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No.130「精神病院に入院中の患者が吐物の誤嚥による窒息で死亡。医師の過失を認定した高裁の判断に経験則違反があるとして控訴審判決を破棄し,更に審理尽くすために差し戻した最高裁判決」

最高裁判所第三小法廷平成19年4月3日 判例時報1240号176頁

(争点)

  • 控訴審の認定した医師の転送義務違反・気道確保義務違反の判断が経験則に違反するか

(事案)

患者A(昭和41年生まれの男性)は、昭和58年ころから異常行動が見られるようになり、同年11月、統合失調症と診断されてYの開設する精神科病院(以下Y園という)に入院した。Aは、平成9年ころからは、看護師等の問いかけに対しごく簡単な応答をしたり、言葉を発したりすることはあったが、意思疎通を図ることは困難であった。

平成13年12月▲日午前5時ころ看護師が巡回したところ、Aの衣類が吐物で汚染され、コーヒーのかすのような少量の吐血が認められた。

午後10時30分、医師であるY園の副園長がAを診察したが、Aは問いかけに対して「アーウー」と叫ぶだけであった。副園長は、Aの吐血は消化管出血によるものであろうと考え、胃潰瘍等に対する内服薬を投与して様子を見ることにした。

午後3時30分、Aは体温が38.2℃に上昇し、脈微弱で、酸素飽和度87%、心拍数78/分、唇色不良となった。Aを診察した副園長は、強心剤を注射するように看護師に指示し、午後3時40分、看護師がAに強心剤を注射した。この時点でAに肩呼吸が見られたため、副園長の指示により、看護師がAを酸素吸入設備がある病室に移動させて酸素吸入及び点滴を行った。

午後4時30分、Aの体温は38.9℃で脈微弱のままであったが、四肢冷感や口唇及び爪のチアノーゼはなく、時々「ア、ア」と叫んで体動もあった。

午後4時50分になって、Aは食物かすの混じった血を多量に吐いた。Aは、脈が触れず、意識もなくなったが、かすかに反応はあった。副園長の指示により、吐物吸引、心マッサージ、強心剤の筋肉注射等の措置が執られたが、Aは、午後5時14分に呼吸停止となり、死亡が確認された。

Aの直接の死因は、平成13年12月▲日午後4時50分の食物かすの混じった血を多量に吐いたAが吐物を誤嚥したため、気道から気管支内に吐物が入ったことによる呼吸不能(窒息)である。

患者Aの両親であり、相続人であるXらが原告となり、Y園の医師にはAを適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失があるなどを主張して、Y園の開設者であるYに対して、債務不履行による損害賠償を求めた。

第一審の裁判所はXらの主張をすべて否定し、損害賠償義務を認めなかった。これに対し、控訴審の裁判所(仙台高等裁判所)は、次のように判断して、Xらの請求を一部認容すべきものとした。

平成13年12月▲日午後3時30分の時点におけるAの容態から、何らかの原因によりショックに陥っていたと認められる。他方で、副園長も同日午前10時30分ころAを診察して消化管出血を認識していたから、同日午後3時30分ころにAがショックに陥った原因が消化管出血に関するものであることは認識し得たはずである。そして、療養園は精神科病院であり、適切な措置を行うことができたかは疑問であるから、消化管出血を認識した療養園の医師としては、Aがショックに陥った同日午後3時30分の時点で救急医療を含む適切な医療行為を行うことができる病院にAを転送すべき注意義務があり、これを怠った副園長には過失がある。また、仮に転送義務まではなかったとしても、療養園の医師としては、ショックに陥った消化管出血や消化管潰瘍の患者に対し、嘔吐や吐血に備えて、気道確保の措置を執って吐物を誤嚥させないようにする注意義務があり、副園長はこの措置を執っていないから過失がある。よって、Yに損害賠償義務が認められる。

これに対してYは、同日午後3時30分の時点で転送義務・気道確保義務があると認定した控訴審の判断は経験則に反するとして、最高裁判所に上告した。

(裁判所の判断)

控訴審の認定した医師の転送義務違反・気道確保義務違反の判断が経験則に違反するか

最高裁判所は、本件事実関係から、患者Aは、平成13年12月▲日午後3時30分の時点で、発熱、脈微弱、酸素飽和度の低下、唇色不良といった呼吸不全の症状を呈していたが、心拍数は78であって頻脈とはいえず、酸素吸入等が行われた後の同日午後4時30分の時点では口唇及び爪のチアノーゼや四肢冷感はなく、体動も見られたという事実を指摘しました。また、記録によれば、同日午後3時30分ころのAの収縮期血圧は96であって、この時点で血圧が急激に低下したような形跡はなく、嘔吐、吐血、下血、激しい腹痛といった、循環血液量減少性ショックの原因になるような多量の消化管出血を疑わせる症状があったこともうかがわれないと判示しました。さらに、病理解剖の結果、空腸に穿孔が見られたが腹膜炎等の所見はなかったことから、上記の時点でAが胃の内容物で腹腔内が汚染されたことによる感染性ショックに陥っていたとも考え難いとしました。

よって、これらの事実に照らすと、同日午後3時30分の時点でAが発熱等の症状を呈していたというだけで、Aの意識レベルを含む全身状態等について審理判断することなく、この時点でAがショックに陥り自ら気道を確保することができない状態にあったとして、このことを前提に、Y園の医師に転送義務又は気道確保義務に違反した過失があるとした控訴審の判断は、経験則に反するものであると判示しました。そして、Yの敗訴部分を破棄しました。さらに、Aが平成13年12月▲日午後3時30分の時点で自ら気道が確保することが困難な状態にあったか否か等につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審(控訴審)に差し戻しました。

カテゴリ: 2008年11月12日
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