名古屋地裁平成20年7月18日 判例時報2033号45頁
(争点)
- 医師に、新生児の敗血症の罹患を疑い、転院を行うべき注意義務違反があるか
- 医師の転院義務違反と新生児の後遺障害との間に因果関係が認められるか
(事案)
患者X1(平成14年10月14日生まれの男子)の母X2は妊娠当初から、医療法人Yの開設するYマタニティクリニック(以下、「Yクリニック」という。)において診療を受けていたが、陣痛が始まったことから、平成14年10月12日午前1時ころY病院に入院した。Yクリニックに常勤する医師は、医療法人Y代表者理事長A医師一人である。
X2は、同月13日午後8時45分ころ破水し、羊水の混濁は認められなかった。そして、X2は、同月14日午前1時03分頃、X1を正常分娩にて出産した。X1の出生時の体重は3068グラムであり、出生から1分後及び5分後のアプガースコアはともに9点であった。
同月16日午前7時、Yクリニックの看護師の指示により、X2がX1の検温をしたところ、X1の体温は38度2分であった。哺乳後の午前7時20分ころの検温では、X1の体温が37度1分に下がっていた。
同月17日午前1時ころX1に38度6分の発熱があり、哺乳後の午前1時20分ころに再度検温をしたところ37度9分の発熱があった。この時点までのX1の哺乳力は良好であった。午前2時30分ころ、X2がX1をくるんでいた毛布を取った後に、検温したところ38度の発熱が認められた。X2の報告を受けたYクリニックの看護師は、X1をナースステーションへ移した。A医師は、午前4時ころ、X1を診察し、経過を観察するように看護師に指示をした。
A医師は、午前6時30分ころ再度X1を診察したところ、体温が38度6分あり、ちょっとした刺激に敏感に反応する状態であり、やや顔色が悪く、泣かせると赤くなった。
そこで、A医師はI市立病院のNICU(新生児集中治療室)に連絡し、X1の受け入れを依頼した。午前7時30分ころ、X1はI市民病院に搬送された。
X1は午前10時ころ、搬送先のI市民病院において、痙攣発作の症状を呈した。髄液を採取するなどの検査した結果、大腸菌を起因菌とする敗血症及び細菌性髄膜炎と診断された。
X1は、12月4日までI市民病院において入院治療を受けていたところ、後遺障害として水頭症を併発した。
X1は、12月4日、県立C病院へ転院した。同病院で、X1は数回にわたる手術を受けたが、多胞性水頭症の障害が遺り、検査の結果、てんかんの波形が現れた。結局、C病院でも、これ以上の治療は困難と診断され、平成17年9月20日、県よりIQ35以下の重度(Aランク)の知的障害が残存するものに該当すると認定された。さらにX1は、平成18年2月16日、「(両)遠視性乱視・弱視、外斜視」の後遺障害があると診断された。
患者X1とその母親X2と父親が、医療法人Yに対して、X1が発熱した際、YクリニックのA医師が適切な検査、処置を講じなかったことによりX1が重篤な後遺障害を負うことになったと主張し、不法行為(使用者責任)に基づき、損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者側の請求額:患者と両親合計で1億4162万2505円
(患者請求額1億0962万2505円の内訳:逸失利益4193万4452円+生涯の介護料3568万8053円+慰謝料2700万円+弁護士費用500万円)
(患者両親の請求額合計3200万円の内訳:両名合計で慰謝料3000万円+弁護士費用200万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:6211万1252円
(患者についての認容額5881万1252円の内訳:2096万7226円+介護費用1784万4026円+慰謝料1500万円+弁護士費用500万円)
(患者両親についての認容額合計330万円の内訳:両名合計で慰謝料300万円+弁護士費用30万円)
(裁判所の判断)
医師に、新生児の敗血症の罹患を疑い、転院を行うべき注意義務違反があるか
裁判所は、まず、新生児敗血症の診断は、妊娠・分娩歴を調べて、感染のリスク因子があるかどうかを知った上、新生児の臨床症状から敗血症を疑うことに始まるから、まず患者X1の敗血症等の感染リスク因子を判断し、その後同人の臨床症状を検討した上で、同人が敗血症等の感染症に罹患したのではないかと疑い、検査または転院を行うべき注意義務が認められるかを判断するべきであるとしました。
そして、A医師尋問の結果によれば、YクリニックではCRP試験を実施することはできないことが認められるから、敗血症が疑われる場合には新生児を転院するしかなく、本件では転院義務のみが問題になると判示しました。
その上で、裁判所は、本件では、X1に、敗血症等の感染リスク因子は認められないとしました。次に、X1の臨床症状については、17日午前2時30分ころの時点におけるX1の発熱の原因として、既に午前1時20分に哺乳があり、水分不足の可能性が排除されたことに加え、さらに、X1をくるんでいた毛布を取った後に検温されているため、外環境因子の可能性が排除されたことになるから、発熱の原因は不明であるといえるとして、感染症の可能性が十分あると判断しました。そして、新生児の感染症が敗血症に至った場合、短時間で急激に発症し、重篤になるものであるから、感染症の可能性が十分であると考えられる以上、速やかに転院の措置を採るべきであったと認定しました。
したがって、10月17日午前2時30分ころの時点におけるX1の発熱は敗血症等の罹患が窺われ、転院義務を認めるに足りる臨床症状と評価できることから、A医師には、転院を行うべき注意義務があったと認めました。そして、A医師は、上記に認定した注意義務に違反して、X1を転院することなく経過観察としたものであるから、過失があると判示しました。
医師の転院義務違反と新生児の後遺障害との間に因果関係が認められるか
A医師が10月17日午前2時30分ころの時点において転院を決断し、4時間程早く敗血症に対する治療を開始することができたとすれば、X1に何らの後遺障害も生じなかった高度の蓋然性までは認められないものの、本件後遺障害のような重大な後遺障害の発生を回避できた高度の蓋然性は認められるとしました。よって、A医師の過失行為と本件後遺障害の発生との間に因果関係を認めることが相当であるとしました。
もっとも、午前2時30分ごろに転院を決断したとしても、午前1時の時点においてX1は敗血症等に罹患していたといえるため、X1には本件後遺障害より軽度の後遺障害が生じた蓋然性が認められるというべきであるから、この点は損害の算定に当たって考慮するべきであると判断しました。
そして、損害の公平な分担の見地から、X1の逸失利益と介護費用の算定に当たり、X1の請求額の5割がYクリニック側で負担すべき損害であると認定し、上記裁判所の認容額記載のとおりの損害賠償をY医療法人に命じました。