とベッドの管理に関する病院側の注意義務違反の有無
- 胸椎骨折診断の遅れとA医師の注意義務違反の有無
- 医師の過失と患者の現在の症状等との因果関係の有無
(事案)
患者X(昭和8年生まれの女性、以下、X)は、 Y医療法人が開設運営するY病院に入院していたが、平成2年2月18日の朝食時、病室内で転倒し(以下、本件事故)、その結果、胸椎骨折の傷害を負った。
A医師(Y病院の内科医でXの担当医)は、本件事故の翌日である同月19日、Xを診察した。その際にXは痛みを訴えていたが、歩行できるなど以前と余り変わりがなかったため、A医師はレントゲン撮影をし、湿布剤や鎮痛剤などを処方して消炎鎮痛の処置をとるとともに、トイレ等以外は安静にしているようにとの指示を出した。そして、患者がベッドから落下するときには大腿部頸部を骨折するケースが多かったので、A医師はレントゲン写真ではその点を注意深く診たが、Xには軽度の背骨の変形があったこともあって胸椎骨折には全く気づかなかったし、Xの足や腕の骨に異常がなかったので、その段階で整形外科医に診せることもしなかった。なお、この時点で整形外科医がXのレントゲン写真を診れば、胸椎骨折は直ちに発見できるものであった。
B医師(Y病院の整形外科医)は、同年3月1日、症状が改善しないというA医師からの紹介によりXを診察したところ、胸椎骨折を発見したが、Aの脊髄に損傷はなく、レントゲン上、胸椎骨折による変形も進んでいなかった。
その後の同月12日、Xは同月5日に採寸したコルセットを着用した。また、同年5月23日、レントゲン上、骨は大丈夫と診断され、翌24日からXに対する物理療法等によるリハビリテーションが開始された。そして、Aの胸椎骨折は同年12月の段階では当初の骨折による変形も進行することなく骨癒合がされて完全に治癒しており、A医師の胸椎骨折の見落としにより右治療期間が長期化したことはなかった。
Xは、無断外泊によって平成4年1月4日にY病院から退院になった後、最初はC整形外科医院を受診し、その際「陳臼性胸椎圧迫骨折後の背痛(骨粗鬆症を伴う)」と診断され、その後D病院へ通院しているが、そこでは「骨粗鬆症、胸椎圧迫骨折」と診断された。
Xは、骨粗鬆症と胸腰椎多発圧迫骨折による歩行困難の体幹機能障害で3級の身体障害者手帳の交付を受けた。
Xは、骨粗鬆症になったのはA医師及びB医師の医療行為に過失があったことによると主張して、A医師及びB医師の使用者であるY医療法人に対し、損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額 :計3428万7790円
(内訳:治療費189万3876円+入院雑費89万1800円+逸失利益1548万5043円+慰謝料1290万円+弁護士費用311万7071円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:0円
(裁判所の判断)
本件事故の態様とベッドの管理に関する病院側の注意義務違反の有無
本件事故の態様について、患者Xは、ベッドのストッパーがかかっていなかったため、食事をするためにベッドに座って箸を握った瞬間、ベッドが後ろに動き、後ろに倒れて臀部から下に落ちたと主張しました。
これに対して病院側は、本件事故当時ベッドのストッパーはかかっていたのであり、本件事故の態様は、Xが朝食を摂ろうとベッド脇の黒い丸椅子に腰掛けていた際に誤って転倒したものであると主張しました。
この点について裁判所は、Xの供述内容には主に以下の点で問題点があるとしました。すなわち、
(1)Xは小柄な女性(身長147.5cm、体重38.5g)であるから、床に足をつけない状態で箸を取ろうと手を伸ばしても、ベッドを動かす力が加わるとは思えないこと
(2)仮にXの主張通りだとすると、前傾姿勢をとったところでベッドが動けば、慣性の法則により前屈みになってベッドから落ちるはずだから、臀部から落下したとのX主張の状態は極めて不自然であること
(3)Xの主張通りであれば、落下時の接触で朝食が散乱するはずであるのに、そのような事実が認められないこと
(4)Xの主張通りであれば、落下直後、Xはしりもちをついた状態にあったはずだが、目撃者は、落下直後、Xは横向きになっていたと証言しており、斜め横の方に倒れたとする方が自然であること
(5)今までにXのベッドが動いたことはなく、本件事故当日の朝、食事前にXが洗面に行った時にも動いてなかったことからすると、なぜ事故時にのみベッドが動いたのか合理的な説明ができないこと
以上より裁判所は、本件事故の態様は、Yの主張の通りと認めるのが相当である、と認定し、したがってベッドの管理に関するYの過失も存在しない、と判示しました。
胸椎骨折診断の遅れとA医師の注意義務違反の有無
この点について裁判所は、A医師がXの胸椎骨折を見落としたため、骨折の診断が遅れたと判示しました。
その上で、医師としての注意義務違反の判断基準としては、当該医師の専門分野、具体的環境(一般の開業医か総合病院か等)等諸般の事情を考慮して具体的に判断すべきであるが、本件において、A医師は、内科医であるものの、整形外科医に診療を委ねることができる具体的環境が整っていたのであり、また、整形外科医に診療を委ねればXの胸椎骨折は容易に発見できたのであるから、Xを診察するに際しては、少なくとも整形外科医の判断を仰ぐなどしてXの胸椎骨折を見落とさないようにすべき注意義務を有していたことになり、A医師が胸椎骨折を見落としたまま漫然と11日間治療を続けて診断が遅れたことには、A医師に医師としての注意義務違反があった、としました。
医師の過失と患者の現在の症状等との因果関係の有無
この点について裁判所は、結果的にはXに対して平成2年2月19日に胸椎骨折が診断された場合とほぼ同様の治療がなされたものであり、しかも胸椎骨折も平成2年12月までには治癒していたというのであるから、A医師の過失と現在のXの症状との間に因果関係があるかどうかは極めて疑問であり、さらに、Xの現在の骨粗鬆症が本件事故での胸椎骨折によるものであるかは、認定された事実からは不明であって、これを認めるに足りる証拠は他にないから、結局、A医師の過失と原告の現在の症状との間の因果関係については未だ立証不十分である、と判断しました。
また、A医師の過失によって慰謝料の給付を相当とするような精神的苦痛をXが受けたことを認めるに足りる証拠もない、と判断しました。
以上より、裁判所はXの請求を棄却しました。