静岡地方裁判所平成3年10月4日 判例タイムズ773号227頁
(争点)
- 患者にエンボライゼイションの適応があったか
- 医師はエンボライゼイションの危険性等につき説明義務を果たしたか
(事案)
患者X1(大正12年生まれで当時57歳の女性)は、昭和15年に結核に罹患したものの自宅で長期療養しており、目立った症状が出なくなったため、昭和31年以降は兄X2の家業である醤油、味噌製造販売業や家事の手伝いをするなどして暮らしてきた。昭和40年夏ごろ血痰が出たため、Y市が設置するY市民病院(以下市民病院という)に入院して治療を受けたが、その後昭和56年8月ころまでは喀血ないし血痰はなかった。
その後X1は、昭和56年8月7日に血痰をみたため、他院のB医師の紹介で、同月10日から翌57年1月16日までY市民病院に通院し、投薬などの治療を受けたが、その際、結核菌は検出されず、血痰も2、3日で止まった。
X1は昭和57年3月3日、血痰があるも、放置していたところ、翌4日、喀血をみたので他院に通院し、注射、投薬などの治療を受けたが、同月8日まで血痰が持続したので、同月11日11日市民病院呼吸器科へ検査目的で入院した(第1回入院)。
市民病院では、K医師がX1の主治医となった。X1は、入院時に結核及び血痰と診断された。諸検査を実施した結果、K医師は血痰の原因は陳旧性肺結核に基づく気管支拡張症と診断した。そして、K医師はX1に対し、右肺上葉部が結核の結果働いておらず、出血がひどければ、何か詰めて血流を止め、出血を防止する施術もあるが、今は必要ないとだけ述べて4月12日、X1を退院させた。
X1の退院から2日後、市民病院呼吸器科医長のY1医師(K医師の上司という立場にあたる)から、出血を止めるために施術する必要があるから、K医師の外来担当日ではなく、Y1医師の外来担当日に市民病院呼吸器科に診察を受けに来るようとの指示があり、X1は同月19日、市民病院呼吸器科を受診した。Y1医師は、X1にそれまで血痰もなく、症状が安定していることを認めながらも、X1に対し、将来出血する恐れがあるので、出血を止める施術及びそのための入院を勧めた。その際、Y1医師は、その施術がエンボライゼイション(気管支動脈塞栓術)であることやその施術の方法、脊髄損傷の危険等の合併症が起こり得ることについては一切説明せず、X1に対しては重篤な副作用などはあり得ない安全な施術であるということを暗示して、その施術を勧めた。
X1はY1医師の度重なる勧めにより、エンボライゼイションの施術をすれば、出血が必ず完全に止まるし、それによる重篤な副作用もないと考えたので、エンボライゼイションの施術を受けることに決めた。同年7月7日、第2回入院をし、7月14日、市民病院呼吸科医師であるY2医師を主治医として、エンボライゼイションの施術を行った。しかし、施術中にX1が右足が痺れた旨訴えたので、施術を中断した。
エンボライゼイション施術後、X1には、下半身麻痺等の障害が発生し、昭和59年2月9日には、県から両下肢機能障害(ブラウン・セガールド症候群)ということで、身体障害等級2級の認定を受けたが、その後症状は改善していない。
X2はX1の兄であり、X1の出生以来現在までX1と同居し、生計をともにしている。
患者X1とX2が、Y市と、Y1医師とY2医師に対して損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求額)
患者の請求額:4819万6540円
(内訳:入院治療に伴う損害653万2000円(休業損害334万5041円+付添人費用264万6960円+入院雑費54万円)+後遺障害に伴う損害1666万4540円(歩行のための装身具代5万1240円+住居改造費200万円+逸失利益1461万3300円)+慰謝料2000万円+弁護士費用500万円端数不一致)
患者の兄の請求額:713万円
(内訳:慰謝料500万円+諸経費100万円+弁護士費用113万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の患者に対する認容額:3479万0920円
(内訳:入院治療に伴う損害454万0594円(休業損害256万3594円+付添人費用159万9000円+入院雑費37万8000円)+後遺障害に伴う損害1325万0326円(歩行のための装身具代5万1240円+住居改造費200万円+逸失利益1119万9086円)+慰謝料1500万円+弁護士費用200万円)
裁判所の患者の兄に対する認容額:220万円
(内訳:慰謝料200万円+弁護士費用20万円)
(裁判所の判断)
患者にエンボライゼイションの適応があったか
まず、裁判所は、エンボライゼイションによって前脊髄動脈や太い脊髄枝に塞栓物質ないし造影剤を流入させ、脊髄への栄養供給を妨げた場合には脊髄損傷が起こることがあることなどから、患者X1の障害の原因は、エンボライゼイションの施術によるものと認定しました。
また、エンボライゼイションの適応に関する、臨床医学的知見について、最近の最も広く適用を認める見解は投薬によっても根治せず、継続的に血痰が続く場合も適応があるとしていると判示しました。
そして、第1回入院中の3月27日からエンボライゼイションの施術時の同年7月14日までの約4カ月は、喀血ないし血痰の症状は認められなかったことから、X1には、最も広く適応を認める見解に依拠するとしても継続的な血痰という適応条件が欠けていたといえることから、X1に対するエンボライゼイションの施術はその適応のないのになされたものと判断しました。
医師はエンボライゼイションの危険性等につき説明義務を果たしたか
仮に、臨床現場における医師が、継続的な血痰の症状がなくとも、将来的に血痰が出る可能性があれば、エンボライゼイションの適応があると判断することも医師の裁量内のものとして許容され、X1にはエンボライゼイションの適応があったと解し得るとしても、エンボライゼイションの施術は、重篤な障害を引き起こす恐れがある上、再疎通によって喀血の再発する可能性のある療法であるから、そのような施術をするに際しては、患者に対し、その施術方法の要約、合併症の危険及び再疎通の可能性等を充分説明した上、その施術についての同意を得ることが不可欠であるとしました。そして、本件では、X1に対してエンボライゼイションの施術をするに当たって、Y2医師が第2回入院に際し、X1に対し、エンボライゼイションの施術方法の概略について説明したにすぎず、Y2医師及びその他の医師も、その施術に伴う脊髄損傷の危険及び再疎通の可能性などについては全く説明していないというべきであるから、X1が、エンボライゼイションの施術をするについて、形式的には同意していたとしても、X1から適法な同意を得ていたものと解することはできないというべきであるとして医師らの説明義務違反を認めました。
以上に加え、施術上の手技にも不適切な点があったと判示し、裁判所は、Y1医師及びY2医師は、医師として、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従い適切な治療行為を施して、その生命、身体を保護すべき義務があり、X1に対してエンボライゼイションの施術を行うに際しては、その適応の有無を十分確認した上、X1に対し、その方法、効果及び合併症等について懇切丁寧に説明した上、その施術に対する適法な同意を得て、いやしくも脊髄損傷というような重篤な合併症を引き起こさないよう適切な方法で施行する義務があるというべきであるとしました。しかし、Y1医師とY2医師は、それらの義務をことごとく懈怠し、X1に対し、前記の障害を負わせたものであるから、民法709条により、そのことによって生じた損害について、賠償する責任があると判示しました。
また、Y市は、X1との診療契約に基づき、前示のような適切な治療を施し、その生命身体を保護すべき義務を負うべきものであるところ、前記のようにその職員たるY1医師及びY2医師がその義務に違反し、X1に対し、前記障害を負わせたものであるから、民法415条により、その義務違反によって生ずべき損害を賠償する責任があると判示しました。