東京地裁平成20年2月18日 判例タイムズ1273号270頁
(争点)
- 患者X1は血糖コントロール値が「不良」で、糖尿病の三大合併症も発症していたが、余命(逸失利益及び将来の付添看護費用算定の前提)をどの程度と算定するべきか
- 症状固定後の治療関係費及び差額室料は本件事故と相当因果関係にある損害か
(事案)
X1(昭和26年生まれの専業主婦)は、平成7年ころから糖尿病の症状が現れ、平成14年7月8日以後、H医院に通院して糖尿病の治療を受けていたが、専業主婦として、通常の家事をすべて問題なくこなしていた。
平成16年4月28日、H医院の紹介でY病院組合のY市民病院(以下、Y病院)内科外来を受診し、糖尿病の三大合併症である糖尿病性網膜症、糖尿病性腎症、糖尿病性神経障害をいずれも併発しているとの診断を受けた。同年6月2日及び7月7日に外来診療を受けたあと、同月12日、インスリン投与による血糖コントロール及び食事療法の指導等の目的でY病院に入院した。
平成16年7月29日、X1の主治医である内科医のA医師は、X1の蓄尿検査を行うよう看護師への指示簿に記載した。B看護師は、同日午後4時10分、蓄尿検査の際に防腐剤として使用するアジ化ナトリウムを検査科に取りに行き、午後4時25分ころ、C看護師に対し、X1の蓄尿検査を行うよう指示し、アジ化ナトリウムが入った薬包紙をC看護師に渡した。しかし、C看護師は、その薬包紙の中身を内服薬であると思いこみ、これをX1に渡して内服するよう指示した。そして、これを内服したX1は、アジ化ナトリウム中毒を発症し、低酸素脳症となった。
X1は、平成16年7月30日にY病院からT大学医学部附属病院へ転院して治療を受けた。さらに、同年8月16日にはJ大学医学部附属J医院(以下、J病院)に、平成17年8月中旬には国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に、同年9月13日には再度J病院に、平成18年3月30日に医療法人財団M総合病院(以下、M病院)にそれぞれ転院し、現在も、M病院に入院して診療を受けている。
なお、X1は、平成17年8月「認知機能障害、脱抑制、無為が強く、認知症の状態であり、今後もその状態が継続すると考えられる」として、症状固定の診断がされた。
その状態は、生命維持に必要な身辺動作について、常時介護が必要である。
X1、X1の夫、長男、長女、次女は、Y病院を設置運営するY病院組合に対し、損害賠償を求めて、訴えを提起した。なお、上記の事実経過及びY病院組合に過失があったことについては、当事者間に争いがない。
(損害賠償請求額)
患者と家族(夫および3人の子供)合計の請求額
計1億3000万円(内金請求と思われる)
患者についての内訳:治療関係費2億2730万7535円+入院付添費964万円+将来の付添看護費用4534万7016円+入院雑費1037万1558円+休業損害379万9647円+逸失利益4082万5442円+後遺症慰謝料2800万円+入院慰謝料1612万6816円+弁護士費用3313万2872円=計4億1455万0886円の内金1億1641万4226円
(判決による請求認容額)
家族についての内訳:患者の長男につき固有の慰謝料250万円+付添交通費240万8119円+弁護士費用49万0811円=539万8930円の内金533万5774円
患者の夫・長女・次女につき固有の慰謝料各250万円+弁護士費用各25万円=各275万円
(裁判所の判断)
患者X1は血糖コントロール値が「不良」で、糖尿病の三大合併症も発症していたが、余命(逸失利益及び将来の付添看護費用算定の前提)をどの程度と算定するべきか
この点につき、裁判所は、まず、患者X1は糖尿病に罹患しているのみならず、その三大合併症をいずれも併発していたこと(患者X1の余命に血糖コントロール状況の良否が及ぼす影響が大きいこと)、Y病院に入院するまでは、患者X1に過食の改善が見られず、血糖コントロールが「不可」の領域であったこと、昭和56年から平成2年までの10年間の検討結果によれば、糖尿病性腎症に罹患している女性患者が、同時代の日本人女性一般に比べて15歳以上も短命であったことを認定しました。
一方で、裁判所は、患者X1は、インスリン導入による血糖コントロールと糖尿病についての食事療法を行う目的でY病院に入院し、入院期間中に何回か血糖コントロールが「可」と評価される領域に入ったこと、平成19年1~6月の血糖コントロール値が「優」の領域であったことから、糖尿病性腎症の予後が改善されつつある、と認定しました。
もっとも、上記の血糖コントロールの変化はいずれも入院中における変化であり、患者X1は本件事故後自ら血糖コントロールを行っていないから、患者X1が死亡時までに自ら行ったであろう血糖コントロールが全体として不良であったか良好であったかを推認することは困難であり、本件事故時における糖尿病性腎症患者の平均死亡時年齢を具体的に認めるに足りる証拠はない、と判断しました。
以上を考慮して、裁判所は、症状固定時における患者X1(当時54歳)の余命期間を20年と想定して患者X1の将来の付添看護費用を算定し、67歳までは専業主婦として家事労働に従事することが可能であったことを前提に、患者X1の逸失利益を算出することが相当である、と判断しました。
症状固定後の治療関係費及び差額室料は本件事故と相当因果関係にある損害か
この点につき、裁判所は、患者X1がY病院以外の病院においてどのような治療がなされたかは明らかではなく、かえって証拠によれば、平成17年8月に症状固定の診断がされる前から患者X1に対する積極的な治療は行われなくなり、患者X1は病院から退院を求められるようになっていたことが認められる、と認定し、差額室料も含め、症状固定日までの治療関係費については、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるが、症状固定日以降の治療関係費については本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない、と判断しました。
そして、患者X1と家族4人につき、前記「裁判所の認容額」記載にある損害賠償額を認めました。