札幌地裁平成13年4月19日 判例タイムズ1116号249頁
(争点)
- 担当医師らに、搬送の際、診断・検査を続行すべき義務、経過を観察すべき義務、他の適切な医療機関に転送すべき義務に違反した過失が認められるか
(事案)
Aは、妹ら3人を乗せて酒気を帯びて運転していたところ、平成7年12月31日午前1時35分ころ、S市の交差点においてスリップし、信号待ちしていた大型トラックに衝突し、A及び同乗者が負傷するという交通事故を起こした(以下、本件交通事故)。
Aは、同日午前2時20分ころ、救急車により、Y医療法人が開設・経営するY病院(以下、Y病院)に搬送された。搬送当時、Aは相当程度酩酊した状態であった。Aが搬送された当時、Y病院外科では、B医師及びC研修医が診察に当たっていた。
B医師は、Aの意識レベル及び視診・触診による外傷の確認をしたほか、血液検査、心電図検査、腹部・胸部のエックス線写真撮影等の診察をした。その結果、Aには、口腔内出血及び左前胸部ないし左側腹部に打撲傷が見られたほかは目立った外傷はなかった。
他方、血液検査の結果は肝臓等の損傷が疑われる状態であった。ただ、バイタルサインは安定していたため、急いで手術をする必要性はないとB医師は判断し、超音波検査及び各部位のCT検査を行う必要があると判断した。
B医師らは、Aに検査を受けるよう説得したが、Aは帰宅を希望して診療の続行を拒否し、点滴のチューブを抜去したほか、担当医師ら、看護師に対し反抗的な態度をとった。
警察官やAの妹であるDも来院して、診察を受けるよう説得したが、Aは説得に応じなかった。
その後、警察官が、事情聴取のためAを警察署に連れて行きたいと申し出たため、B医師は「患者がこのように我々の治療を拒否していて、これ以上診察ができないから連れて行ってもいいですが、頭部外傷、肝損傷が疑われるので、できるだけ早く他の病院に連れて行って診察を受けさせてほしい」と言った。そして、AとDに、「あなたが説得を拒否し、死んでもいいとまでおっしゃるなら、無理強いはできませんが、ここを去っても必ず病院へは行って下さい。病院に行くまでは食べたり、飲んだりしないで、できるだけ早く病院に行って下さい。」と説明した。
Aは「分かったから、帰るぞ。」と言ってY病院から出て行った。
Aは、同日午前5時ころ、Dとともに警察署に向かったが、同警察署においてスポーツ飲料を飲んだところ倒れた。Aは、同日午前5時47分ころ、救急車によりY病院に再び搬送されたが、搬送当時、Aは心肺停止状態であった。担当医師らは、直ちにAに対し蘇生措置を講じたが、同日午前6時25分、死亡が確認された。
その後、Aの妻X1、AとX1の子供であるX2、X3は、Y医療法人に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めて訴えを提起した。
(損害賠償請求額)
患者の遺族(妻+子供2人)の請求額:計8363万5713円
(内訳:患者Aの逸失利益5003万5713円+患者Aの慰謝料2500万円+葬儀費用100万円+弁護士費用760万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:なし
(裁判所の判断)
担当医師らに、最初の搬送の際、診断・検査を続行すべき義務、経過を観察すべき義務、他の適切な医療機関に転送すべき義務に違反した過失が認められるか
この点について、裁判所は、B医師は、Aに生命の危険があることを認識するまでの医学的所見を得ていなかったのではあるが、生命に危険があるか否かを確定的に判断するために、Aの診察、検査を続行し、経過を観察すべきであると判断しており、その判断は、Aに異常所見がなく歩行も可能で応答も明確であったことからすれば相当であったと認定しました。
その上で、裁判所は、Aの状態が診察、検査を続行し、経過を観察すべきである場合には、担当医師らは、Aが診察、検査を受けることを拒んだとしても、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として、医療行為を受ける必要性を説明し、適切な医療行為を受けるように説得することが必要であるが、必要な説明、説得をしても、なおAが医療行為を受けることを拒む場合には、それでも担当医師らに診察・検査を続行し、経過を観察すべき義務があったということはできないと判断しました。
その理由として、医療行為を受けるか否かの患者の意思決定は、患者の人格権の一内容として尊重されなければならないのであり、最終的に医療行為を行うか否かを、患者の意思決定に委ねるべきだからである、と判示しました。
そして、本件の事実経過を考慮すると、B医師は、午前2時40分ころから午前5時ころまでの間、Aの抵抗に遭いながらもAの経過観察や緊急時に備えて血管確保の処置を行いながら、時間をおいて数度にわたって説得を試み、Aの妹Dや警察官もまたAに対して検査を受けるように説得したにもかかわらず、Aは検査を受けないという意思決定を変えず、説得を振り切って自らの意思で退去したと認定しました。
そして、B医師はAに対して医師として十分な説明、説得をしたというべきであり、B医師がAに対する検査を行わず、診察を続けなかったことについて落ち度があったとは認められないし、B医師による十分な説明、説得にもかかわらずAが自ら退去した以上、B医師が経過を観察することは不可能であって、経過を観察しなかったことに落ち度があったとも認められない、と判断しました。
加えて、Aは意思決定ができないほどの酩酊状態にあったとは言えないし、強固に診療を拒否する意思決定があった以上は、これを尊重しなければならず、この意志に反して、有形力を行使したり、副作用のおそれがあるにもかかわらず鎮静剤を投与したりして、検査を行うべきであったとは認められないし、有形力を行使してでも診療を続行すべきであるとは認められない以上は、Aを転医させるべき義務もない、としました。
以上から、Y病院の担当医師らには、最初の搬送の際、診療等続行義務、経過観察義務、転移義務に違反した過失は認められず、これらに伴う説明義務違反は存しないことから、Aの遺族からの請求を棄却しました。